2023年12月31日

直島とヨット泊地

   



 直島は近くの倉敷を母港にしている割には訪れたことが無かった。 それは瀬戸内芸術祭の時はもちろん、ヨットの停泊地を探すのに苦労させられると感じていたからだ。

 案の定11月にもかかわらず、バースの予約を入れると空が無かった。 それで宇野海の駅に停泊した。 そこからフェリーにて直島へ行くことになった。 コロナ明けで観光客は多く、外人客が半分ほどいた。 瀬戸内の孤島でも外国から来るのかと思わされ、広報に成功したのでしょう。

  島内バスで島を廻った。 平坦地が多いようなのでレンタサイクルも良いようです。 目玉と思われる地中美術館は予約が取れず見られなかった。 他のものはこじんまりしている。 その展示作品の質は、個人的感想ですが、感動を得るものが少なかったように思う。





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 誰もが知っている水玉模様



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 野外展示物



  直島は天領であったので、他所と比べると税も安く規制も緩やかだったようで、小島でも文楽が許されていてその伝統が残った。当時はその公演の際には、他島から船で押し寄せる状況であったという。

 

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  幕府直轄領であった





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  直島女文楽



     2023-12-31

 

 

 

   直島ヨット泊地



  宮ノ浦港と本村港のヨット泊地がある。 訪ねた時には西風が強い時であったので、共に注意が必要です。  穏やかな時が良いように思われる。宇野からのフェリーの便も多いので、宇野停泊も考慮するべきであろう。


  直島 宮ノ浦港

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 青丸は候補地





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 赤矢印は候補岸壁側





  直島本村港

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  青丸は候補地





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  赤矢印は候補岸壁側



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2023年12月30日

阿波にある古代天皇の出身地


       香川宣子さんによる


 阿波には、天皇や主たる部族王の父母兄弟、祖父母に至までの出身地が残っているという。最近の市町村合併で名前が変わってきているが。




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   古代天皇ゆかりの地




番号 天皇・命 阿波の所在
1 初代 神武天皇 徳島市 渋野町 佐野
2 大国主命 佐那河内村 狭布能・さふの 城
3 手力男命・たじからおの 佐那河内村 不能山 字大入小屋・うしこや
4 事代主命・ことしろぬしの 勝浦郡 上勝町 生比奈沼ゑ・いくひなぬえ
5 5代 考昭天皇 佐那河内村 中峰、御間都比古神社(みまつひこじんじゃ) 祠
6 8代 山下䕃比賈・かげひめ 考元天皇 后 鳴門市 瀬戸町 堂浦山下䕃浦
7 武内宿禰  山下䕃比賈の子 徳島市 応神町 久岐・名方郡川内吉川村
8 12代 景行天皇 徳島市 矢野 神領 気延山 麓海城
9 倭建命・やまとたける 景行天皇の妾の子
10 14代 神功皇后  仲哀天皇の皇后 徳島市 川内町 住吉村 字神蔵、 現・住吉大明神社
11 15代 応神天皇 板野郡 応神町
12 16代 仁徳天皇 板野郡 応神町
13 19代 允恭天皇・いんぎょう 鳴門市 大麻町
14 21代 雄略天皇 大毛島の竜宮伝説
15 23代 顕宗天皇・けんぞう 鳴門市 大毛島
16 24代 仁賢天皇・にんけん 鳴門市 大毛島
17 31代 聖徳太子  用明天皇の子 徳島市 南蔵元町  (常厳寺) 祠
18 41代 持統天皇・高天原広野比賈 名西郡・みょうざい 神山町 広野


   



      2023-12-30

 

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2023年12月29日

お遍路4   #18恩山寺、#19立江寺、#20鶴林寺

 
  

