2022年12月30日

五島藩 武家屋敷





 

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  武家屋敷通り地図





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  武家屋敷通り



  福江城・石田城は幕末に築城された。その南西側近くに武家屋敷が残っていいる。中級武士30−40石の屋敷跡だと云われる。 屋敷を囲む石垣塀は特徴的で「こぼれ石」と呼ばれている。 石垣の上部に下写真のように小さい丸石が50cm程かまぼこ型に積み上げられている。屋敷侵入者がこの石をこぼして音がするの役に立つと言われている。全国に数例しかないものであるという。




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  ふるさと館

  こ通りの一角にふるさと館があり武家屋敷の内部が公開されている。 



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  ふるさと館 庭縁側




      2022-12-31



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福江島 教会巡礼

  

  友人のFさんが車で福江島を案内していただきました。 12ある教会の一部を見ることができました。



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  赤線は訪問した教会、  下記赤字と小さい写真の教会はは未訪問




 1.  福江教会

 福江市内にある教会。信徒の数が多い。

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  福江教会



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 内部





2. 浦頭教会


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 浦頭教会  1888年創建、1968年増改築





 3. 堂崎教会

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 堂崎教会  1904年建立



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 現在は資料館




4. 宮原教会

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 宮原教会  1971年築



5. 半泊教会

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 半泊教会  1922年築



 

 6. 水ノ浦教会

 
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 水ノ浦教会



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 内部



7. 楠原教会


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 楠原教会  1912年築



8. 打折教会


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 打折教会  1935年築 1735年移改築




 9. 三井楽教会・みいらく


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 三井楽教会  この壁画は独特ですね



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 内部




 10. 貝津教会

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 貝津教会  1924年創建 1962年改築



 11. 井持教会

 井持浦教会はフランスのルルドを模倣した日本初の聖地で多くの巡礼者が訪れます。毎年5月になると下五島全域から信徒が集まり聖母マリアを称えるルルド祭が行われます。

 ルルドとはフランスにあるカトリック巡礼の聖地で、そこには様々な難病を治すと言われる「奇跡の泉」がありました。その奇跡にあやかってに奇跡の泉を模して作られました。日本で最初に作られたのが「井持浦教会」です。

 

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 井持教会


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 内部





 12. 玉之浦教会


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 玉之浦教会


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 内部



   2022-12-30





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2022年12月29日

海上自衛隊 佐世保資料館

    

 大村に冬ごもりのために来春までヨットを置くことになる。 その係留作業が一段落したので、自宅に帰るまでの間にJRに乗り佐世保を訪れた。 このJR大村線は時間に1本程度の運航をしている。 大村駅より鈍行の佐世保行きに乗りました。 途中駅で佐世保まで特急に無料で乗り換えることが出来た。(JR佐世保線の早岐駅だったと思う) 

 佐世保に着き、観光案内所へ行く。そこで教えられて海上自衛隊の資料館を見に行くことになる。 そこには、江戸時代からの日本海軍の歴史が、模型艦船を多く使った展示により詳しく説明されていた。



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  海上自衛隊佐世保資料館



 見学を終え、長いア−ケ−ドの繁華街、地方には珍しく現役の商店街であった、そこを抜けて佐世保駅に戻り、駅前に続がる港へ出た。  そこには米軍海兵隊の空母と間違うほどの揚陸艦2隻があった。 それらは事前配備の艦船であるという。 対中国の配備であると思われるが、まだ、緊張感は感じられなかった。

 佐世保軍港は戦前から西日本の最大のものと思っていたのだが、実際にはそれほど大きく感じられ無かった。 戦前は海軍工廠が付属しており、そこは今では民間の佐世保重工になっている。 工廠で多くの軍艦を建造しているのを目にすれば、違った印象を得たのかもしれません。





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  立神岸壁にいる  米軍海兵隊の1隻目の揚陸艦、 米軍か,または自衛隊かの駆逐艦など





