2016年12月05日

阿月と浦元襄(うら もととし)


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 阿月 市街地

 柳井市にある 阿月に行きました。 バスも柳井市から二時間に一本くらいしかない不便なところです。 それゆえ町に不思議・なつかしい静寂があります。車も人も見当たりません。

 それでも、ここには幕末の多くの人材を輩出した学校がありました。領主であった浦元襄・浦靱負(うら ゆきえ 通称)が克己堂を作った。赤根武人・芥川義天らが学び世良修蔵が教鞭をとった。

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 克己堂 正門


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赤根武人 屋敷跡
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 赤根武人 奇兵隊総督


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芥川義天(第二騎兵隊書記)の生誕地 円覚寺

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世良修蔵宅跡

 赤根武人のお墓があるということで、バイパスを抜けて看板の案内をたよりに山道を登ってさがしてみたが見つかりませんでした。ほとんど人が通わないような道で蜘蛛の巣が張っていたり倒木があったりする道です。やっと見つかった畑作業をしている人にたずねても知らないとのことでした。 山根武人は奇兵隊総督をつとめながらも意見の相違で打ち首になった人ですので、地元でも大事にされていないのではと思われます。世良修蔵も官軍の実質的なトップの位置にありながら暗殺された人ですが、後世の作家のわざとの演出による不人気かと思います。赤根や世良ご両人はもっと正確に歴史認識されてもよいでしょう。
 それにしても今でもこのような寂れたといっては失礼ですが、小さな町より偉人が出たということは良き指導者・月性・浦靱負がおれば、もちろん吉田松陰しかり、人材はでてくるものだとつくずく思わされます。本当に自分の住んでいる町内レベルといっても言い過ぎでないでしょう。

    2016-12-5




posted by 終活・克ヨット at 05:34| Comment(0) | 日記
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