2018年07月20日

亀山社中・海援隊


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 龍馬の海援隊根拠地である亀山社中跡を見に行く。長崎によくある坂道を登っていかねばなりません。 行ってみると、想像していたより小さな建物でした。 隊員がこの部屋に集まれば、さぞかし狭かったことだろうと思われます。 今と違いバスや車で行くわけにもいかないので、船着き場や倉庫から、ここへ行くには坂道で徒歩30−40分といったところでしょう。

 記念館の展示には龍馬が着た黒紋付、今見ても良い生地・絹でしょうか、仕立てられています。また月琴がありますが妻・お龍さんが使用した楽器なのか不明です。

 年表によると亀山社中が出来て2年、海援隊になって1年で解散ですので、幕末の極めて短い間のことであったと分かります。

 龍馬・亀山社中・海援隊年表

元治元年・1864 2/24-4/4 龍馬は勝海舟の長崎出張に同行し、長崎滞在
慶応元年・1865 夏頃 亀山社中結成
       7月−10月 薩摩名義でグラバ−から小銃や艦船を購入長州へ輸送 
慶応2年・1866 1/21(22) 薩長同盟締結
        1/23  龍馬は寺田屋で負傷、近藤長次郎は小曾根邸で自刃
        3/8 薩摩船で鹿児島に向かう途中に長崎に立ち寄る
        5/2 ワイル・ウエフ号が五島で遭難、池内蔵太・黒木小太郎ら死亡
        6月上旬 妻・お龍を小曾根家に預ける
        6/17 下関で長幕海戦に参加
慶応3年・1867 1月上旬−2月下旬 後藤象二郎と会談 、脱藩許されてる。     
        2/10 お龍を下関伊藤家に預ける
        2月頃 土佐商会開設
        3月 岩崎弥太郎が長崎に来る
        4月上旬 海援隊発足 
        4/23 いろは丸が紀州藩船と衝突沈没
        5/29 いろは丸賠償決着
        7/6  イカルス号水夫殺害
        9/10 イカルス事件 おかまいなしの裁定
        9/14 オランダ商人から小銃1300挺購入
        10月 大政奉還
        11/15 近江屋にて龍馬死亡
慶応4年・1868 1/14 長崎奉行が脱走、海援隊奉行所西役所を占拠
           沢村惣之丞自刃
        4月 土佐商会閉鎖
      閏4/27  海援隊解散



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 亀山社中 玄関


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 龍馬着用紋付


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 月琴など展示物



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 龍馬のブ−ツ像   このブ−ツを履いて眼下の長崎を眺める


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 土佐商会跡  市電西浜町ア−ケ−ド前停留所脇


   2018-7-20

海援隊士
 http://hayame.net/custom32.html#spb-bookmark-503






posted by 終活・克ヨット at 07:40| Comment(0) | 日記
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