2020年07月11日

玉島・倉敷





 

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 備中玉島港図




 玉島は平成の大合併で水島や児島とともに倉敷と合併した。 市役所へ行くバスはどこでもよく整備されているのだが、それのない珍しい地区である。バスは新倉敷へ行くように路線がある。

 倉敷は幕府の直轄地として発展し、玉島は備中松山城のある高梁藩の飛び地としてあった。そこは北前船の寄港地として、また藩の蔵米の積み出し湊として栄える。 幕末には河合継之助が山田方谷に学ぶためにここへ立ち寄った。新島襄は備中高松藩の分家であった安中藩に属した。この藩が購入した快風丸の函館寄航に貢献し函館より米国へ旅立った。




 

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  北前船航路



 

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 河合継之助の逗留した船宿跡



 

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 同志社大学より寄付された快風丸模型  西爽亭にて展示


 歴史的街並み保存地区があり見どころもあるのであるが、案内板が整備されておらず残念である。 この街並みが残ったのは幕府老中筆頭板倉勝静を藩主としていたので朝敵玉島は燃やされる運命であった。部下150名と帰藩中の熊田恰(くまたあたか)が玉島で岡山藩に包囲され、藩の責任を一身に負うて西爽亭にて切腹した。玉島は救われた。



 

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 西爽亭 藩主御座所  熊田恰が切腹した血糊が残るという



 

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  大黒屋 1800頃の建物 廻船問屋として使用されていた





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  街並み その1





 

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 街並み その2



  松山城下町(現高梁市)とつながる運河(高瀬通し)で松島港は周辺で栽培された綿花と北海道から来たその肥料のニシンカスや昆布で通商で繁栄した。



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  河口に残る水門



  映画「ALL WAY 3丁目の夕日」の撮影ロケ地になった街並みがあるが、その往時に育った老人故にそれには興味が湧かない。



    2020-7-11












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2020年07月09日

鞆の浦

 

 初代のヨット速魚でこの鞆の浦の湊の中央位置に錨泊した記憶がある。はるか47年前のことになる。 新造した時に、造船所のある明石から係留地の宮崎・日向までの廻航途中で、とにかく初めて購入したクル−ザ−の航海ゆえ、不慣れで急いでいた。 夕方に来て朝早くには出て行く。アンカ−を上げるときにはヘドロが多く絡んきた、上陸せずであったので、この泥の記憶があるのみである。

  今度、ヨットで来るために係留場所を探してみたが、ふさわしいところは見つからなかった。 ここへ訪れたヨットマンによると、近くの仙酔島に係留して、今は帆船の形をしている連絡船で鞆の浦に来るという。 今回の小生の訪問は白石島にヨットを係留して、フェリ−(540円)で笠岡まで行き、JRで福山(240円)へ、バス(540円)にて鞆の浦に着いた。 それほど遠いとは感じなかった。

 

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 弁天島とその奥にある仙酔島


 瀬戸内の潮流はこの付近で東西からくるものが合流するといい。昔から潮待ちにふさわしい地であった。ここは古くから瀬戸内きっての湊町として栄える。 幕末には「七卿落ち」や龍馬が「いろは丸」の衝突交渉地としてこの地に立ち寄った。平賀源内の生き神様として祀った碑もある。




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  鞆の浦絵図




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  船具店の前に、知られてはいないが日本最古の民家がある。



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 日本最古の民家 秀吉の頃という 学術調査が行われた




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 龍馬滞在地、隠れ部屋があった




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 平賀源内の生祠




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  街並み その1




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 街並み その2




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 岡本家長屋門  福山城から移築された



 神功皇后が上陸された地に渡守神社御旅所がある。


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 渡守神社御旅所



 山中鹿之助の首塚とその横には悲恋斧語りの「ささやき橋」があう。

 

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  山中鹿之助首塚




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  ささやき橋  少し道路に段差がある程度で気付きにくい



 コロナの影響がまだあり、対潮楼といろは丸展示館は土日の開館に制限をしており、内部を見ることはできなかった。
 


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  対潮楼  よく唱愛されて紹介されて有名な場所である、ここから眺める景色はすばらしいと評判




 龍馬の乗った「いろは丸」は鞆の浦近くの海域で紀州藩の船と衝突沈没した。



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  常夜灯といろは丸展示館(中央白い建物)



    2020-7-9




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2020年07月07日

津山城・美作



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 古写真

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 津山城図



 岡山からJR津山線の終点。津山盆地にある津山城へ行ってきました。 信長の家臣の森可成の6男である森忠政が美作1国18万6千石の津山城を築城した。(森蘭丸の弟でもある) 1603-1616に及ぶ13年かかって完成した。 天守閣が5層なので幕府からにらまれ4層に見えるように急改造したという。
 歴代藩主は1604-1697までは森家四代、1698-1869まで松平家が九代続く。