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 小松島―阿南 周辺図



 #17井戸寺より17q程度あるので徒歩のお遍路は大変です。 小生はJR牟岐線で中田駅下車して豊国神社に立ち寄り恩山寺まで歩きました。



   #18恩山寺


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  山門と遍路道



 仁王門・山門の前の道はお遍路道になっており、横の近代的な道に沿って本堂まで雰囲気のある古道が続いていた。



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  恩山寺

 

   #19立江寺



  恩山寺より立江寺mでのお遍路道は醍醐味がある。義経がこの近くの海岸に上陸して屋島に向かった道はお遍路道とは別に義経ロードとして整備されている。 ここで平家に備えて弓の弦を張った場所とか解いた場所の表示板などが見られた。



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  お遍路道





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  入り口





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  本殿





 #20鶴林寺
 

 23ある阿波の霊場のうちで、一に焼山(12番焼山寺)、二にお鶴(20番鶴林寺)、三に太龍(21番太龍寺)といわれる難所の一つだそうです。

 それゆえに、いささか頑張りの無い老生は立江寺にタクシーを呼びここに向かった。 阿波の今年のお遍路はここで打ち止めとした。 来年にまた来るつもり。 ヨットで帰路につく。香川の引田と高松にに立ち寄り、そこから88番大窪寺より逆回りすることになる。




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  山門と六角地蔵堂





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  三重塔



   2023-12-28

 

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2023年12月26日

聖徳太子生誕地・馬宿と法谷寺

       



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 引田 馬宿周辺図  一山越えれば吉野川北部の古代に栄えた地に続がる


  学校で習った聖徳太子が最近はそうに呼ばなくて厩戸皇子と云う。 歴史は絶え間なく変化してくるもののようです。  新説であろうけれども、聖徳太子の生誕地ということで、今度のクル−ジングで香川県引田を再訪しました。 さっそく、その生誕地という馬宿川周辺を見に行きました。 最新すぎるのか、とんでもすぎるのか分かりませんが、当然の如く、そのことを表示する案内板はありませんでした。

 引田の地は朝ドラで急に少しは知られる地になりました。 笠置シズ子の生誕地です。それよりも聖徳太子のそれなら、いっそう観光客を呼び込めるでしょう。 そこは江戸時代では、瀬戸内航路の風待ちの港として栄ましたので、古代もそのようであったでしょう。

  


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  馬宿川





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 河口にある山王宮神社と小船溜まり


  

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  馬宿風景




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  眉山・以乃山 周辺図


  徳島の眉山には、聖徳太子の廟跡もあります。 蘇我氏に聖徳太子の一族は抹消されたので、飛鳥に行き活躍し、阿波に帰って亡くなったのでしょう。また、聖徳太子は上宮太子とも呼ばれていました。上宮は、聖徳太子の居所を表しています。鮎喰川を挟んで対岸の気延庄に、聖徳太子の上宮があったという。聖徳太子は眉山の西端に遍照寺・法谷寺(元法隆寺)を建立した。  聖徳太子廟は常厳寺(現在は廃寺となり民家)の横から登ったところにある。

  
     常厳寺



  聖徳太子廟は常厳寺(現在は廃寺となり民家)の横から登ったところにある。 


  

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  このお墓横の山道を登ると廟がある 


      法谷寺



 徳島大学の蔵元キャンパスに近いところにある。 平日であったが参詣者があり、信仰を集めているお寺さんとお見受けした。



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  縁起



 縁起に推古天皇が法隆寺より前にここを建立した。「秦河勝」に命じ「以乃山(眉山)馬峰に醫王善逝薬師如来を作らしめ」とある。法隆寺の元寺と云われる由縁である。大御和神社 あたりに聖徳太子のお屋敷の門があったと云います(法谷寺の縁起に聖徳太子当山の対岸気延庄、上宮にて詔り)。




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 本堂




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 十六紋の菊




   2023-12-26




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2023年12月24日

忌部いんべ氏ゆかりの神社

    
    大麻比古神社 忌部神社、山崎忌部神社、御所忌部神社 、種穂忌部神社



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 忌部氏関連地図



 学校教育で小生は忌部氏の名前を見知っているばかりで習った記憶がない。 大化改新に中臣氏・後の藤原氏が貢献した。忌部氏は共に天皇家の祭祀に従事していたのが、藤原氏が忌部氏を排除したことにより歴史から消え去ったという。

