2023年07月31日

阿久根 海の駅

   



  天草牛深より阿久根海の駅に向かった。 ポンツ−ンは小型であるが空いていれば快適だ、 電気はとれる。  電話 0996-73-2141   徒歩5-6分のガソリンスタンドで手続き。  近くにス−パ−や温泉あり。


 ここは旧港にあたるのであるが川向うに大きな新港が存在する。 手狭のときにはそちらの利用も考えられる。

  

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  赤丸はポンツ−ン停泊地



 

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  阿久根海の駅 ポンツーン係留




 

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 クラシカルトットが停泊していた。 余り乗ってはいないようだ。



      2023-8-2


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宇土城と古城

  



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  宇土城と宇土古城  地図


 宇土マリ−ナからバスに乗りグ−グルマップで最寄りのバス停に降り、お城を探しながら現地に向かった。



     宇土城  (近世)


 小西行長は肥後半国17万5千石を受領し、宇土古城の東にこの宇土城を築いた。 関ケ原合戦で西軍に属したことから東軍の加藤清正に攻められ開城した。 清政の隠居城として整備された。 清正の死去に伴い破却される。 その後1632年に加藤家は改易となり細川氏に変わる。1637年島原の乱に小西の浪人が加担したことから、幕府は西国の廃城の徹底的破壊を命じたので、ここの荒廃が進んだ。

 
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  城下町を持つ総構であった



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  石垣、  清正の改修によるものと言われている



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  城跡公園にある小西行長像



          八代城と麦島城        



    宇土古城


 菊池氏か宇土氏により作られたという。 隣の宇土城(近世)よりは城跡らしい。 千畳敷という主郭と三城とで構成されていた。

  
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  虎口



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   横堀 その上は千畳敷といわれる主郭



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  建物跡



       2023-8-1




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2023年07月30日

油津 宮崎

   



  内之浦にてエンジンの回転計の故障に気が付き、油津ヤンマーの代理店に電話して修理を依頼した。 ヤンマーの事務所の前の岸壁に着け、すぐに修理をしてもらい無事回復した。

 夜中より胸に違和感を感じ、すぐに入院して5/10より6/8まで滞在することになった。漁協、ヤンマーエンジニアリング、末永電機マリンの方々に長い間お世話になりありがとうございました。



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  赤丸は停泊地、 青丸AとBは候補地

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 赤丸 停泊地

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 青丸A 候補地

 赤丸の岸壁は20トンくらいのまぐろ・かつお漁をする漁船が休養に使用しているようだ、入院ゆえに長い停泊をしてしまったが、ここには岸壁に梯子が設置されていないので2m以上の潮汐があるのでヨットへの乗り降りは時間制限がかかる。  青丸岸壁にはハシゴが2か所あるので、そこへ付けるのが正解であると思える。 他に内港の白いタンクの後ろ側(青丸)に外来船ようの岸壁がある。ス−パ−、コインランドリー、ガソリンスタンドあり。

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 油津は宮崎県の歴史ある天然の良港です。 飫肥藩の飫肥杉の積み出しのため堀川運河、江戸時代初期に開削された。


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 大正10年建築の赤レンガ館、  競売にかけられていたのを街の有志30人で買取り保護したという

 


              2023-7-31



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2023年07月28日

天草 姫戸

              


  宇土マリ−ナから三角の瀬戸を抜けて八代港には適当な泊地が見つけられなくて姫戸に入った。 フィシャリ−ナ天草へも行きたかったのであるが、これも三角瀬戸を抜け、天草の橋をくぐっていく方法が見つけられずに断念した。 橋高が足りないようで16m以下のところ自艇を抜けた記録が無い。 確かな情報に接することが出来ればあるのかもしれないが。



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  赤丸は停泊地  青丸は候補地


  漁船が利用するポンツーンがある。 漁協の許可がなかなか下りないので避けた。 翌日まで観察していたが、一杯のようでもなかった。また、その横に利用されていない浮桟橋(青丸の位置)があるが、ここも利用はされていないようなので可能な気がする。けれど陸への乗り降りには少し苦労するかもしれない。 近くにス−パ−があり買い物には不便がない。



            2023-7-30


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2023年07月27日

日野江城

     


