2022年08月09日

下松

     



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  赤丸は停泊地



  上関から新門司マリ−ナにヨットで向かう時には姫島に寄るケ−スがほとんどだと思われる。 逆コ−スで潮に恵まれれば8−10時間で行けたこともある。 また、かって徳山グリ−ンヤマトマリ−ナに入ったことがあるが、山間のマリ−ナでたいそう不便なところであった。 本土側の適当な立ち寄り場所は山口のヨットに尋ねても無いようである。 今度、下松に行きポンツ−ンを見つけたので係留してみた。

 下記写真の後方位置に着けたが、翌日に前方へ移動するように指示された。 漁船の荷揚げが早朝にあるようである。 その作業に不都合がなければ利用できるようだ。 ここは諸風を防ぎ良い係留場所である。 安心してここに2泊し町を散策することができた。 コインランドリ−は駅前にあり、コンビニ、ス−パ−も近くにある。




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 漁協の荷揚げポンツ-ンに係留した、 前方にシフトした位置



    2022-8-9

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2022年08月08日

須佐

 



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 須佐湾  赤丸に停泊  青丸はおもしろそうな停泊候補地



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  須佐  防波堤の内に停泊

 江崎を出港してしばらくすると3ノットくらいに減速した。 ホンダワラのペラ絡みを想定して予定を変更して須佐に停泊した。 予想どうり潜るとホンダワラが絡んでいた。

 ここはス−パ−で買い物ができガソリンスタンドにて給油ができる。 JR須佐駅も近いが便数が少ない。

 須佐はスサノウノミコト(須佐之男命)の伝説にちなむ名前の地である。 長州の地でもあり、幕末に第1次長州戦争で三家老が切腹させられたが、その一人の益田親施(ちかのぶ)の領地であった。益田家の墓地を訪ねた。親族のそろった珍しい墓地だという。

 須佐歴史民俗資料館も覗いた。 その展示で知った心光寺に興味を持つ。久坂玄瑞と、僧 月性がここに集い密談をしたという。



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  益田家の墓地



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  心光寺



      2022-8-8



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2022年08月07日

ホンダワラのペラへの絡み  その2



  今春の隠岐へ行くクル−ズでは、関門海峡を抜け山陰沖を往復した。 まず、新門司マリ−ナでペラの点検して潜り,そこまでの瀬戸内での航海でプロペラにホンダワラが絡んでいないことを確認した。

 我がヨットは関門を抜けて蓋井島をめざした。潮の影響を受けているのかと2−3ノットにスピ−ドが落ちていても気に留めなかった。向かい風の影響も受けていたので。 蓋井島が真近に見えても接近できない、1ノット過ぎしか航走していない、さすがにあきらめて南風泊へ反転した、追手になったので2−3ノットで無事そこへ入港することができた。 それでもペラの絡みにに気が付かず、翌日は角島へ向かう。朝5時出たのに機帆走で3ノット程度であった。夕方にになってやっと着くことが出来た。さすがに、ホンダワラのペラ絡んだのが原因だとして潜って取り除くことになった。 ペラの形が見えないほど絡んでいた。

 それ以来走るたびに点検も兼ねて潜るハメになった。ひとつかみで済むこともあるが通常5ノットの艇速が1−2ノットの減速を余儀なくさせるほどの量であることが多かった。 

 取り除く方法も進化した。 ロ−プを両舷から伸ばして錘を結び、それを船底のプロペラ下に置く。そのロ−プをたどってペラにたどりつく方法で潜っていた。 老人には体力のいる作業であった。 ソフトウエットスキンを着てウエイト無で潜るので浮力が増えて、泳ぎのヘタな小生にはこのロープをたどる方法でしか上手く潜れない。 従い今までは5回も潜るハメになると、気力が失せ、その先のクル−ズを諦めることになったことがある。

 今回は縄はしごを用意し、それを舷から吊るし、そのハシゴを下りてぶら下がり、サイドから覗いて長柄のカマやカギ手でホンダワラを取り除く方法を試した。それにはハシゴが安定しない欠点があった。 ハシゴに錘を着けると少しは作業がし易くなった。 試していないが、アルミの脚立だと良いと思われるが、それを使わない時にヨット上に脚立を収納するのには難がある。