姫路城を見た後なので小ぶりな感じを持ったが、戦国時代最後の完成期の城ゆえに防備がよく工夫され、あちこちから横矢をかけられるように石垣が組み合わされている。 見ごたえがあります。 しかもコンパクト。


 残念なのはこれだけの石垣が往時のままに残っているのに、行政が復元して見せようとする意志が乏しいように感ぜられる。 天守の再建は後回しにしても、デイテ−ルの門や櫓・塀を作ってもよいのではないでしょうか? その数59は姫路城や江戸城に匹敵したといいます。 欧米の教会建築・バルセロナのサクラダファミリアのように100-200年かけての長期構想を持ったらいかがなものでしょう。



 

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 59の櫓と門があった 赤数字



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 天守台  5層の天守閣があった



 

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  天守台より備中櫓へ


 

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 表鉄門 二の丸から本丸へ




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 表中門  階段を上がり左の階段を上ると3の丸から2の丸へ四足門に至る




 

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  四足門



 

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 多門櫓(コンクリ−ト敷地)より備中櫓を望む



 

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 腰巻櫓(階段横)と裏鉄門



     2020-7-7







   






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2020年07月04日

2020年 春巡航


  今年のクル−ズは5月からを予定していて、山陰へ向かい島根・鳥取・隠岐へ行くつもりでした。 武漢風邪騒動でその延期を余儀なくされ、瀬戸内クル−ズに変更しました。 しかし、エンジン故障によりそれも途中で断念することになる。 雨の日に修理・整備を中断して行く、徒歩旅行が結果的には中心になってしまいました。

 それで倉敷・玉島、津山、赤穂に行き、ヨットで行った白石島から連絡船等で鞆の浦、真鍋島へ行くことになる。 わずかヨットに乗船したのは1か月で4日余り、満足のゆくものではありませんが、雨天の旅行でも少しは楽しむことができました。




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5/30 午後  岡山・倉敷 マリ−ナ着
5/31 由加神社
6/1  バッテリ−充電
6/2
6/3  上架  船艇塗り
6/4  船艇塗り、倉敷美観地区見学
6/5  プロペラ計測、 倉敷美観地区見学
6/6  船艇塗り終了
6/7  ヨット清水かけ清掃  下架
6/8  ホンダ発電機購入
6/9  オイル交換、フュ−エルフィルタ−交換
6/10  ブ−ムバング制作
6/11  玉島・倉敷訪問  街並み保存地区見学
6/12  
6/12  津山訪問  津山城、街並み保存地区見学
6/14
6/15  連れ合いのヨット乗船断念
6/16  スマホ修理
6/17  乗船用はしご 修理・塗装
6/18  赤穂訪問  赤穂城見学
6/19  
6/20
6/21
6/22  燃料漏れ見つける
6/23  修理部品注文
6/24  修理終え、 倉敷から白石島着、 油漏れ再発見
6/25  鞆の浦見学、笠岡城見学
6/26  真鍋島見学 真鍋城見学断念、 白石島 開龍寺見学
6/27  白石島から倉敷着 燃料漏れ修理
6/28 
6/29 セ―リング
6/30  
7/1  倉敷から埼玉へ帰る



  2020-7-4







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2020年04月07日

クル−ジング健康寿命



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 速い魚 U


 今日四月七日にも緊急事態宣言が発令されます。 小生は現在どうしようかと迷っています。 それは年に一度のクル−ジング最適時期をまもなく迎えるからです。 五−六月は夏の灼熱と台風を避ける絶好の時期です。 おまけにヨットに乗れる年齢に、もう見えてきた上限があります。 クル−ジングしている人々は、老人クラブのような現況ですが、八〇歳を超えた人は見あたりません、そこらまでが限界でしょう。 七〇歳位が健康寿命であると云い、あとはオマケなのだそうです。 七二歳の小生にはそろそろヤバイかも。
今月半ばから上架を予定しています。まずは船底塗りだけでもやっておこうと考えております。

 「三密を避ける」ことが武漢肺炎を感染しないために、それが肝要だそうです。 シングルハンドのヨットは密接・密集・密閉とは関係ないように思えます。 例え小生が感染すれば基礎疾患が豊富な老生ゆえに、すぐに発症して重症化するのは間違いのないところ。 小生はそれゆえに、若い世代と違って発症に気が付かずに他人を感染させてしまうことは少ないでしょう。日本は初動が遅れ、対応を誤ったので、見えない感染が広まっています。 自信が感染をしないことは大事ですが、ロシアンルーレットみたいなもので、避けるのは注意していても無理でしょう。 人に移さないことが大事なことと言えます。

