
アヘン戦争
1877年(明治10年)12月に発覚したイギリス人商人ジョン・ハートレー (John Hartley)による日本でのアヘン密輸事件である。英国領事裁判法廷は彼に無罪の判決を言い渡し、関連法令にも違反していないとの判断を示した。 それにより、明治政府は列強の治外法権に対して条約改正を求めるため、鹿鳴館外交や欧化政策が進められる端緒ともなった。 ハートレーは、翌1878年1月8日に再び吸煙アヘン12斤を密輸しようとしている。 隙あれば持ち込もうとする英国悪徳商人である。
なぜ日本にはアヘンが入らなかったのかは「なぞ」である。 アヘン戦争・1839年の後に1862年幕府視察団の随行員として高杉晋作や五代友厚は上海へ渡航します。彼らはその戦後の上海をつぶさに見て後に生かすことになった。 また、佐久間象山もこれを深く研究することになる。 日米通商航海条約でハリスの提言で「アヘンの輸入禁止」条項を条約に持ち込み、後の諸外国の条約にもこの条項が入っことにより、日本にアヘンが流行ることがなかった。 下記に良くまとめてある動画があります。
なぜ日本ではアヘンが流行らなかったのか?
https://www.youtube.com/watch?v=CfQYa-llR50&t=99s
領事裁判でハ−トレイ事件のように無罪になっても、上告して本国で裁判を受けねばならずに、日本の原告には厳しい事態が続いた。 のちに検疫の問題で1879年ヘスペリア号事件が起こる。 法権の回復がなければ国家の威信も保たれず、これらの事件は国民の安全や生命も守ることのできないことを国民が知ることになる契機となり、列強の治外法権に対して明治政府は条約改正を求める強い欲求となった。
2025-4-3
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