 天皇の代替わりの大嘗祭の時に、三木家から儀式に必須の麻の麁服(あらたえ)を制作・献上する。その特別な家が天津神・忌部氏末裔の三木家である。

 卑弥呼は高馬原忌部族であったと云われ、かってはイスラエルから来たのであろうと証言された方もいる。  天の岩戸事件のまとめ役は布刀玉命・ふとだまみことで、忌部氏の祖・天日鷲命・あめのひわしの遠祖にあたる。(阿波)忌部氏は阿波國を開拓したばかりでなく、讃岐・香川、出雲・島根、紀伊・和歌山、伊勢・三重、安房・千葉、その他越前,淡路、備前、隠岐、を発展させた。

日本各地で忌部氏とのトラブルも無かったのは、今のイスラエルの民と違い下記の精神で日本民族に同化していったのであろう。

  忌部の口伝   (香川宣子さんによる)

 民族や宗教を超えて共に生きる

 万物があるから自分がある。

 慈愛利他の精神

  

  大麻比古神社

 忌部氏始祖である天日鷲命・あめのひわしのみことの子とされている大麻比古神を主祭神としている。 現在の徳島一宮である。 七五三の子供たちでにぎわっていた。

 中世以降に所在が不明となる。複数の忌部神社がそれを主張したため明治18年にここに新たに遷座した。



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 由緒書き



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 拝殿

 近くに萩原1号墳は大麻比古神の陵墓と云われている



 



  忌部神社


 眉山の北東端二軒屋町に忌部神社がある。 長い階段を登ることになる。中ほどには金刀比羅神社もある。 



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  この階段中央左には金刀比羅神社がある








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  山崎忌部神社 (吉野川市)


 後背に忌部山・忌部山古墳群をひかえる。 令和元年(2019年)の大嘗祭においても、美馬市木屋平の三木家で栽培した麻を境内で麁服に織り上げ、調進している。

 


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 拝殿



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 麁服(あらたえ)記念碑







  御所忌部神社 (美馬郡つるぎ町)

 忌部氏の後裔氏族、三木氏(みき)が奉斎したもので、同氏が式内名神大社の忌部神社を分祀したものではないかと考えられている。山崎忌部神社と論争が続いた。


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 御所忌部神社



 


   種穂忌部神社(吉野川市山川町川田忌部山) 未訪問

 車では行けないと聞いています。スレ違いできないようです。 種穂山の頂にある。



       2023-12-24


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2023年12月21日

お遍路3、 #11藤井寺、#13大日寺、#14常楽寺、#15国分寺、#16観音寺、#17井戸寺




 #13番大日寺より#17井戸寺へはお遍路道を歩くことができる。 途中ですれ違う地元の人にお接待ですと云われお菓子をいただきました。徒歩だとこのような醍醐味を味わうことができる。「娘が小生の近くに住んでいる」などとの会話があり。地元の人とのふれあうことも出来ます。



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 頂いたなつかしいグリコのビスコ





   #11藤井寺・ふじいてら

 #10切幡寺とここ藤井寺とは距離はあるので、#10で一区切りをつけ別の日にこの寺へ行った。川島城よりタクシーでここに来ましたが、最寄りのJRは鴨嶋駅になる。
 815年に空海が薬師如来像を刻んで堂宇を建立。ここも戦国期に長曾我部により焼失している。 残念ながら小生が訪れたのは11月になってしまいました。今年は炎暑が続いたせいか紅葉を見ることが少なく、やはり、春の藤の季節がオススメのようである。