 今回たどりついた結論は、船尾にあるスイミングラダ−から下りて潜り、ラダ−をつかんでひと押しするとちょうどその反力でプロペラにたどりつくことである。これだと、体力を要しないので潜ることが気にならないことになった。今回の15回以上の潜水に耐えられた。

 ホンダワラが絡むことが多い原因は、今年は例年になくホンダワラが多いからか、瀬戸内では気にならないので、九州と日本海の生息場所が問題なのでしょうか、 また、ロングキ−ルやセイルドライブだと少ないようなので、わが艇のようにフィンキ−ルとシャフト艇ではキ−ルに当たった藻がちょうどペラに絡みやすいのであろうか。

 機走中の減速は特に春先にはホンダワラによるものと思うべきであろう。瀬戸内と狭水道でもない限り潮が原因ではないと思い知らされた。
 

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  温泉津で取り除いたホンダワラ



 

      ホンダワラのプロペラへの絡み その1      2019-07

    http://endyachts.sblo.jp/article/186259852.html?1659809916


    2022-8-7

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2022年08月06日

松江城



 ヨットにて隠岐からの帰り七類に停泊中に、隠岐フェリ−の連絡バスに乗り松江に行く。松江駅近くのホテルに1泊して市内を見学した。 


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 松江城


 関ケ原の戦いで家康に貢献した堀尾吉春が息子忠氏に24万石をもらい、出雲松江を領した。 月山富田城より移りこの松江城を築城した。

 
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 堀尾吉春  1543-1611

 尾張に生まれ岩倉織田氏に仕え信長に敗れて浪人となる。そのご信長に仕えて秀吉に付属された。秀吉と転戦して段々と加増されていく。 浜松に12万石を得る。秀吉死後は家康に接近した。



  まずは堀川めぐりの遊覧船に乗った。

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 大手前 遊覧船のりば  

 堀は思ったより浅く、底が見える。 橋を通過するにもギリギリのところが3か所もある。 堀端はすべて石垣で囲まれているのではなく、土手造りのものがある。 明治以前は堀の管理で土砂を除去する役人もいたという。それで堀の深さは維持されていた。

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 遊覧船で堀めぐり



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 縄張り図

 遊覧船を下船するとすぐに大手門木戸へ行ける。 

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 大手木戸門

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 太鼓櫓と大手櫓門跡

 わざわざ木戸門は簡単に破れるようにして攻め方を桝形虎口の中に誘い込み、もう一つの堅牢な大手櫓門でその行き足を止め、高石垣とその両側にある太鼓櫓と中櫓で殲滅すると言う強い防御の作りである。

 ここを抜けると2の丸下の段に至る。 

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 2の丸下の段より 三の門へ  中櫓と太鼓櫓が見える

 三の門を抜けると二の丸上段にいたり、ここには藩主の御殿があったが、狭いために三の丸(現在市役所がある)にも建てられていた。

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 三の門跡

 

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 二の門跡



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 一の門を抜けて本丸と天守へ


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 天守

 現存天守12のうちの1つで姫路城のように見ごたえがある。 


 城見学を終え大手門にもどり、堀端の風情のある塩見縄手通りを歩く。そこは街並み保存地区の武家屋敷版の代表のような街並みです。 小泉八雲邸や記念館もある。

 武家屋敷
 500−1000石程度の上級藩士の屋敷と言われる。 1733年の大火焼失より再建されたもの。屋敷門に中間の部屋がある大きなものである。

 

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 武家屋敷

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 武家屋敷の台所



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 小泉八雲邸


   2022-8-6




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2022年08月05日

萩のヨット泊地


  萩へは20代の時に訪ねたことがある。当時は船乗りをしていて、下関造船所へ乗組みしていたフェリ−がドックに上架すために行った。その時休みを利用して山陰線に乗り萩を訪ねた。 それから半世紀近くにもなるのかと時の流れの速さに驚く。

 ヨットで今回そこへ行くことになった。初めは越ケ浜漁港へ係留した。漁協脇で作業していた女性に係留許可を尋ねると、ここは厳しく停泊を禁止している吉であった。釣りさえも禁止である。 その日は土曜日であったので漁協は休みなので、翌早朝にここを出て萩マリ-ナに向かった。 朝9時のマリ−ナ営業開始までの時間に他の係留候補地を訪ねた。




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 越ケ浜 南漁港 ここに最初は停泊








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 越ケ浜 北漁港  ここも空いてはいるのだが



 フェリ−乗場の港は作業船で岸壁がいっぱいでヨット停泊の余地はなかった。次に下関ヤンマ−のある漁港に行き、そこにいったん舫った。日曜日なので問題なさそうであった。その岸壁は漁協の給油所とヤンマ−とで利用を分けているようなので、平日の停泊は難しいかもしれない。

 マリ−ナ以外でヨットが舫えそうなところはマリ−ナ近くのクル−ズ船が使うと思われる商用岸壁の横付けか、美浜公園の地元ヨットが停泊している近くの槍付けかと思えた。 JR山陰線を利用して萩近くの漁港への停泊を考えたが、JR時刻表を見ると通勤時間帯しか列車が無いので無理のようだ。

 マリ−ナは比較的料金が高く、電気もとれなかったので満足のいくものではなかった。 漁協の頑なな態度には、小生は歴史的な長州人への尊敬の念があるのですが、悪い面がでたなと思う。他の山口県の漁港は空いていれば拒むようなことはなかった。 スペ−スが十分にあり税金で作った施設なので柔軟な運用が無いのであろうか。





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  フェリ−乗場の港  作業船が多い 空き無し




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 下関ヤンマ−前に仮停泊




 


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  商用岸壁   大型クル−ズ船用に作ったのか荷役設備は見られない





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  美萩公園前の候補地   





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  萩マリ−ナ   岸壁付けした





 

       2022-8-5





 

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2022年08月04日

源範頼  お墓 5

    

  ヨットで隠岐へ行く途中に仙崎に立寄りました。 近くの三隅に範頼の供養塔とお墓があるということで訪れました。

 ネットで調べてみるが詳しいことは分かりませんでした。

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 長門三隅八幡宮の宮司さんに地図を書いてもらい行くことができました。

 なぜ、ここに範頼の供養塔とお墓があるのかというと、伊豆修善寺で梶原景時に襲われて範頼は亡くなった。部下の当麻三郎と小太郎が首を持って逃れてここに供養したと云われています。



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 三隅八幡宮



 
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 範頼供養塔


 お墓は案内板にたどり着けましたが、そこへ行く経路が分からずに見ることはできませんでした。
案内板のすぐ後ろに獣道のような登り口があって途中まで行くが不安になり戻りました。他の道も探りましたが行くことが出来ません。 案内の説明不足でしょうか? 

 範頼はこの地では大事にされていないようですね。 せっかく大河ドラマで登場しているので殺されるシ−ンが過ぎてしまうと、 ますます、ここを訪れる人は少なくなってしまうでしょう。

 隠岐のクル−ズを終えて自宅に帰って大河の録画を見ると、範頼はもはや殺されてしまっていた。範頼の復権は遠いようです。



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 範頼お墓 案内板



    2022-8-4


  源範頼 まとめ

    http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank057.html





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2022年08月01日

隠岐のヨット泊地 その2 

  
  
   



  隠岐にてヨットで実際に停泊したところは西郷と菱浦です。その他は写真や図で青丸で記しますが、実際に訪問実見していますが停泊したところではありません。 水深もあるところですが、初めは槍付けして着岸して、確かめてから横着けすべきでしょう。 槍着けでしたらスペ−スが多くあり困らないでしょう。



 1. 島後






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島後のヨット泊地


  中村

 漁港の横は海水浴場になっている。 小さい食堂があり、サザエ丼を食した。  北風系以外は穏やかな港湾である。



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 布施

 横付けできる場所はなさそうである。 槍付けで北の部分に着けるか、錨泊しかなさそうである。




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  布施のヨット着岸不適の桟橋

 