 国民には自粛を呼び掛けておきながら、政府は百人・千人を集めて研修や試験を企画して、一部は中止に追い込まれたようですが知らぬところではやっている模様。今回の宣言ではそれらは無くなると思います。 
 武田先生はグラフを示しながら発症者数ではなく患者数のもので、先の予測は科学ではなく、これまでの事実を認識することは科学の行為であると云う。 それによると、欧米中と比べて日本は規制をする状況では無いと云っています。万単位の欧米と百人単位の日本とでは違いがあると、グラフの斜線の傾きも大きな違いがある。なぜかこの様な見解は知られていない。 いろんな賢智を知っておくことは大事である。

そうは言っても、限られた人生で都合よくヨットをやる理由探しをしている「自分」なのかかもしれません。


    2020-4-7



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2020年02月13日

倉敷散歩 まとめ


  倉敷散歩のまとめページを作成しました。

  http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank048.html#Top

  随時更新していきます。

   2020-2-13


  
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2020年01月25日

仙石秀久





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 1552-1614


昨年に香川県の引田城備中高松城を訪れた時に、それらは仙石秀久に関連しているので小生は興味を持つた。今年は埼玉県鴻巣において彼が亡くなり、彼の墓が勝願寺にあることを知ったので訪れてみました。

 仙石秀久は美濃に生まれて、その地の土岐、斎藤3代につかえた土豪の4男である。斎藤氏が信長に敗れて、信長に仕えることになる。秀吉の寄旗として少年のころより仕えた。
 秀吉の昇進と伴に彼は大きくなり讃岐1国を任されるまでになる。九州成敗で失敗して改易追放となった。小田原成敗で功成り秀吉に復帰する。関ケ原では家康につき、秀忠に真田との上田城の戦いで認められて、秀忠将軍の下では譜代並みの好待遇を得た。 仙谷秀久は信長・秀吉・家康と3英傑に仕えた戦国武将である。


  年譜

1552・天文21  美濃土豪仙石治兵衛久森の4男として誕生
1567・永禄10  信長より秀吉の寄騎に任命
1574・天正2  1000石
1578・天正6  4000石
1582・天正10  備中松山城の水攻めで布陣、光秀との山崎の戦いで淡路平定に貢献、鹿ケ谷の戦いで淡路に出向く、小豆島を占拠、讃岐引田に上陸、引田城入城、
1583・天正11 長曾我部により引田落城し敗走、淡路5万石を拝領し洲本城へ
1584・天正13 四国攻めの恩賞で讃岐1国を受領、高松城入城
1586・天正14 九州成敗で四国の軍艦として豊後府内に着陣、戸次(へつぎ)川の戦いで島津に敗戦し改易高野山へ追放される
1590・天正18 小田原成敗で旧臣20名を率いて奮戦して許される。小諸に5万石を得て復帰。
1592・文禄元年 朝鮮出兵で名護屋城の築城で功績
1594・文禄3  伏見城築城で貢献して5万7千石、
1598・慶長3  秀吉死去、家康へ接近
1600・慶長5  秀忠の上田城攻めで自分を人質に関ヶ原に向かうよう進言、秀忠の関ケ原遅参を執り成す。秀忠が将軍となると重用される。
1614・慶長19  鴻巣で死去。


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 勝願寺   埼玉県鴻巣市


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 仙石秀久墓


    2020-1-25


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2020年01月22日

(東)松山城 (武蔵国)

 
 愛媛の松山城、備中松山城に続き武蔵の松山城をここに取り上げます。
戦国時代に扇谷上杉(おうぎやがつ)氏と古河公方上杉氏、山内上杉氏、北条氏とのこの城をめぐって争奪戦があった。上杉謙信がここを奪取し、これを武田信玄と北条氏康の連合軍が陥落させた。秀吉による小田原攻めの際に前田利家・上杉景勝がここを攻め落とした。これらのように戦国武将の有名人がこの城で戦った。

 5年ほど前にも訪ねましたが、それ以来にこの城の整備保守はすすんでいないようです。学術調査も2度行なわれたようで、それによる違いの有る案内板も2種見受けられる。あまり良く整備されていないので他の曲輪を探すのには苦労する。この城は2500人ほどが籠城して戦った規模であるので空堀に囲まれた曲輪が見ることができる。近世の石垣が取り囲む城ではない。現状の縄張りは後北条氏によるものとされる。1601年に家康により廃城となる。



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 曲輪図



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 旧調査と思われる案内板 曲輪の名前と配置に違いがある?