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   国際タ−ミナルにいる海兵隊の2隻目の揚陸艦    ほとんど空母だなあ  



    2022-12-29





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2022年12月28日

外海の大野教会、出津教会 (世界遺産)と 黒崎教会

 

  大村に来春までヨットを係留させてもらう。 お世話になっている梅さんに出津に車で案内してもらいました。外海の教会にはヨットの適当な停泊地が見当たらず、来春の訪問は無理のようなので、助かりました。 世界遺産の2つをこれでクリアーしたことになります。 後は原城と天草の崎津教会を訪れれば、念願の世界遺産をヨットで訪問は達成できます。



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   外海の教会地図







  大野教会 世界遺産



  出津教会の巡回教会である。1893年・明治26年 起工、2004年解体修理。

 内部は見学できない、外部から少しうかがうことができる。


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  大野集落




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  大野教会  世界遺産  国重文  



     出津教会  世界遺産


 1882年ド・ロ神父により設計・建設された。1909年に現在の姿になる。

 事前予約が必要であるが、急に訪ねたが問題はなかった。教会堂の横に駐車することができた。



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  出津教会  国重文   入館料400円

 

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 内部 

 さすがに多くのミサ関係の本が座席の前に用意されている。 信者の数が五島の教会と比べて多いのかと思われた。

 

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  出津の集落





        黒崎教会


 ここは世界遺産に入っていないが、オススメの教会である。遠藤周作の映画「沈黙」は見ているが、ここが舞台となったと云われるが、詳細は分からず。 1897年造成、1920年完成。


 

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  黒崎教会 





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  内部   リブ天井とステンドグラスが美しい



  2022-12-28




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2022年12月27日

大村藩 五小路武家屋敷通り






 大村氏は、古代平安時代に藤原直澄が四国から移り住み大村氏を名乗ってから、中世の戦国時代、江戸時代から幕末、明治維新にいたるまで絶えることなく大村地方を治めてきた、非常にまれな大名という。

 大村城・玖島城が築かれると、その周辺に新たな町が整備され、藩主の側近など家臣が移ってきました。こうして、玖島城下に武家屋敷街ができました。武家屋敷街は城を中心に5つの通りが作られ「五(ご)小路(こうじ)」と呼びました。 [本小路][上小路][小姓小路][草場小路][外浦小路]の五つです。


 二万七千石の余り大きな藩でないので、徒歩で城下町の風情を味わうことができる。

 


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 下記写真の概ね位置図




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    大村藩     武家屋敷 詳細分布図





 1. 草場小路

 岩永家や長与家など五家があった、円融寺もあり。

 
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 円融寺  庭園




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 円融寺には大村37志士の墓がある







 2. 上小路・うわこうじ

 針尾家や浅田家などの家老屋敷も多く重臣の屋敷が多かったようです。幕末には、斎藤歓之助が開いた剣術道場「微神堂(びしんどう)」もあった。

 
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 斎藤道場跡






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 上小路





 3. 本小路

 大村藩会所・五教館・上級家臣の屋敷が並び、大村五郎兵衛・大村翁助など、幕末には14戸の屋敷があった。








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 五教館御成門






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 稲田家 家老屋敷跡    愛宕山東側にある  今は人は住んでいない模様





 4. 小姓小路・こしょうこうじ

 小姓衆が住んだ通りであることから小姓小路と名付けられました。後には、小姓衆だけでなく、他の家臣も住んでいた。




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 小姓小路 案内板






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  小姓小路






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 中尾元締役旧宅   伊能忠敬の測量助手を務めたという



 5. 外浦小路・ほかうらこうじ

 大正時代に師範学校が建設された際に、通りの大部分が消滅し、通り自体がわかりにくくなっています。現在では大村園芸高校が建っている。




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 外浦小路 石碑






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 港内の垣根の奥に石垣が見えるが、屋敷跡の名残か?



