
赤星印はヨット係留港
新居浜大島に行きたかった。 2020年秋のクル−ズの目玉として期待した。 村上海賊の発祥の地である。 村上義弘がここ大島城に拠点を築き、そのご発展して伊予大島に本拠を移した。瀬戸内の地図を俯瞰すればより適地を選んだということであろう。

瀬戸内海賊拠点

案内図と地図番号
C 村上邸・ 庄屋跡・1360年頃 村上義弘活躍
H この北に船隠し・ 水軍船つなぎ場
O 大島城本丸
P 城の鼻・ 大島城出城
この時まではGoogl mapでの城跡さがしの欠点を承知しておらず、点線で示される城跡までの山道を探すことになる。二の丸跡へ行こうとするがすぐ横の海岸道を歩いて来たが登山口は見つけられない。 近くの観音堂へ行ったが、そこは城の鼻の出城であると後に分かった。

写真右は海岸で左は山崖でその奥が二の丸跡

観音堂

城が鼻
近くの老人を見つけてお城のことを尋ねてみた。 子供のころは本丸跡で遊んだとのこと、人口が少くなって耕作放棄するようになり、そこは農地であったが今はとても行けないだろうとの返答を得た。 それゆえに二の丸と本丸を分ける山道が有りそこへ行ってみた。

写真右は二の丸で左は本丸
古くから開けた連絡船乗場のある集落に行った。 村上義弘ゆかりのこの島の庄屋邸・村上邸を見る。そこの当主と思われる人が出て来られたのでその尊顔チラと拝見した。信長の子孫のアイススケ−タ−の顔が現存する信長肖像画にその面影があるように見えるのだが、失礼ながらそうであろうかと勝手に想像した。

村上義弘邸跡
船隠し跡など島の北側にあるけれども陸路から行くのは困難で、ヨットで行くにも水深の確認を要するので断念した。
2021-1-8
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