
龍馬の海援隊根拠地である亀山社中跡を見に行く。長崎によくある坂道を登っていかねばなりません。 行ってみると、想像していたより小さな建物でした。 隊員がこの部屋に集まれば、さぞかし狭かったことだろうと思われます。 今と違いバスや車で行くわけにもいかないので、船着き場や倉庫から、ここへ行くには坂道で徒歩30−40分といったところでしょう。
記念館の展示には龍馬が着た黒紋付、今見ても良い生地・絹でしょうか、仕立てられています。また月琴がありますが妻・お龍さんが使用した楽器なのか不明です。
年表によると亀山社中が出来て2年、海援隊になって1年で解散ですので、幕末の極めて短い間のことであったと分かります。
龍馬・亀山社中・海援隊年表
元治元年・1864 2/24-4/4 龍馬は勝海舟の長崎出張に同行し、長崎滞在
慶応元年・1865 夏頃 亀山社中結成
7月−10月 薩摩名義でグラバ−から小銃や艦船を購入長州へ輸送
慶応2年・1866 1/21(22) 薩長同盟締結
1/23 龍馬は寺田屋で負傷、近藤長次郎は小曾根邸で自刃
3/8 薩摩船で鹿児島に向かう途中に長崎に立ち寄る
5/2 ワイル・ウエフ号が五島で遭難、池内蔵太・黒木小太郎ら死亡
6月上旬 妻・お龍を小曾根家に預ける
6/17 下関で長幕海戦に参加
慶応3年・1867 1月上旬−2月下旬 後藤象二郎と会談 、脱藩許されてる。
2/10 お龍を下関伊藤家に預ける
2月頃 土佐商会開設
3月 岩崎弥太郎が長崎に来る
4月上旬 海援隊発足
4/23 いろは丸が紀州藩船と衝突沈没
5/29 いろは丸賠償決着
7/6 イカルス号水夫殺害
9/10 イカルス事件 おかまいなしの裁定
9/14 オランダ商人から小銃1300挺購入
10月 大政奉還
11/15 近江屋にて龍馬死亡
慶応4年・1868 1/14 長崎奉行が脱走、海援隊奉行所西役所を占拠
沢村惣之丞自刃
4月 土佐商会閉鎖
閏4/27 海援隊解散

亀山社中 玄関

龍馬着用紋付

月琴など展示物

龍馬のブ−ツ像 このブ−ツを履いて眼下の長崎を眺める

土佐商会跡 市電西浜町ア−ケ−ド前停留所脇
2018-7-20
海援隊士
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