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 山門



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  本堂


  #12焼山寺へは山越へのお遍路道になり、次春まで楽しみを残した。そこへは神山町から近道で行くことになるだろう。





   #13大日寺

 #4大日寺と同名である。 順番に巡ることになるので、間違えないと思う。 徳島駅からバスで神山方面で一宮札所前で下車すぐである。 今回はお城めぐりを封印したので、訪ねなかったが、一之宮城跡がすぐに在る。

 大日如来のお告げを受けて空海がそれを彫像して堂へ安置したという。

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  本堂



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 県道21号線・バス道より眺める、 一宮神社と向かい合わせ







   #14常楽寺

 13番大日寺より徒歩2.3kmで14番常楽寺に向かった。 88ヶ所で弥勒菩薩を本尊とするのは当寺のみである。山門はない。 境内は起伏のある流水岩でできている。



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 本堂



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 境内







  #15国分寺

 14番常楽寺よりは徒歩圏である。阿波国分寺跡に建つ。七重の塔を持つ大伽藍であったが、ここも長曾我部の兵火で焼けた。その後廃寺であったが1741年再建された。

   

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 山門





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  本堂





    #16観音寺



  15番常楽寺より徒歩圏。 JR府中駅へ徒歩16分。

 816年(弘仁7)頃に空海がこの寺を訪れ、本尊として千手観音像、脇待(きょうじ)として不動明王像と毘沙門天像を自らの手で彫り、安置したという。



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 山門



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 本堂





   #17井戸寺  



 JR府中駅より1.2kの徒、16番観音寺より3k弱。  名称のごとく空海が掘った井戸がある。そこを覗き込んで自分の姿が写らなければ、3年以内に災いがあるという。それで小生はで覗かなかったのではない。 夕方になり先を急いていたのだろう、存在を気が付かないで通り過ぎてしまった。

 お遍路に慣れたこの頃は、 御朱印をもらうことばかりに気が入ってしまう。その欠点が露呈したかな。 どこの納経所でも午後5時以降は御朱印がもらえないので注意しなければならない。


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 山門





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 本堂




    2023-12-21




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2023年12月19日

神武天皇とイザナギとイザナミにゆかりの阿波にある神社

 葦稲葉神社、
 事代主神社、 
 樫原神社、
 建夫津神社、
 熊野神社、
 鴨神社、
 伊邪那美神社、
 倭大國魂神社


 

  神武天皇ゆかりの神社とイザナミとイザナギゆかりの神社を訪ねた。それらは野川の下流から上流に沿って在る。

 
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  JR徳島線沿線の神社



 
   葦稲葉神社・あしいなば

 全国に1社しかない。 イザナミとイザナギの子である葦稲葉神(倉稲魂命)を主祭神に鹿江比売命(草野姫命)を合祀する。

 

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  蘆稲葉神社



  神武天皇東征の出発地は徳島市渋野町にある佐野神社と云われる。その東征に関わる神社として、樫原神社、事代主神社、建夫都神社、熊野神社がまとめて近在する。その東征は神武天皇が関東や東北に行ったことではなく、徳島の下流南部勢力が北岸勢力を支配した話である。事代主がが進軍していくのを建布都が助けた。熊野の地・樫原付近でこの戦いが行われたという。 
 

  事代主神社・ことふつ

 大国主命と徳島県那賀郡勝浦町の矢盾比賣との子が事代主です。えびすさんとも呼ばれています。

 一説によると安寧天皇の伯父にあたる多臣の子孫が出雲族を率いて当地の阿波国伊月にたどり着き、祖神である事代主命と祖母の五十鈴依媛命を奉斎したと伝わる。 出雲は山陰の出雲ではなく



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 事代主神社




  粟島神社 阿波市市場町八幡

  事代主命・えびすさん の妻・天津羽命がここ近在に在る。粟島・善入寺島に在ったという。



 



