
初代速魚
友人と地中海で乗っていたのは25年ほど前です、その時は2人以上で乗っていまし
た。 今度、ほぼ39年以上前を最後にして、それ以来のシングルハンドでヨットに乗りまし
た。 ここでのお話は、日露戦争の元勲が維新のことを語るようなものです。 注) もちろ
ん爺は元勲ではありません、
それほど時間が経ったということです。
確かに初代速魚の当時は、ジブファ−リングなし、オ−トパイロットなし、GPSなしのアナログヨットの
時代でした。 船検も無いのは良かったことですが。
69近くになってヨットを買い、おまけに左手は90度くらいしか上がらない、軽度の身体
障害です。 メインハリヤ−ドとメインセ−ルをシャックルでつなぐには、高さが背伸びして
も足りなくて、お風呂の座椅子をマスト前に置いてその作業をしています。
北木島に練習クル−ズとして、前のオ−ナ−と行ったときには、恥ずかしくも桟橋へ渡る
ときに見事にコケてしまいました。 前途多難を感じました。
4月くらいから一人で出るようになりました。 若い時には着けもしなかったライフジャケ
ットを今では着けます。 まあ瀬戸内の落水は船の通行が多いので、見つけてもらえるケ−
スが多いという打算もありますが。
シングルハンドに戻って感じることは、年老いたこと、研鑽を怠ってきたこと、乗船してい
なかったことなどで錆びついてしまい、往時の3−4割の能力しかないなとわかったことでした。
6月−7月に岡山と広島に行ったことで、やっと半分くらいになったと思えました。
これは、ひとえに前オ−ナ−のご指導のたまものです。
改造や整備などいろんな面で大変お世話になり感謝しております。
また、今度のクル−ズでお会いしたのですが、塩気のあるシルバ−セ−ラ-のかたもおられ、
35fと42fと大型艇にのっていました。 彼らを見ていて学んだことですが、離着岸の際に
は入港前の準備、出港後整理などは、 いったん近くで停止してされてそれをしています。
ダイレクトに入港し出て行った、今までの経験でしたので、安全な作業をする上で多いに
勉強になりました。シングルハンドでは必要です。
また、上には上の人がいるもので、半身がご不自由のようで、杖をついて37fのヨットで
クル−ズをされている方もお目にかかりました。
2016-10-18