2018年07月07日

野村望東尼


 
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 1806-1867

 歌人であり高杉晋作らの志士を助けた人、 野村望東尼を訪ねて福岡にある平尾山荘と糸島市・姫島に行く。
 彼女が便宜を図った志士には、月照・高杉晋作・加藤司書・平野国臣・月形洗蔵・中村円太・早川養敬らがいる。匿われた後に晋作が功山寺挙兵をなしとげ、停滞していた維新の動きは一挙に転換した。
 望東尼は晋作の手配により流刑から救出される。彼女は病にあった晋作を看病し、彼の最後を看取ることになった。

 有名な晋作の歌、 「おもしろき事もなき世におもしろく」と晋作が読むと、彼女が続けて「住むものは心なりけり」と詠んだ。 また、晋作を匿っているころの歌に 「雪ふかき 雪のうらなる 梅の花 埋もれながらも 香やはかくるる」 梅の花とは、当時、晋作は谷梅之助と名乗っていた。 薩長同盟がなり長州の三田尻で連合軍東上を見送る最後の歌、「冬籠 こらえてこらえて 一時に 花咲みてる 春はくるらし」

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 野村望東尼像

 福岡市中央区にある平尾山荘を訪ねてみた。天神から西鉄に乗り、平尾駅で下車。すぐにわかるだろうと店の人や近くの住人に尋ねたが、さっぱり要領を得ず。地名にもマンションの名前にも平尾山荘と命名されていても、野村望東尼のことは、地元の人にも、意外と知られていないと思いました。
 坂道の多い丘陵地にあるので、隣の道に行くにも坂を下りて登らなければならない、大汗をかいてやっとたどり着く。  

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平尾山荘

 山荘の敷地内に小詞があり、この祠の中に平野国臣、中村恒次郎の歌がおさめられている。

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小詞の石碑 

 姫島は玄界灘にあり、糸島市に属する極めて小さい島です。1日4便の渡船がある。渡船乗り場から徒歩5−6分で案内板に導かれて望東尼牢獄跡へ行くことができます。

 実弟がかってこの島の役人を勤めたことがあり、島人より丁重な扱いを受けたという。
  「折々の あまがもてくる 花の枝に 重なる春の 日数こそ知れ」

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ヨットより姫島を望む


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牢獄跡

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自筆の獄中図

 年譜
1806・文化3  400石・浦野重右衛門勝幸の3女「もと」として誕生
1818・文政元年  13歳、 林五左衛門家に行儀見習い
1822・文政5  17歳、 郡甚右ヱ門に嫁ぐも半年で離婚
1829・文政12  24歳、野村新三郎貞貫と再婚、3人の連れ子 
1832・天保3  大隈言動(和歌の師匠)の門下に入る
1845・弘化2  40歳、平尾山荘に隠棲
1859・安政6  54歳、 夫死亡、剃髪して受戒
1861・文久元年-2 大阪・京都に滞在、島津久光上洛や寺田屋事件を見聞
         その後に勤王の志士をかくまう、密会の場所を提供
1864・元治元年 高杉晋作が平尾山荘に匿われる 
1865・慶応元年 乙丑の獄により野村助作・前妻の孫と共に自宅謹慎になり、姫島に流刑
1866・慶応2  高杉晋作の手配により姫島より脱獄、白石正一郎宅に匿われる
1867・慶応3  晋作の看病をし彼の死をみとる。11月 62歳で死去


   2018-7-7


posted by 終活・克ヨット at 01:03| Comment(0) | 日記
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