2018年07月09日

石光真清記念館

 お見舞い
 今回の九州・広島・岡山・愛媛などの大雨による被害を受けられた方に、心よりお見舞い申しあげます。
 いずれも、広島にヨットをオ−ムポ−トとして、そこへヨットで訪問してお世話になった方々です。


石光真清記念館

 梅雨と台風ゆえに長崎よりのヨット南下クル−ズを断念して、JRで熊本に行ってきました。熊本城と石光真清記念館を訪ねました。

 熊本地震で被害を被ったと聞いていた、石光真清記念館に行く。熊本城を見た帰りに市電・呉服町で降り、そこへは橋を渡って5分ほどです。帰りは熊本駅へ徒歩10分で着いた。

 市役所が、日曜日にて休みでしたので、見学できるか不安がありました。現地に掲示されている他の番号に電話して、館のカギを開けてもらい見ることができた。(見学には連絡が必要です)

  熊本市 文化復興課  096-328-2039
  株)ホ−ムセキュリテイ熊本  096-322-2000

 地元ボランテイアが運営や保守に協力しています。よく建物はリフォームされて震災を乗り越えたように見受けられました。


ishimitu.png
石光真清 1868-1942

zyouka.png
著作4部作の第1巻「城下の人」

 小生が20代の時に石光真清の4部作を読み、いたく感動する。 著者が育った熊本の家へ、71才になって行くことができました。思わず「やっと来たかあ」とつぶやいてしまいました。
この敷地は藩から拝領したもので、大きな欅があり、それが産物方頭取であった父の自慢だったという。現在はその大樹は見当りません。多分もっと大きな敷地であったのでしょう。

ishimitu 01.jpg
記念館


ishimitu 03.jpg
1階 その1


ishimitu 04.jpg
天井板 1階に置かれている

  訪問者名簿に署名した。先の人が1か月ほど前の日付けであったことから、さほど世間では注目されてはいないようだ。 ぜひとも4部作をお読みになり、ここをお尋ねになったらよかろうかと。 日露戦争も明治の世も、人知れず頑張ってくれた人が、いたからこそである。


ishimitu 05.jpg
1階 その2、 
ここに大の字になって寝ころび、しばし思いにふける

 
ishimitu 06.jpg
2階

「城下の人」の始めには、幼少のころの記述があり。士族反乱の先駆けとなった新風連・敬神党の乱や西南戦争の記述がある。そこには、子供の作者が賀屋先生から、熊本城が出来たいきさつを石に腰かけて聞く話があります。新風連の領袖の賀屋は子供たちにやさしく接した人物だと分かります。 熊本城内には新風連の乱の石碑がありました。
 
ishimitu sinnpuu 01.jpg
神風連・加屋霽堅(かやはるかた)、斎藤求三郎が戦死した地の碑

 神風連の乱は明治9年に廃刀令が発布された。これに反対して太田黒供雄ら170名が反乱して、熊本鎮台を襲撃した。その法令は刀の帯刀を禁じたもので所持・所有が禁じられたものではない。しかし帯刀することで武士身分であることの象徴であったので強い反発を受けた。 鎮圧後には返って刀を袋に入れて持ち歩く姿が増えたという。


   2018-7-9

 石光真清の年譜


posted by 終活・克ヨット at 03:24| Comment(1) | 日記
この記事へのコメント
終活にしては、歴史探索の旅、うらやましいです。
時折、読ませていただいております。

私も、岡山県内の島々を、29Ftでデイクルーズに誘っていただいております。
やはり、我々の年代になると、歴史に惹かれるところがありますね。

また嫌な奴が来ますね! ご安航お祈りします。
      岡山県 津山市
Posted by 英樹です! at 2018年10月03日 21:02
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: