2023年08月31日

熊本城 再訪

   

  2018年に長崎にヨットで寄港した際に熊本地震で被害の生々しい時に長崎から出向いて見に行きました。 今度は宇土マリーナよりもう1度見に行ってきました。 前回よりは同じ熊本県であったので遠くは感じなかった。

 天守は再建されていて中を見ることが出来た。 木造を想像していたけれど内部は近代的な再建造りであった。 下に前回と現との比較写真を載せた。




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 現 天守


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  旧 天守  修理中




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  現 北十八間櫓


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 旧 北十八間櫓




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  現 飯田丸 3階櫓


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  旧 飯田丸 3階櫓


  再建復興修理には2052年の長きにわたるという。




      熊本城  震災復旧工事中  2018-7-3


    2023-8-30

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2023年08月30日

金価格 1万円突破



  田中金属工業の金価格が8月29日の店頭小売価格が10,001円、翌日8月30日には続騰で10,050円です。 とうとう1万円を超えてしまいました。

  田中金属工業HP   https://gold.tanaka.co.jp/commodity/souba/d-gold.php

 
 小生の住んでいる10万人にも満たない田舎の小都市でもテレビコマーシャルをしている買い取り業者の店が進出しています。 テレビ番組でも大金で買い取られる商品のニュース番組が報道されている。 それは、かって見たバブルの時の不動産報道を思い起こさせます。 中国のバブル崩壊やウクライナ戦争の動静の変化が影響しているのでしょうか。

 日本の財政破綻のウソ報道は財務真理教のせいであると,明らかにされつつあります。そのせいでのハイパーインフレが起こるかの懸念は解消されつつある・認識が広がりつつあると自認しています。

 もう余生がさらに限られてきた後期高齢所帯ですが、その財務省に踊らされて、小生はハイパーインフレに備えて1−2年は耐えられるように少額の現金外貨と少量の金の現物を用意しました。 そのことは杞憂に終わったと今では思っております。

 しかし、外的要因での変動の影響はありそうですね。 中国の負債は日本のバブルの時の数十倍(1800兆円の一部報道)ではないかと云われています。 独裁国ゆえに本当のところは破綻してみなければ分からないでしょう。 現状の金価格の高騰はそのせいでないこと、田舎老人は祈るばかりであります。
 
 日本の財政破綻のウソ報道は財務真理教のせいであると,明らかにされつつあります。そのせいでのハイパーインフレの懸念は解消されつつある・認識が広がりつつあると自認しています。


 

     2023-8-30


    金の小分け
  http://hayame.sblo.jp/article/115251866.html?1693407609




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2023年08月29日

伊集院散歩

 
         伊集院散歩  徳重神社、妙円寺、小松帯刀墓所、有馬新七墓



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  伊集院近郊図

  JR伊集院駅からは一宇治城、妙円寺、徳重神社、有馬新七墓などが徒歩で見に行くことができる。 枕崎へ行くには鹿児島中央からJRを使っていくのにも本数が極めて少なく便利ではない。 ここ伊集院から枕崎行きのバス便があり時間的にも早いのではないかと思う。 ここから伊作城と小松帯刀墓所にはバスで行ってきた。

 駅前には島津義弘公騎馬像と観光案内所がある。



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  島津義弘公騎馬像



    徳重神社、 妙円寺

  JR伊集院駅北口からすぐです。島津義弘公の菩提寺であった妙円寺が明治2年の廃仏毀釈で廃寺になり、義弘公を祭神とする徳重神社となりました。ここは、現在も続く鹿児島の代表的な伝統行事「妙円寺詣り」の舞台となっている神社です。関ヶ原の合戦に出陣した島津義弘公が西軍の敗北により、徳川本陣の真っ只中を敵中突破した退却戦を偲んでこの詣りが行われています。大河ドラマでも何度か描かれていると思います。



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  徳重神社




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   現在の妙円寺

  由緒ある妙円寺は鹿児島で行われたすさまじいという程の廃仏毀釈が行われた結果とり壊わされた。 ちなみに鹿児島県では寺跡の案内がやたら多い、他県には見られないほど。 近くに妙円寺中央公園などの大きな敷地があるので、大きな寺院であったと思われる。 現在のものはこじんまりとした昭和の寺院風である。



    小松帯刀墓所



 小松家の菩提寺でもある園林寺跡には、小松家歴代の墓があり、そのなかに29代帯刀も眠っている。墓地へと続く道の入口には、廃仏毀釈の被害にあった仁王像もある。

 帯刀は明治の初めに亡くなったので、忘れられかけましたが、薩長同盟や大政奉還などに貢献しました。



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  小松帯刀墓



 

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 明治2年 廃仏毀釈により壊された仁王像





     有馬新七墓

 

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 写真中央は有馬家代々の墓、 右端にあるのが新七のお墓



 ここ伊集院の郷士の子として生まれる。見られなかったが城近くに誕生の地の石碑があるという。 父が有馬家の養子になり城下士として加治屋町に住む。 尊王攘夷活動を続け寺田屋事件で島津久光の命により粛清される。その後許されて息子は海軍技術習得のため米国留学した。

 

  2023-8-29



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高屋神社  内之浦

 


  内之浦から肝付城へ行くつもりであったがバス便の都合が悪く、タクシーが5000円余もかかるというので諦めた。 それで近場を散策することにした。 由緒ある高屋神社と幕末の砲台跡を見てきました。




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  内之浦地図


 熊襲征伐に来た景行天皇は天子山に行宮を築いて6年滞在したとされる。




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  高屋神社

  高屋神社は景行天皇が国見山上陵(国見山)からヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊)を勧請し、高屋神社を創建した。


 

  内之浦砲台は、海岸近くの砂浜に設置されていました。『薩藩海軍史』には、12ポンドカノン1門、 20ドイム臼砲1門、700目野戦砲1門、500目野戦砲門の計4門の大砲が配備されていたと記されています。



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  砲台跡 案内板




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  内之浦砲台跡からの展望



      2023-8-28



 
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2023年08月27日

調所広郷邸跡

  



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  鹿児島城と調所広郷邸跡



 幕末の斉昭公の活躍や維新の志士のそれも調所の財政改革なしでは成立しなかったであろう。それほどの歴史的功労者である。しかし、江戸に出仕した調所広郷は幕府に密貿易の件を糾問される。嘉永元年(1848年)12月18日、薩摩藩上屋敷芝藩邸にて急死。密貿易の責任を取り自殺と言われている。



    調所広郷と村田清風

     http://hayame.net/custom32.html#spb-bookmark-423




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  マンションの一角にひっそりと立つ石碑と案内板


 すぐ近くの公園に平田靱負の銅像があり、彼の方が顕彰されているようだ。 大河ドラマの「西郷どん」に搭乗した平田何某の先祖はこの人になるのであろうか? 上級家臣の設定であったので。



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 平田靱負(ひらたゆきえ)1704-1755、 533石の家老、  

 高校の時に木曽三川の治水工事の現場をバスで見学した覚えがある。地元の人々には彼のした宝暦の治水事業には今に至るまで、大変な感謝をされているようだ。


    2023-8-26



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機関給水トラブル

   



 

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  ヤンマー2GM  冷却水ポンプ



  佐賀関を出て上関をめざした。 港の出口の防波堤を抜けてすぐ、エンジンの警報音が鳴りだした。 排水口から海水が出ていない。 何らかの吸水トラブルだ。 次の2つが考えられた

 1. 船底の吸水口がゴミなどで詰まっている。

 2. インペラーの破断

 付き添いクルーで同乗していただいた梅木さんが、潜水して吸水口を探すが見つけられない。 退院したばかりの小生も続いてトライしたが見つけられなかった。 

 インペラーの点検のためポンプを取り外す。 キングストンバルブ(船底についているバルブ)側から冷却水ポンプに繋がっているビニールパイプを咥えて息を噴き出してみる。 別に詰まるわけではなさそうだ、外に出てサイドから吸入口あたりを覗いてみると、ブクブク泡が出ているのが見えた。 このことはポンプまでの詰まりではないようだ。 ポンプを分解してみるとインペラーには欠けるところもなく大丈夫。 ポンプからエンジン側に水が行く排水口を見てみると、ここにゴミが詰まっていてエンジンへ冷却のための行く海水を止めていた。これが原因であった。 ゴミを取り除いてポンプを組み立て取り付けた。 エンジン始動。 排水口から冷却水が出ている。 警報音もならずにOKであった。

 例え、潜って吸水口を見つけてもそこから何かを突っ込んで取り除くことは難しそう。 今回気が付いたのであるが、ポンプのパイプを外して船外へ吹いて外に出ている泡を確認する方法が良いようだ。 キングストンに繋がるビニールパイプを外してそこから取り除く方法は上架でもしている場合でないと、水圧が強く強い圧海水が飛び出てくるのではないかの懸念があります。 エンジンの位置高さにもよるが今回は勢いよく海水が出てくるようなことはなかった。今回はキングストンを締めないで作業をしたが、締めて海水を止めてゴミの取り除く作業をするのが正解でしょう。

  今後の対策として

 1. 予備のアッセンブリーの冷却ポンプを持つ。 4−5万円程度の費用か

 2. 冷却ポンプから外へ長いビニールパイプを用意しそこから海水を汲みエンジンを冷却する

 3. クル−ジングへ行く時にはポンプを分解して清掃しておく。 前回4年前に新品と交換したのでこれくらいの期間が過ぎれば詰まるのか?

 4. 初代のヨットでは1GMであったけれど海水ストレーナーを装備していた、これも一つの手であるかも



  梅木さんが乗っていてくれたおかげで、彼が作業の多くをやっていただけました。 いつもシングルですがダブルもよいものだと思いました。警報が鳴ってすぐに錨泊したのですが、それもラクチンでした。



   冷却水ポンプの交換  2019-6-29

   http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-629

 

     2023-8-27


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2023年08月26日

水俣城

     


  水俣氏により築城とされるが詳細は不明である。戦国期には相良氏、島津氏、小西行長、加藤清正、細川氏と変遷していく。1612年に幕命により廃城となる。



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  水俣近郊図




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  肥薩オレンジ鉄道   川内―八代を運行



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 水俣のゲストバ−スよりたくしーにて水俣城へ行く。 上記にあるように石垣や堀が埋められているのでそれらしい雰囲気を感じるのみである。



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  本丸跡





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  西南戦争 薩軍慰霊碑


  田原坂の戦いに次ぐ激戦の地であった。 薩軍慰霊碑が見られる。



      2023-8-25

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2023年08月25日

鹿児島城(鶴丸城)と麓武家屋敷

     

 JR鹿児島中央駅より市電に乗り市役所前で下車して徒歩5分で鹿児島城御楼門に着く。堀を渡って御楼門を抜けて本丸にある歴史資料館・黎明館に行く。展示物は豊富で1時間あまり時間を要した。 幕府に遠慮したせいか、天守や高石垣は築かれなかった。バックに城山を控えるが、本丸、2の丸、出丸の簡素なつくりである。 それを補うために外城制度を持ち家臣を麓武家屋敷に住まわせた。現在は本丸跡に鹿児島県歴史資料センター黎明館、二の丸跡には鹿児島県立図書館、鹿児島市立美術館、鹿児島県立博物館などが建っている。




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  鹿児島城と麓武家屋敷

  平田靱負や調所広郷などの上級武士はお城近くに住み、西郷隆盛や大久保利通などの下級武士は少し城から遠い加治屋町に居住した。



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  鹿児島城 模型 




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  御楼門  復元



           2023-8-24



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2023年08月24日

山川  ヨット泊地



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  山川、指宿


 JR指宿から電車でJR山川へ行って来た。 JR山川以遠は枕崎の駅まで極めて本数が少ないので時刻表をよく見ておくこと。 駅からフェリー乗場まで徒歩で歩いた。 20分はかかる。 

 ヨットの停泊は余りふさわしいところは見当たらない。 下図で候補地を青丸で示した。 外洋に面した外港があるようだが、探索していない。外防波堤に凪の時は着けられそうな気がしていますが、不確かです。




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  青丸は停泊候補地



 

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  青丸は上図の防波堤の内側位置

 

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  青丸はもうひとつの候補地

 

 2023-8-23




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飫肥城

     


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  飫肥城 地図


  退院した病み上がりの雨の日飫肥城へ行って来た。 油津にヨットで入港した日に日南病院に入院したので最初にここへ来ようと予定していた日より3週間余を経てしまった。 油津は豪華大型客船のクルーズ寄港地になっているので、この城はその日の最大の人気地になっているらしい。



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  縄張り図     入場券より



  島津氏と伊東氏がこの城を争った。秀吉の九州征伐、関ケ原の戦いを経て明治まで伊東氏が所有した。

 上図縄張りにあるようには残っていない。 予想以上に小ぶりに残っている。 現存する建物は無い。 城下町には風情が感じられる。




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  大手門  復元 



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  城下町めぐり マップ


   病み上がりなので満足にはぶらつけなかった。 上図を参考に散策してください。



     2023-8-23



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