小曾根乾堂宅跡と弟の小曾根英四郎墓を訪ねました。長崎出島ワ−フのヨットハーバーに停泊していたので、そこから徒歩10分位です。市電大波止ないし賑橋停留場より徒歩5分ほどにある。建物は残っていなくて法務局の一角に石碑が残っているのみです。
そこには、なぜか龍馬の連れ合いのお龍さんの月琴の像がありました。 お龍さんは8か月小曾根邸に滞在した。その時に長女「きく」さんから月琴を習ったそうですが、短い期間であったので名手になったわけではないと思いますけれども。
お龍さんと月琴の像、 乾堂の長女キクが教えたという.
高知県芸西村教育委員会主催のイベントで月琴を奏でて、「面白き女と妙な男の夫婦物語」がおこなわれた。
月琴での龍馬の手紙 高知県芸西村
小曾根乾堂 1828-1885
小曾根乾堂はレオナルドダヴィンチタイプの万能文化人で絵画、書画、篆刻(御璽・国璽)、陶芸(亀山焼)、音楽(月琴)、など業績を残している。 彼の墓地は晧台寺にある小曾根家墓地ではなく太平寺の墓地にあるという、今回は訪ねておりません。
彼は次の言葉を残したといいます。冷静に維新を眺めて政府の高官になることは無かった。
「冷眼視世(れいがんしせ)」”冷めたまなこで世の中をみよ”
小曾根英四郎 1840-1890
勝海舟と弟の英四郎は海軍伝習所で同窓であった。元治元年・1864に龍馬と勝の紹介で会っている。英四郎は海援隊に入る。いろは丸の衝突事故の際には乗船していて紀州藩との交渉に活躍したといいます。龍馬が死んでからは世界の海援隊は夢と消え、明治になってから幕府が薩長土肥に代わっただけです。彼は不満を持って生活していて、酒色に溺れたといいます。妻は実家に帰り、孤独な晩年を過ごした。
彼のお墓を見て来ました。 有名な眼鏡橋から山の報に登ったところに晧台寺(こうたいじ)があり、そこに墓地の所在の案内板があり英四郎の墓に行くことができる。小曽根家の墓地内に近藤長次郎の墓もある。
晧台寺
小曾根英四郎墓
近藤長次郎墓 右隣は小曾根英四郎墓
近藤の墓は別にあったが良き保存のためにここへ移築された。墓碑名は龍馬の字だという。
幕末長崎関連地図
龍馬の最後の4年年表 大竹仁一さんによる
http://www.gajoen.jp/ryoma_den.html
2018-8-19