    2022-12-27

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2022年12月25日

小値賀島

     


 

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  小値賀島


 今回の五島列島は、前回に宇久島を訪ねたので、平戸―黒島から小値賀島に向かいました。 野崎島の北方海域では、予想外に潮流の影響を受けて機走で3ノット余りになり、またかと、ホンダワラのペラ絡みを懸念しました。 しかし、この秋の航海では一度もプロペラに絡むようなことはありませんでした。 本当に秋巡航では、海がきれいでゴミが浮いていることも無く、心配のない気持ちの良い航海だと思います。 また、この後の五島で気が付かされたことですが、瀬戸内並みに潮の流れがあるということです。





 1. 小値賀島 ヨット泊地


 
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 赤丸は停泊地。 青丸は候補地

  ヨットの係留地は事前の調べでは多くあるように思えたけれど、実際に行ってみると赤丸の位置しかなかった。 漁協の給油ポンツーンに着けて給油して、そこで訪ねて赤丸の階段がある付近の岸壁に着けた。



  2.  小値賀島散歩 



 翌日朝に観光案内所で自転車を借りて、教えてもらったところを見てきた。 カトリック教会を訪ねた、精彩のない廃校のようであった。他の五島で信者がごく少数で守っている教会を見てきたが、もっと生き生きとしていたように思われる。 ミサなどに使われていないのかもしれない。この島は平坦で江戸時代でも実りが良い土地ゆえに仏教の信者が多く、カトリックの信仰が少ないのかもしれない。 それから膳所城、2つしかないという古墳、地の神隠者、牛の塔を見て回った。 3時間ほどで終えたので。先を急ぎ世界遺産の島・野崎島に向けてヨットを走らせた。



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 小値賀島さんぽ地図





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  小値賀教会

 民家のような小さな教会堂は、明治14年(1881)に野崎島の舟森集落に建てられた瀬戸脇教会の司祭館だったもの。キリスト教徒のいなかった小値賀島に、昭和47年(1972)の集団移転で野崎島を離れた信徒たちが移築したもの。 





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 牛の塔  

 かって狭い水路で2つの島に分かれていた。埋め立てて続げたときに工事の犠牲となった牛の供養塔



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  膳所城跡石碑  





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  地ノ神島神社鳥居

 鳥居から望むは野崎島にある本宮である。





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  神方古墳  

  6世紀末から7世紀初頭の築。



      2022-12-26

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2022年12月24日

クリスマスコンサ−ト  2022

     



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 聖トーマス教会のクリスマス・オラトリオ


 今年もしみじみと音楽を楽しめる時期になりました。 ワクワクとした若年のクリスマスはとうに過ぎ去りましたが、残像を楽しんでいます。

 古楽からモダン、レトロのナットキング、懐かしのロッド・スチュワ−トまでの音楽を集めました、お好みをがあれば良いですね。

     メリ−クリスマス!



 Bach - Christmas Oratorio [1-3] Harnoncourt  BWV248 バッハ クリスマスオラトリオ
 https://www.youtube.com/watch?v=98UjjwzJBFE  80分

 André Rieu's Christmas recording 'Home for Christmas'.
 https://www.youtube.com/watch?v=ucWmucr4guQ  60分

 Gracias Choir & Orchestra
 https://www.youtube.com/watch?v=2UxUDByeovc  90分

 Nat King Cole - "King Of Christmas  ナット・キングコ−ル
 https://www.youtube.com/watch?v=yzGFPQQj9BQ  34分

 Rod Stewart - Christmas Live at Stirling Castle HD 21-nov-2012  ロッド・スチュワ−ト
 https://www.youtube.com/watch?v=Tpdx_zdoa_Y  51分

 Christmas in Vienna 2008
 https://www.youtube.com/watch?v=NnLIMWLs0b8  84分


 Baroque Christmas
 https://www.youtube.com/watch?v=0093uRpp11E   125分


    2022-12-24

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2022年12月23日

五島 教会巡礼  その3

  五島 教会巡礼  その3



 福江から長崎の野母への航路を予定していた。40マイルほどの横断距離になるので日頃を選んでいきたいところだ。 予定を変更して奈良尾に向けた。前回に教会巡礼 その2 を行っているので。それを補うべき再度タクシ−にて見に行った。