  訪れる人が少ない。 城跡としてはかなり大きく有馬氏の居城であった。 鎌倉時代に時代に築城され、1496年に支城として原城が築かれた。有馬晴信は1582年に洗礼を受けてキリシタン大名となる。近くに有馬セミナリオを建設。晴信の朱印船は数多く渡航したという。晴信は島津氏について龍造寺軍を破り、秀吉に従い安堵される。江戸時代になり日向に転封となり去る。しばらく天領となっていたが、1616年松倉重政が入封した。当初はここを居城としていたが、島原城を築いて廃城とした。



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  日野江城




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  縄張り図    安土城のような階段があった



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  本丸へ



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   本丸




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  二の丸と本丸




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  石碑  日野江城浦口





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  有馬セミナリオ跡




         2023-7-29



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志布志城と麓武家屋敷

 

 指宿から志布志城などへ行ってきました。 前日に鹿児島中央駅の観光案内所でここから志布志までの行き方を尋ねた。 JRで宮崎まで行き日南線に乗り換えて志布志まで行くのが良いと教えられた。 さすがに鹿児島へヨットで初めて来たとはいえ、おかしいと思えた。医者のセカンドオピニオンではないけれど、階段を下りた駅前広場にもう一つの案内所があり、そこでも訪ねた。垂水へフェリーで渡りそこから志布志行きのバスがあると云います。 それのほうが安くて早いと思われ、翌日にその経路で志布志に行ってきました。正解である。 後日に日南線の油津駅で志布志行きの時刻表を見る機会があったが、志布志へ行く列車は日に5−6本でした。 先の案内所で教えられたルートで行っていたら、どこかで宿泊を余儀なくされたであろう。 JRの職員の案内所であったかもしれないが、自社の利益優先の案内で、とんでもないものであった。 真に受けるのも注意したいものです。 志布志は鹿児島県といえども交通網は宮崎の影響下にあるのも事実でしょう。

 志布志城は内城、松尾城、高城、新城を総称している。


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  内城は案内板が要所に立てられているので、分かりやすい。 他の城には訪れることはできなかった。 松尾城には登り口が見られた。 行けないところもあるようである。



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   内城 縄張り図



 

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  復元模型





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  内城本丸登り口 



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  新納時久墓   矢倉場


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   松尾城登り口




 

       志布志麓 武家屋敷


 麓武家屋敷はお城近くにいくらかの通リがあって、町割りがしてあるところが多い。 ここは城近くではあってもそのようにはなっていない。

 下の写真のように門前に紫の旗が立っており、その存在を明らかに示している。 平山邸、清水邸、福山邸、天水邸、島濱邸などきれいな庭園がみられるが、 小生は指宿から来たので時間に限りがあり、その多くを見ることができなかった。



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  天水氏邸



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   天水氏庭園



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  平山氏庭園



    2023-7-28




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2023年07月26日

宇土マリ−ナ

 


  口之津より三池へ行くことを考えていたが、三池の潮汐が4mになるという情報もあり、港内に適当な停泊地も見当たらないので断念した。熊本の飛行場近くの海の駅もいつも空が無いとのことである。 従い宇土マリ−ナへ行くことになった。

 ここからJR赤瀬駅を使ったり、路線バスで熊本城三角港宇土城を訪問することになった。

 有明海は海苔の産地のようで、海苔漁船が多くみられる。


  

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  赤丸は停泊地

  宇土マリ−ナの入り口付近には浅いところがあるので、干潮時の出入りには注意を要する。 電話 0964-58-4500  3300円/日/30f

 電気、水、シャワー

 


      2023-7-27

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2023年07月25日

口之津

   
  口之津には3/19から3/24までの5泊滞在した。 新しく整備されたフェリータミナルの情報に疎かったので、ヨット停泊場所に不安をもちながらの入港であった。 旧フェリー桟橋の他に新桟橋が3つある。 そのうちの北側にある小さいポンツーンに最初はヨットを着けた。 ほどなく一番大きな桟橋のフェリー利用の反対側を支持されてシフトした。 あとでその方は地元のヨットマンの人で何かと気にかけていただいた。

 

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  赤丸は停泊地  青丸は最初の停泊地


  天候待ちで日があったので、ここから観光するために、バスで原城、日野江城、島原城、加津佐に行き、フェリーで天草の鬼池に渡った。また、南蛮船渡来の港であり、そこには徒歩で行くことが出来る。