    建夫津神社・たけふつ



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 建布都神社

 近くに建夫都神社・西宮神社がある。神武東征に関わる神社で、熊野の戦いの旧跡と祀られた神社と推定される。





   樫原神社

 神武天皇を祀る。奈良県橿原市の橿原神宮が創建される以前から、阿波国に樫原神社が存在し、樫原の地名があったことは確かな事実である。樫原神宮の元宮と云われる。




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  鳥居





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 樫原神社

 

 

   熊野神社


 神武東征に関わる神社で、熊野の戦いの旧跡に祀られた神社と推定される。熊野とは樫原神社付近のことを云う。





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 熊野神社







  鴨神社

  JR三加茂駅よりタクシーにて加茂の大クスを見てここへ向かった。

 賀茂別雷神社の元宮であるとする見方もあるようです。あわせて三好市三野町加茂野宮の下加茂神社が賀茂御祖神社の元宮であるという



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  鴨神社



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  加茂の大クス






  伊邪那美神社 ・いざなみ

 古事記や日本書紀では、イザナミの体中から多くの神々が生まれる。



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  2つの伊邪那美神社 地図



 上図のように日本で唯一という伊邪那美神社ですが、2つあったのです。小生の浅薄な知識のせいか、奈良や飛鳥の地にそれが在るわけでは無いのですが、吉野川上流地の美馬市と近くの吉野宮があったという三好市にあったのです。

 そのことに小生は気が付かずに三好市の伊邪那美神社を訪ねた。 穴吹では列車の時刻待ちで2時間ほど滞在したのに美馬市のそれには行くことが出来ませんでした。 後で調べてみると、美馬市のものが歴史的にイザナギとイザナミの居住地に近いことから、重要なもののようです。史書にあるオノコロ島は今の舞中島のことで、そこは今は埋められて中洲の島ではないけれど、この島に伊邪那美神社は在ったと云います。

  ちなみに、イザナミは古代ヘブライ語で(イシュアナミ・守りたまえナミの家系を、ナミはダビデの祖母)の意味だと云う。また、イザナギは(イシュアナギ・守りたまえダビデの王統を)の意です。

 私が訪ねた三好市のそれは、神社は元々吉野川の中鳥島にあり、治水工事のため住人と神社は移転しました。 三好市三野には吉野宮があったというから中鳥島にあった元宮も由緒のある神社でどちらが正統かという分けでもないでしょう。

 グ−グルマップの説明や写真には混同が見られるようなので注意が必要でしょう。



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  三好市の伊邪那美神社は中鳥島より移転 



 

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 伊邪那美神社 穴吹町 (参考) 今度訪ねてみよう





   倭大國魂神社・やまとおおくにたま


 三好市の伊邪那美神社の近くの八幡神社に隣接している。大国魂命・大己貴命を主祭神とする。確認していないが大國魂古墳3基が境内にある。。

 全国で唯一倭大國魂を冠する神社である。


 

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 拝殿



 
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  メノラーに似ている神紋、現在のイスラエルの国章に似ているという




         2023-12-19








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2023年12月17日

坂東捕虜収容所とドイツ館

  


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  案内板



 JRの坂東駅から徒歩10分位でドイツ村公園・坂東捕虜収容所跡へ行くことができる。 ちなみに、そこへ行く途中にお遍路一番札所の霊山寺へ立ち寄ることができます。

 ここで以前に 「松江豊寿  坂東俘虜収容所」 採りあげている。 そこが、今回の2023年秋巡航において是非とも徳島で見たい場所のひとつであった。 念願が叶ったと云えよう。 実際にここへ来てみると、意外にその施設跡はこじんまりとしたものであった。 1000人のドイツ兵捕虜が暮らしていたとなると、尚更らであろう。 これまでの世界史上で、ここ以外に未だに実現していない捕虜の人道的処遇の跡地である。 ドイツ人俘虜はこの地域の人々と様々に交流し、その結果、日本においての年末恒例行事となったベートーベン第9交響曲の初演の地となったのも当然のことである。

   



