2021年06月24日

砥石城 と 乙子城



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 砥石城へは岡山からJR赤穂線に乗り大富駅で下車して徒歩で30分ほどで行けた、標高100mの本丸へ上り、千町川に沿って高取山城の登山口まで歩き、そこで足が痛くなりタクシ−を呼び乙子城兵へ行き、帰りは再びタクシ−にて西大寺駅まで乗車した。

 タクシ−はグ−グルマップの音声検索で「近くのタクシ−」で電話して迎えに来てもらった。ヤットこの技を覚えた。しかし徒歩で歩けず年には勝てないのであろうか。



  砥石城


 徒歩での城廻は思わぬ場所にぶつかることが有る。 仁生田(荷蓋・にぶた)の攻防戦の地を見つけた。 宇喜多直家は浦上宗景に仕え戦功をあげて乙子城城をもらった。 1535年 砥石城主浮田山城守に謀反の様子があり宗景はこれ討つように命じた。 乙子城と砥石城の戦いは3年余りも続き、この地で合戦が行われたという。 直家は天神山勢とともについに砥石城を落とした。



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 仁生田(にぶた)合戦の地



 

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 千町川より砥石城を望む


 入り口から100m余りを歩くのだが、藪はないけれど石のゴツゴツし道になり、下りるときには滑りやすく適当な枯れ枝を使うことになった。

 

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 砥石城 入り口標識




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   砥石城  縄張り



 千町平野には備前国で栄えた西大寺や福岡の町がある。



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  本丸から見た千町平野



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  本丸







   高取山城

 1534年に砥石城主宇喜多能家(よしいえ)を高取山城主の島村豊後の上が夜襲で攻め滅ぼした。

 

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  高取山城 入り口


  今回は足のスネに痛みがきたので、入り口までで高取山城へ行くのは断念した。






  乙子城(おとご)


 吉井川河口部東岸、岡山市乙子にある。かつて児島は瀬戸内海に浮かぶ島であり、児島と岡山平野の間は、吉備穴海といわれる内海であった。

この内海は九州と畿内を結ぶパイプであり、源平の争乱の舞台にもなる重要な航路であった。乙子城は、この内海の東の入り口を押さえる拠点で

もあった。

 


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  戦国時代の乙子城 周辺図



 宇喜多直家は武功により宗景より新庄山城を与えられてここより移る。 そこから沼城、 岡山城と 大名に出世していく初めの城が乙子城である。





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  乙子城  登り口



 案内板に沿って登って行くと乙子神社に出る。神社にも案内板があり、進んでいくとお墓の中を登っていくようになる。

構わず進むと本丸へたどり着く。



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 乙子神社   2の丸だったともいわれる





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  本丸





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  乙子城 縄張りと古図



 帰りは吉川沿いの手すりと階段が整備されている道を下った。 こちら側が便利な世紀の進路のようだ。





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 この石垣は城に関係あるかどうかは不明





       2021-6-24
posted by 終活・克ヨット at 13:04| Comment(0) | 日記
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