  福浦

 諸風を防ぐ良い湾のように思われる。 ここはロ−ソク島観光の案内船の係留地である。その船が岸壁を使用している。防波堤の内側に2隻ほどの係留場所がある。 仮付けして確認してください。 北の奥まった重栖には定置網漁船が多い岸壁があるが、漁民に尋ねる必要があると思う。



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 右側は福良の観光船岸壁、下の防波堤の内側が泊地候補


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 右側は重栖の定置網用漁船が係留する岸壁


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  都万(つま)

 湊が充実していない時代に舟を陸揚げして保管した船小屋群が日本で少数になって残っているのが見られる。 南風系のときにはウネリが入るようである。


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  都万の船小屋群





  蛸木



 北風系の風のときには良い泊地となる。 漁協の前には空スペ−スがあるが、荷揚げに使用されるようなのでここは避けた方が良いでしょう。


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 蛸木の係留予定地







 2. 島前・どうぜん





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 島後と島前の間はフェリ−によるかジェット船での交通になる。しかし、島前の3島・仲の島、西の島、知夫島には300円の交通船が便利である。



    仲の島

 菱浦

 西郷よりヨットで仲の島・菱浦に向かう。西の島戸の水道では向かい風になり,ここへの風が収束して強まるようなので難儀して菱浦へ入港した。ここは風が通るようだが湾内の波は静かで良い避難港になると思われる。

 事前に西郷よりフェリ−にて菱浦に往復して観光案内所にてヨット係留地を尋ねた。湾奥に公民館がありその前を勧められた。そこへ係留した。

 お風呂はホテルEntoで入浴するすることができる。週に3日ほど可能でタ−ミナルにその日程が張り出されていた。係留場所の前には小ス−パ−があり買い物ができる。給油は諏訪湾の方にスタンドがあった。



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 赤丸は係留地





  諏訪(湾)

 菱浦から東へ隠岐神社方面にいくと比較的大きな湾がある。ゴミ焼の施設が有りそこの岸壁も利用できそうだ。 実際に事前に確認が必要です。



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  青丸は係留候補





    西の島



  別府



 別府へは連絡船やフェリ−にて菱浦や来居より10分ほどである。 下図で候補地を2か所を実見したが、今回の南西の風が続いた時点ではウネリが入りヨット係留には適さない。菱浦から別府のヨット移動はしなくて良かった。 ここからレンタサイクルで黒木御所や鶴丸ホテル、浦郷を目指した。

 

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 青丸は係留候補地

 

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  ふるさと館前の候補地  上図A

 

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  上図B





  浦郷

 浦郷には観光船のりばがある。 恐らく隠岐フェリ−のための大型岸壁が整備されている。そこへの配船はされていないので利用できると思う。

西隣の由良比女神社のある湾にも係留候補地が考えられる。



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  青丸は泊地候補





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 写真奥の 浦郷のフェリ−用岸壁 候補地A



  

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 浦郷 由良比女にある候補地B







 隠岐西の島海の駅  シ−サイドホテル鶴丸

 実見したところスペ−ス1隻しか無いように思われた。3隻とあるので予約により調整するのであろう。訪ねるつもりであったが、今回は日程的に断念した。3000円で夕食と入浴がついて留められるようである。 電話08514-6-1111 上図の位置にあるように諸風を防ぐ良い泊地である。

 

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  ホテル鶴丸ポンツ−ン



 知夫島


 知夫島の係留地はフェリ−と連絡船の港になっている来居と南にある知夫里漁港になる。 来居は暴露したフェリ−岸壁の端になるので天候に左右され時期を選ぶ必要が生じる。連絡船の船着き場は少し囲まれた空間があるが、狭くて場所は無い。

 知夫里漁港は漁協の建物前の岸壁かその先の防波堤が候補地と考えられるが、一旦槍着けして尋ねる必要があるでしょう。 ここは七類に着く大型釣り船の母港のようで、後で思いついたのですが、七類に行ったときに知夫島の係留地を尋ねておくのも良い方法かもしれない。

 この島では買い物、お風呂、給油は期待できないでしょう。


 

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  青丸は係留候補地


 

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  来居 A 候補地   



 

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 知夫漁港 B 候補地





   2022-8-3

   


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