2018年08月05日

小倉城


 新門司マリ−ナからタクシ−で山越えをして門司港に出る。そこからJRで小倉まで。小倉城を訪ねる。

 現在残っている規模の小倉城は細川忠興が造る。 天守閣の屋根に破風が無く唐造りと呼ばれる。(破風は今でいうド−マ−のようなもの)

 14世紀から大内氏、菊池氏、高橋氏、毛利・森氏、の持ち城となり関ケ原の功で細川氏のものとなる。細川氏が熊本に転封になった後は譜代の小笠原氏が幕末まで続く。 天保8年・1837に天守と御殿が焼失。

 幕末に第2次長州征討で高杉晋作に攻められてあっけなく開城して逃げ去ったのは不思議である。それなりの本丸・松丸・北の丸・2の丸・3の丸を持つ総構えの城であったのに。
幕臣の志気が低かったということでしょう。


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 復元天守には 大入母屋破風、千鳥破風、唐破風がついている。


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 西の口門


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 鉄門跡 一般家臣のと城門、 旧第12師団司令部正門


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 着見櫓 現在は漬物店が入居


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 大手門跡

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 堀


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 下屋敷の場所にできた庭園と書院を復元した。


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 りゅう弾砲


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下関厳島神社にある太鼓 高杉晋作の戦利品


  2018-8-5



posted by 終活・克ヨット at 05:13| Comment(0) | 日記
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