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 兵舎第5棟跡





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 俘虜慰霊塔



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  古写真によると、敷地内の小さな湖であるが、ヨットを作って捕虜が楽しめたのかと思われる。



 

   ドイツ館



  付近にある鳴門ドイツ館ではこの収容所の展示がされていて、宿舎の模型などもあり当時の生活を詳しく知ることが出来る。



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  ドイツ館



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  展示 第9の演奏



      松江豊寿  坂東俘虜収容所



    2023-12-17

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2023年12月15日

小鳴門通峡

  
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 小鳴門海峡図


 鳴門海峡を通航する機会は今までに4−5回あり慣れてきたつもりである。 しかし、小鳴門は通ったことが無いので一度通ってみたいと思っていた。

 小豆島の坂手より小鳴門に向かう。 その入り口へは小鳴門新橋が遠くから良く見えて良い目標になる。 そこへは、入り口付近の定置網やトロールタイプの引き網の漁船の進路を避けながらの航海になる。 通峡時間は流速の大きくならない連れの時間を選べ場良い。 その時間は本当の鳴門海峡の通航時間と同じものになるであろう。

 今回の通航は川を航行するのと変わらなかった。 シングルハンドでは周囲を見張りながらのハンドでの舵取りで、オートを使うことも無かったので余裕が少なく楽しめ無かった。 狭い川であるのに余り通航を意識していない位置に網が設置してあり、それらの障害物が散見されるので、あまり気が抜けない。 地元の漁船は南北の片方へ行くのみなのであろう、通して全て通り抜ける発想がないので、このような抜けがたい状況になったのであろう。 

 小鳴門の最大の難関は下図の鳴門競艇場付近であろう。 小生はここを想定してこなかったので土壇場で悩んだ。それは小鳴門橋(23m)と撫養橋(23m)の下を抜ける時に、競艇場の近くを通るのか、それとも大毛島(淡路島方面)に向かうのかの直前での選択を迫られた。 狭く見える競艇上に接近して通航することにした(下図赤線の航路)。 正解であった。 後で詳しい人に聞くと反対側は浅いところがあり年に何艇かが乗り上げるのだそうです。 どうしてこの位置に競艇場を作ったのかとクレームしたくなる位置、小鳴門に1/3程突出して造られた位置にそれはある。 案外に近寄っても水深はあるのだが。

 また、後で聞いたのだが、小鳴門にはホンダワラが群生する場所があり注意を要するとのことである。 小生は今までに、春の時期にさんざんこの海草がペラに絡まり難儀をした。 秋の時期にはそれを目にすることも無く安心して航・好走していた。 撫養で1泊し翌朝に徳島へ向かう途中でホンダワラが詰まりオーバーヒートを起こしエンジントラブルになった。 これも通峡の注意事項の一つであろう。



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 故鳴門南入り口付近




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 鳴門競艇場付近の航法



     2023-12-15



 
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2023年12月14日

24の瞳館・映画村



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  24の瞳 銅像



 小豆島へはコロナ前に航ったことがある。 その時は行くことが出来なかった24の瞳施設に、今回はヨットで坂手に停泊したので訪れることが出来た。

 映画24の瞳と云えば小学生の時にでも見たのであろうか。 それは映画村の映画館の中で上映されていた。 主演の高峰秀子さんは今でも通用する女優さんである。 現在の子供たちは、当時の子供と比べると随分とイケメンイケ女になったものである。 確かに小生も鼻たれで袖が光っていた子供もであった。

 戦後になって、戦中の時代を島の子供たちと先生から描いた作品であるように思う。 戦後っ子の小生には戦前のことは知る由もないのであるが、子供の時に感じた戦前が描れていた。

 

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 撮影で使われた分教場



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 映画村にある 懐かしい映画館


 作家の坪井栄は坂手の町に生まれた。 役所の支所の方に生家を尋ねた。 漁村はどこも家が立て込んでいるので探すのは難しい。

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   原作者の坪井栄の生家跡

     2023-12-14













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