
聖徳太子・厩戸王、厩戸皇子
聖徳太子の阿波での痕跡を
ここで取り上げています。生誕地や廟跡など残っています。 阿波・徳島に関しての天皇話は今のところ普及しているお話しではないので、さておき、聖徳太子の時代をとりあげます。その時代はまだ、歴史的には定まっていない・よく分かっていないものを書くことになるでしょう。
また、前置きです。この日本の古代・中世・戦国の兄弟・親族の跡目争い、まして西洋の中世・封建時代のそれにも、ウンザリして小生には興味のないところです。
「丁未の乱・ていびのらん」において蘇我氏は仏教の礼拝を巡って大臣・蘇我馬子と対立した大連・物部守屋が戦い、物部氏の守屋宗家が滅ぼされた。ここで蘇我氏が実権を握って大化の改新で蘇我入鹿が殺さて滅亡するまで続きます。
30,31,32,33代の天皇は29代欽明天皇の異母兄弟である。 聖徳太子は31代用明天皇の子として誕生する。 そして蘇我馬子の娘と結婚して山背大兄王をもうける。29代欽明天皇の子32代崇峻天皇は蘇我馬子に殺される。次の33代は異母兄である30代敏達天皇と結婚し崩御後に推古天皇(女帝)になる。彼女は聖徳太子を皇太子とし摂政とした。推古天皇の崩御に際し、その後継者として田村皇子・舒明天皇と山背大兄王が候補に挙がり、山背大兄王が蘇我入鹿に追い詰められ自害し34代舒明天皇となる。
38代天智天皇は34代舒明天皇の第二皇子・中大兄皇子。母は35代皇極天皇(重祚して37代斉明天皇)である。中大兄皇子は中臣鎌足らと謀り、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こす(乙巳の変)。入鹿の父の蘇我蝦夷は翌日自害した。更にその翌日、皇極天皇の同母弟を即位させ(36代孝徳天皇)、自分は皇太子となり中心人物として様々な改革(大化の改新)を行った。息子の39代弘文天皇が即位する。40代大海人皇子(のちの天武天皇)は壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)を倒し、その翌年に即位した。

蘇我氏と天皇
天智天皇・中大兄皇子 年表
626年 - 田村皇子(のちの舒明天皇)の第二王子・中大兄皇子として誕生、唐の建国
630年 隋からの留学生帰国
645年 - 6月、乙巳の変。蘇我宗家を滅ぼす。叔父の孝徳天皇の皇太子となる。9月、異母兄の古人大兄皇子を謀反の疑いにて処刑。12月、難波長柄豊碕宮へ遷都
646年 - 「改新の詔」
649年 - 3月、蘇我日向の密告を受け、蘇我倉山田石川麻呂を謀反の疑いにて自害に追い込む
653年 - 孝徳天皇の意に反し、群臣らを率いて板蓋宮へ遷る
654年 - 10月、孝徳天皇崩御
655年 - 1月、母の宝皇女が即位して斉明天皇になる(皇極天皇の重祚)。引き続き皇太子を務める
656年 - 岡本宮へ遷る
658年 - 11月、蘇我赤兄の密告を受け、孝徳天皇の遺児の有間皇子を謀反の罪にて処刑
659年 - 阿倍比羅夫に蝦夷国(東北地方・北海道)遠征を命じる
660年 -百済が唐と新羅に攻め滅ぼされる。百済皇子の扶余豊璋を帰国させる
661年 - 百済再興を救援するために西下するが、7月、斉明天皇が朝倉橘広庭宮にて崩御。皇太子のまま天智天皇・称制
663年 - 7月、白村江の戦いにて唐・新羅連合軍に大敗
664年 - 2月、甲子の宣
667年 - 3月、近江大津宮へ遷る
668年 - 1月、即位。2月、大海人皇子を皇太弟とする。10月、高句麗が唐と新羅に攻め滅ぼされる。この年、「近江令」制定?
669年 - 10月、中臣鎌足が亡くなる前日に内大臣に任じ、藤原の姓を与える
670年 - 2月、「庚午年籍」を造る。11月、子の大友皇子を史上初の太政大臣に任ずる
671年 - 10月、大海人皇子・天武天皇が吉野へ去る。12月3日天智天皇崩御
672年 壬申の乱
ここでの蘇我氏は良くわかっているのは蘇我稲目からです。武内宿禰を祖としていると云われているが葛城地方を地盤とした勢力であった。蘇我氏の字から我よみがえりと読め復活キリスト教関連を思い起こさせる。 蘇我氏に推された聖徳太子が馬屋に生まれた厩戸王と知られている. キリストも馬屋に生まれた。 蘇我氏が物部氏と争って仏教を推し広めたのに我よみがえりでは不思議です。 ここで
日本とユダヤの古代史&世界史 著・田中英道、茂木誠をとりあげていて、蘇我氏は431年以降の渡来人としています。ネストリウス派・景教につながると考えれば蘇ることになります。 同じユダヤ系の渡来人秦氏が聖徳太子の大事な補佐として秦河勝がついています。聖徳太子の死は蘇我氏から殺されたのではないかと云われています。それと伴に秦河勝が逃避するのも納得です。 いずれにしろ蘇我氏が天皇をも暗殺する絶大な権力をにぎり滅亡させられる運命であった。
先の大河ドラマのごとく、中臣氏が藤原氏になり蘇我氏から続いていた天皇と娘の婚姻により権力を握る時代が後まで続くことになるのは、複雑で混乱していて陰謀めいていて、老生には興味のない歴史と個人的な思いであります。
百田尚樹の新版・日本国紀#18 《明日香〜奈良時代編》第4回 「十七条憲法がいかにスゴイか」
https://www.youtube.com/watch?v=G9KsOjskEO4 2025-2-8
posted by 終活・克ヨット at 15:14|
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