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 左は市ノ川 右は松山城


 本曲輪、2の曲輪、3の曲輪、4の曲輪と並んでいる。土橋で連結されていたという。




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 本曲輪  45m四方




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 2の曲輪 本曲輪を囲むようにコの字型をしている




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 3の曲輪  東西18m、南北60mの細長い




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曲輪4  東端にある




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兵糧倉  本曲輪の北西、 東西20m 南北45m




 岩屋堂観音堂があり四国巡礼めぐりがここだけで出来るという。この奥に搦手道があったと伝わるが崖が急峻で上から眺めてみたが、とても下り降りて行くことは出来なかった。







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 岩屋堂観音  奥に搦手道がある


   2020-1-22


船中発策  城廻り
 http://hayame.net/custom27.html






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2020年01月19日

下津井瀬戸と水島航路の横断



 瀬戸内海をヨットにて通航をする場合は、東航・西航するには備讃瀬戸や下津井瀬戸のいずれかを航海することになる。 バブル華やかしころに本船乗りをしていて、夜の宇高連絡船との行き会いは今思えば、美しくもあり緊張を伴う悩ましいものでありました。 宇高連絡フェリ−は昨年廃止されたので宇高東・西航路を航行する船は今では少ないでしょう。 当時はひっきりなしに連絡船が行き来していて、おまけに備讃瀬戸航路上にも同行・反航の内航船がゴマンとジュジュつなぎに航行しており大型船にとっては大いに注意を要した。



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 備讃瀬戸東 宇高東・西航路


 ヨットマンの聖地と呼ばれる弓削海の駅に立ち寄るヨットは多いでしょう。そこへ瀬戸内を西航する場合には、下津井瀬戸を利用できます。備讃瀬戸航路航路経由で行くときには大型外航船が多いので、それを避けたいと思うときに小型内航船の多い下津井を利用する。 下津井瀬戸は潮流が最大10ノットにのぼる時があるので流速には留意する。そのことよりも大きな問題は水島航路を横断通航することになるので、大きな注意が必要です。ここさえ抜ければあとは比較的容易に弓削に行けるでしょう。


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 下津井瀬戸と下津井瀬戸大橋


  航行・横断注意点

1. 水島航路には巨大船が航行する。進路警戒船が先導している。
2. 水島航路を横断した後でも六口島北東方向から倉敷港を出港して水島航路を通航しない本船がある。
3. 荷役待ちの錨泊船が多い。
4. 土地柄か引き船やプッシャ-が多い
5. 水島航路上船舶は優先される。こちらは航路横断船になる。行き会う船をすべてを避けるつもりで航行し、速度を調整するなどして特に航路中央での行き会い状態を避ける。
6. 70m以上の本船は行き先信号をマストに掲げている。信号所で出港・入港信号が点滅表示される。VHFでこちらに管制センタ−より指示があるときもある。VHFを備えている場合には聴取のこと。
7. 追い越される船になることが多いので追い越し船の追い越し信号に注意。後方は要注意。
8.衝突を回避するために相手船と左舷対左舷、右舷対右舷で航行する意思を早めにこちらが変針して伝えることが重要である。


 一時的にここを通航するヨットにとっては、この海域の海上交通法による法規を習熟するのは難しいでしょう。 ヨットにとって通航する際には空いたタイミングを計り通航する。また、多数の船が見えている場合でも衝突の恐れがある船は1隻であることから、それを避けていくことにより危険度の大きい船より順次対処することになる。 

 ヨットが優先権を主張してもしょうがない。何かあれば、小さいこちらに被害が及ぶだけです。


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 赤線は下津井瀬戸より水島航路横断


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行き先信号旗 汽笛を鳴らす地点 詳細は海上交通法による

 弓削から東航する場合には与島・500円と本島・笠島地区・1000円がおもしろい停泊地になる。


  2020-1-19



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2020年01月15日

海上 橋高情報



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 カタナ70  隣の我がヨットのマストと比べて倍の高さのマストですね


 「ヨットマンの聖地」と呼び声の高い弓削海の駅で70f余りのカタマランが隣に係留していました。マストの長さだけでも80f以上はあると思われる、このカタマランの米国人の青年キャプテインに、弓削島近辺の橋を通航できるのかと尋ねたところ、ほとんど不可能とのことでした。橋の架かっていない水路を航送するしかないようです。このクラスだと本船航路しか走れないのでしょう。

 チャ−トには橋の高さは記載されています。GPSの普及した今ではその一部しかヨットは持ち合わせていないので、事前にその橋の高さを知るのは難しい。 保安庁に電話して聞くのも厄介です。 橋に接近すれば橋桁の中央部分には海面からの高さの数字が書かれているのでそれをを知ることができます。 それゆえに速度を落として進み、ブリッジクリアランスより橋が高くなければUタ−ンするしかありません。

 最近では本船が大島大橋に衝突した事故がありました。
 大畠瀬戸 貨物船と橋の衝突
 http://hayame.net/custom14.html#spb-bookmark-535

 日本1周を何度もされた超ベテランヨットマンの伊藤さんが役に立つ橋高をまとめてくれました。
 
 橋の高さ グ−グルマップ
 https://blog.goo.ne.jp/oni2134/e/ceb5a7c6d4efddeb76d9c9a1cfe4fa11

   2020-1-15
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