   南蛮船渡来の港  口之津


 1562年日野江城主有馬義貞が口之津を開港。1563年にここに教会が建ち、1567年にポルトガル船が来航した。 長崎には1571年に来航した。 現在は開田公園になっており教会の跡地も分からず、当時を思い起こすものは見当たらない。




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  案内板  ヴァリニャーノが1579年に口之津来航とある






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  開田公園にある南蛮船渡来の地の石碑

 


   明治の口之津


  この後に行く三角の港も明治の3大港であると知って驚くのであるが、この口之津港は三池炭鉱の石炭の積み出し港であった。大型船が入港し香港など海外に輸出されていた。ゆえに古い税関がここにある訳である。



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  明治20年の口之津  古写真




 

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  歴史民俗資料館、 口之津税関跡



  初めて船員になった時に口之津出身の先輩が多かった。 良くしてもらっていたので、ひょっとしてお目にかかれることがあるのではと期待していた。 よく考えてみると半世紀余り以前のことであり、その軌跡は起きなかった。 出港のときにフェリの駐車場整理の人に名前を告げて尋ねてみたけれど成果は得えられなかった。 所属した海運会社の名前は皆さまご存じであった。 大手でもない中小の会社なのに三井系列ということでこの地元では知る人がいるのであろう。 ターミナル2階の資料館の展示によると明治の時よ三井の船に乗り込んでいた人が多かったようだ。 ここには口之津海員学校(現・海上技術学校)があった地である。



            2023-7-26

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島原城と武家屋敷

  


  口之津からバスにて島原城と日野江城を見て来た。 ヨットで行くつもりでもあったが、適当な停泊場所がないので取りやめる。島原の武家屋敷やどちらの城も想像以上で満足のゆくものであった。



     島原城

  行く途中のバスの中で、あの普賢岳、今でも思い出す火砕流の滑り落ちて迫る映像のそれに近いので驚く。 島原駅の正面で坂を上ったすぐ近くに島原城はある。


 1616年に大和から転封した松倉重政が日野江城から移ってこの城を築いた。 五層の天守と三層の櫓3つを持つ7当時4万石の大名にしては大きな城である。 過大な出費のため苛政をし、そのため天草の乱の原因を作った。 松倉氏は断絶し、その後には譜代の大名が続いた。




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  縄張り図  




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  島原城

 

 
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   天守  残念なことにコンクリートによる復元である。 中は資料館になっている。



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  本丸へ











     島原武家屋敷




 築城の時に70石以下の武士のために城の西側に武家屋敷が整備された。 鉄炮町とも呼ばれそれで戦う徒の住居である。 役所の書記、代官、門の警備などに平時は従事した。

 下の丁、中の丁、古丁の3筋から、上新丁、下新丁、新建、江戸丁が追加してつくられた。 今の武家屋敷通りは下の丁にあたる。山本邸、篠塚邸、島田邸を見ることができる。




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  下の丁、  中央に水路が生活用水として利用された




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  山本邸 



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   山本邸 座敷



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   山本邸  台所



     2023-7-25

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2023年07月24日

坊津歴史資料館と鑑真記念館

  

 串木野からわざわざNさんが枕崎に来てくれました。 彼の車で坊津歴史資料館と鑑真記念館に連れて行ってもらいました。



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  枕崎から野間池 地図



  坊津は日本の三津と言われる博多津、安濃津、坊津の一つである。飛鳥時代から遣唐使船の寄港地であった。 鑑真は近くの秋目(秋妻浦)に上陸した。 明や琉球との貿易が盛んでした。 ザビエルが最初に上陸した地でもある。r度時代になると薩摩藩の密貿易の知となる。

 この地を訪ねたいとの気持ちがあったが、適当な泊地が見つけられずに諦めて枕崎に行くことになった。



    坊津 ヨット泊地



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  青丸は停泊候補地

  槍着けだと置けそうな気が現地でした。 ウネリが入りそうな時は枕崎に行った方が良さそうだ。



   坊津歴史資料センター輝津館


 坊津の交易資料、仏教資料、漁具などの民俗資料を所蔵・展示している。



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  坊津歴史資料館




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  展示物






    鑑真記念館


 苦難の道を乗り越えて日本に上陸した地に鑑真記念館は立てられている。 休館日(月曜)であったが、管理をしているご夫妻は入館を許可して中をみせてくださった。

 記念の日には唐招提寺の高僧が来てその行事に参加するのだそうです。



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  館内から望む秋目浦





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  鑑真像



         2023-7-24





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