 
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  青線は今回訪ねた教会





 O 猪ノ浦教会

 明治中期より猪ノ浦に住み始めた、最初は大曾教会に参詣していた。現在は真手ノ浦教区に属している。



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 猪ノ浦教会   大正初期創建、 1989改修





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  内部





 P 焼崎教会

 初めは若松町桐教会に属していたが、1975(S50)年2月9日真手ノ浦教会に神父が配属されてから真手ノ浦小教区に属し今日に至っている。



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 焼崎教会   1960年 築



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 内部





 N 跡次教会

 1879(明治12)年移住して大曽教会に属していたが交通不便な為1907年
青方小学校の古い校舎の一部を払下げを受けて教会を設立した。老巧したため
1984(昭和59)年12月、現在地に新設した。


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 跡次教会





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  内部



 B 大曾教会

 大曾教会は武漢ウイルスの関係で内部はみられないようです。 予約をするか尋ねたほうがよいでしょう。

 明治12年創建、 1916年竣工、鉄川与助が設計施工。



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 大曾教会



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 内部





 M 青方教会

  鍵がかかっており内部は見るなかった。 予約が必要か?  上五島地区のセンタ―的な役割を持つ。



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 青方教会  2000年建立





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 内部





 L 冷水教会

 五島崩れの迫害で戻る人はういなかった。。 現在住む人は迫害後に移住してきた人という。



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 冷水教会   1907年建造,鉄川与助設計施行



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 内部





 A 青砂ケ浦教会



 国の重文になっているのに、世界遺産に取り上げられなかったのは、教会内の駐車場が選定委員に気に入らなかったみたいだという、つまらない理由とか聞いています。 ここは2018年に路線バスで訪ねました。コロナの影響で施錠されて中をみられないそうです。 予約をすればみられるのかもしれません。



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 青砂ケ浦教会



   五嶋みどり  青砂ヶ浦教会コンサ−ト  バッハ  無伴奏ヴァイオリン パルテイータとソナタ 

     https://www.youtube.com/watch?v=UDRoO9DzXNg     40分



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 内部






 S  丸尾教会

 1978年小教区として独立

 
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 丸尾教会  1899年 創建、 1928年 再建





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   内部





 

 R  佐野原教会



 海に面しない山尾の教会である。



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 佐野原教会  1963年築





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  内部





 S 船隠教会



 船隠信者は明治初年、外海より移住したものである。
1927(s2)年神浦郷の住宅を買い受け11月教会堂を設立、当時は
桐(若松町)の巡回教会で主日・祭日のミサを始め、教会に関する
用事はすべて桐教会まで行かなければならなかった。
 1931(S6)年鯛ノ浦の巡回教会となる。



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 船隠教会  1956年新築  1974年改築





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 内部



 C 鯛ノ浦教会



 今回は道路側からのチョイ見で終わった。2018年の巡航の際に有川よりレンタサイクルでここを訪ねている。 ここの神父さんはこの地区の小教区の面倒をみている。



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  旧鯛ノ浦教会  1903年創建、



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 旧鯛ノ浦教会内部





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 (新) 鯛ノ浦教会  1979年 新築



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 内部


 教会巡礼 その1
 教会巡礼 その2

           2022-12-23

posted by 終活・克ヨット at 17:25| Comment(0) | 日記

音楽知らずのバッハ詣で   佐野による

    


  友人の佐野が「バッハ詣で」46回を書き終えました。 残り少ない小生にとってライプチッヒの「バッハ音楽祭」に行くのは必須の夢のひとつですが,未だ実現しておりません。 彼は10数回訪れて楽しみ、そしてこのような文章にして成果を残しています。バッハに興味をお持ちの方には参考になれれば幸いです。

   はやめの バッハ全集

         バッハ まとめ

          バッハ音楽祭




第1回:私はだまされていた… 【のらり新連鎖スタート】
更新日2021/10/28



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 ライプツィヒ 聖トーマス教会(参考イメージ) 
 


教会音楽に初めて接したのはどこだったのだろうか、ウィーン、ザルツブルグ、ミュンヘンだったのか記憶にない。なにしろ50年以上も前のこと、半世紀前の昔話に類することなのだ。

シベリア横断鉄道でモスクワに入り、そこからキエフを経てウィーンに辿り着き、ウィーンからはヒッチハイクでオーストリア、ドイツ、オランダを経てスコットランドに向かった。もっぱらユースホステルに泊まり歩いていた。


バックパッカーにとって辛いのは日曜日だ。ユースホステルを朝9時に追い出され、かといって博物館、美術館などは閉まっているし、行くところがないのだ。とりわけ冬には、公園でのんびり過ごすこともできず、閑散とし、冷え切った石の町をうろつくしかないのだ。私がソビエト(ロシア)、ヨーロッパを横切ったのは11月から12月にかけてだった。ただ一箇所だけ、日曜日の午前中に開いているところが教会だという理由で、そこへ足を踏み入れたのだった。

残りの人生を逆算した方がはるかに早い歳になっても、忘れられない衝撃的体験は数えるほどしかないが、その一つがヨーロッパのどこかの教会に足を踏み入れた時のことだった。初冬の薄暗く寒く、天井ばかりがやたらに高い教会内に響き渡っていた音、音楽に、私は突然、全神経を撫でられたような、あるいは優しいけれど、鋭い爪を持った手で全身を掴まれたような感覚に襲われたのだった。

頭がシビレ、全身鳥肌立ったのだった。このような音楽がこの世に存在することを知ったのだ。その音楽が誰の何という曲だったのだろうか、グレゴリオ聖歌のような響きをもったコーラスだったと思う。基本的な音楽の知識のない私には知る術がなかった。

学生の頃からアルバイトで稼いだナケナシのお金をはたいて、安い席でクラシックコンサートにチョイチョイ行っていた。札幌の市民会館、厚生年金ホール、中島スポーツセンター、東京に出てからは、上野の文化会館、捧楽堂、元のNKKホール、横浜の紅葉坂のホールは私のホームグラウンドだった。ロックもフォークも好きで良く聴いたが、いざお金を払ってレコードを買うとかコンサートに行くとなると、貧乏学生だった私はとても両方に手が出ず、クラシックに偏っていた。カール・リヒターがミュンヘン・バッハ管弦楽・合唱団を率いて日本に来たのは一つの事件だった。私もナケナシの懐をはたいて聴きに行った。

だが、オーストリアかドイツの教会に鳴り響いていた音楽は、日本で聴いてきたどの音楽とも次元が違った。日本ではそれなりに感動し、帰りの電車の中で頭がボーッとしたり、コンサートで聴いたばかりの曲、演奏が頭の中で渦巻くことはあった。が、彼の地の教会で耳にした音楽は全く違うものだった。耳で聞く音ではなく、全神経に訴え、全身に染み入る音楽だった。普通の感動をはるかに通り超えた、魂を揺さぶるような音楽、音の響きだったのだ。 

私が日本で聴いてきた音楽に、私は騙されていた…と思わない訳にいかなかった。 

そこからの私の旅は、駅や街中のインフォーメーションセンターでコンサート、教会のミサの有無、場所、時間を尋ね、渡り歩くのが目的になったのだった。冬場がコンサートのシーズンであったことも幸いだった。

あれは、シュトゥットガルト(Stuttgart)だったのかデュッセルドルフ(Düsseldorf)だったのか、バッハのクリスマス・オラトリオの連続演奏会に出会ったのだった。オピウム(阿片)のように私の体を侵し始めていた教会音楽にまたまた全身がシビレたのだった。 

