因島の城 その1 美可崎城・手守城・島前城

美可崎城、千守城、島前城
ヨットを係留した弓削海の駅より船に積んでいた自転車で因島城探索に出かけた。 上弓削よりフェリ−にて(自転車100円)因島家老へ渡る。

上弓削の因島家老間の上弓削 フェリ−乗場
美可崎城
因島東岸を走って地蔵鼻へ向かう。そこは恋人たちの聖地とかであるが、今回はそこにはいかず岬の先端に美可崎城を訪ねた。

美可崎城の入り口ゲ−ト

美可崎城図

本丸へ

本丸から向島を望む

美可崎城 船隠し
美可崎城は因島村上海賊の家老南氏が金山氏に通行料を徴収するための見張り城であった。 鞆の浦や尾道からの船を見渡せる位置にある。
石田造船のある道を登ってきたのだが、ここの帰りは反対側の道を一気に下って降りた。
千守城・ちもりじょう

千守城
近くの千守城に向かう。なかなか登城口が分からず、いつものように地元の数人に尋ねた。安楽寺の傍から登って行く。気を付けていくようにと注意を受けたが案外と険しいものではなかった。 標高79mの地に本丸を囲んでほぼ円状に4段に築かれている。石垣の残っているものと井戸を見つけた。 山頂の本丸には社が祀られている。
南北朝の時代に竹原小早川氏の一族が居城し、戦国期には因島村上氏の家臣篠塚貞忠の居城という。

安楽寺

縄張り図

石垣

井戸

千守城本丸からの眺望
島前城と亀島城(出城)
因島南部に東岸から西岸へ島を横断する道路があり、そこを自転車で走行する。 途中大山神社がありガソリンスタンド横に釣島箱崎浦の合戦跡の碑を見つけた。 釣島は今は鶴島と呼ばれている。 新居浜大橋で述べた村上海賊の祖が死亡して娘婿と言われる今岡通任が因島へ進出、島前城に本拠を構えた。 信濃の国より村上師清は瀬戸内に下向した。讃岐塩飽を支配し能島に進出。
鶴島箱崎浦の海戦で勝利して因島に上陸し今岡方の武将を破り義弘の明晰を継いだ。この村上師清が能島・来島・因島の村上海賊の祖となる。


釣島箱崎浦合戦地図
いつものことであるが、ここもたどりつくにに苦労した。すぐ横の崖の上にあるとわかっているのだけれど何人かの人に尋ねた。
ここだと思って登って行った山は隣の山だったようで藪を書き分け書き分けて行ったところはテレビアンテナを引いているだけの山頂であった。

間違えた登山口

島前城跡配置図。田中稔「因島史考」による
因島市民会館と芸予文化情報センタ−(図書館)で尋ねて図書館の横の階段を上った空き地だとわかった。

海岸道路から見た島前城

本当の入り口 土生町図書館横

本丸

北西方を望む
島前とは海峡を挟んで亀島がありそこに出城の亀島城があったがゆえの名称であろうか。

亀島城
2021-1-16