平戸はヨットで訪れたが住んでみたいと思わせるような街であった。
平戸は観光バスでもヨットでも訪れると、徒歩で回れる素敵な観光地です。行政も電柱を地中化するなど景観に配慮をしていて、力を入れているのが感じられます。

平戸は遣唐使や空海渡海の時代から日本の出入り口を担った歴史があります。 フランシスコ・ザビエルが平戸に来て布教をした。 来航記念教会がある。

ザビエル記念教会
ポルトガル人との宗教と貿易との諍いで、宮の前事件がおこり、ポルトガル船は横瀬浦に去る。 松浦鎮信が家康より6万3千石が安堵され、松浦藩が確立。 オランダとの国交が1609年にされ、平戸に商館を設置。 1641年に長崎出島に移転まで続く。 オランダ塀、オランダ井戸、オランダ埠頭、護岸石垣など遺構が残る。 吉田松陰が平戸を訪れた時に14−5隻の唐船を目にしたと記していることから、平戸において中国との交易は幕末まで続いた模様である。

宮の前事件がこの先でおきたという 案内板あり

オランダ商館

オランダ井戸跡

オランダ塀

オランダ商館倉庫跡 平戸川内町 平戸より バス10分

英国商館跡の碑
オランダ船リ−フデ号は豊後に漂着した。ウイリアム・アダムスこと三浦按針はその船の航海士で250石の旗本に取り立てられた、家康亡き後は不遇で平戸で死去した。

三浦按針の館跡 お菓子処 カスド−スで有名

三浦按針終焉の地

三浦按針の墓

松浦資料博物館 500円 陣屋跡
山鹿流兵学の祖。山鹿素行の孫が平戸藩に仕えた。 吉田松陰は兵学師範の家を継いだために、修行のため平戸へ行く。 山鹿流軍学の家元へ入門する、彼は50日滞在したようであるが、陽明学の葉山左内の蔵書を読んで過ごしたという。松浦博物館には山鹿流陣立ての屏風が展示されていて興味深いものであった。

吉田松陰宿泊紙屋跡
2018-8-1
三浦按針
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