当たり前のことだが、教会で、信者たちは祭壇に向かって、顔を向けて座り、目、視野はゴテゴテと飾りつけた祭壇、キリストの生涯をドギツイ色を塗ったくった塑像、あるいはすっきりとした十字架だけの教会もあるが、あくまでキリストだけに集中するように造られている。音楽はといえば、祭壇とは対面の2階に設けられたオーケストラ、合唱隊の席で演奏されるのが一般的だ。だから、ミサに参列した信者たちは演奏者の姿を見ることができない。

目は祭壇に向いたまま、頭の上、後ろから鳴り響いてくる音を聴き、感じるのだ。オーケストラ、合唱隊が奏でる音楽は、高い天井に昇り、反響し深い陰影を作って会衆の耳に届く仕掛けだ。心はあくまで神のみに向け、音楽は天上から鳴り響き、心神を深める副次的な役割を果たすだけなのだ。

クリスマス・オラトリオの初日演奏会のことだった。演奏が終わり、その残響が消える前に会衆が立ち上がり顔を2階のオーケストラ、合唱隊の方に向け拍手をし始めたのだ。私も立ち上がり、演奏者の方を向いた。その時、指揮者がそんなことは止めろとばかり、指揮棒をサッと横に振り、そして両手の平を下に向け、会衆をいかにも抑える仕草をしたのだった。

潮を引くようにスーッと拍手は止んだ。ここはコンサートホールではない、静かな余韻を胸に抱いて家路に着けとでも指揮者は言いたかったのだろうか…。



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 クリスマス・オラトリオ(参考イメージ)

音楽はあくまで音の芸術だったはずだ。だが、テレビが茶の間に入り込み、クラシックの演奏家、指揮者を大写しにして、仕草、表情を捉えて映し出す視覚の時代になってしまったのだ。カラヤンやオザワが髪を振り乱し口元を引き締め、いかにも音楽に浸っているように棒を振る姿の方が、実際に彼らが作り出す音楽より聴衆に訴える力が大きくなってしまったのだ。 

ショー化した音楽、視覚と聴覚がミックスした音楽はそれなりに楽しいものだ。多少思いきって打ち明ければ、マイケル・ジャクソンがスペイン、マルベージャのサッカースタジアムでコンサートを開いた時、私は大枚はたいて聴きに行った。そして大いに楽しんだのだ。その一方で、マドリッド郊外にあるカサ・デ・カンポの野外音楽堂で開かれたヘンデルの『王宮の花火の音楽』、イタリア人の演出家が実際の花火を演奏に合わせて打ち上げるという演出、派手派手しいコンサートも楽しんだ。それはもちろん私が言うまでもないことだが、それはそれであって良いと思う。

だが、教会音楽においては、演奏家の視覚的要素はできるだけ排除し、純粋に耳だけで聴き、全身で感じるのが本筋だと思う。 

もし、日本でクラシック演奏家の姿が全く見えない状態にして、たとえばコンサートホールのステージに薄いカーテンを張り、音だけの世界の演奏会にするなら、どれだけの人が聴きに来るだろうか。 

私たちは視覚、ビジュアルな時代に、すべて“ショー化”しなければならない時代に生きているのだろうか…。



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 聖トーマス教会のクリスマス・オラトリオ


   第1回―第46回・最終回  バックナンバー


-…    つづく



      2022-12-23


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2022年12月22日

膳所城・ぜぜじょう   小値賀島

    



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  膳所城 縄張り図  



 道路わきにある石碑を見て、奥にあぜ道のようなところを100mほど行くと新田神社がある。ここが城跡・館跡になる。 神社の奥を探ってみると、それらしい雰囲気はある。 堀跡があるのか充分な調べはできなかった。 自宅に戻ってから上図のような縄張り図を見つけた。 これを知っていればと残念に思う。


 現在の地形から城跡があった雰囲気は感じられませんが、ここは南北に狭い瀬戸があり入り江を望む海域にあった。14世紀前半に松浦一族によって築かれたとされる。


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 膳所城跡 石碑、  松浦(源)定頌徳碑でもある




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 新田神社



   2022-12-22

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