2022年08月21日

温泉津

       

 

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 赤丸は2回の停泊地 青丸はお勧め停泊地、  温泉津と沖泊、 付近の3つの城跡



  温泉津の温泉はヨットマンにも良く知られていて、山陰へクル−ズに行くと話すと温泉津への訪問を勧められます。 20代のはるか昔にいったことがあるので温泉のことは既に知っていました。 今回は隠岐への巡航で2回行き帰りここを訪ねる。 最初は温泉津港灯台を過ぎてホンダワラが絡み減速を強いられた入港となった。湾奥の漁協近くの防波堤の先に着岸した。そこで潜ってホンダワラの除去を行なった。 南寄りの風でここはウネリが入った。 帰りは入り口近くの物揚岸壁に着岸した。 温泉津は泊地に悩むところであるが、漁協との相談の上物揚岸壁と漁協岸壁の間にある防波堤の内側がウネリも防ぎ良い係留地になると思われる。 そこは漁具がたくさん置いてあるようですが、着けてもよいということです。  地図の青丸の位置。 


 
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  ホンダワラを取り除いた



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  1回目の停泊地



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  2回目の停泊、  後ろはジャリの積み出しをしている




   沖泊湊、 鶴丸城、櫛山城、笹島城


 帰る間際になって、近くに城跡があることを知り。探して見た。ここは毛利氏の時代に石見銀山の銀を積み出す港に使われていた。 そこは現在の温泉津港ではなく湾先にある沖泊湊になる。 

 2回目に係留した物揚岸壁からトンネルを抜けて徒歩5分の近くに沖泊湊がある。 そこには細工の手の込んだ飾りがある恵比寿神社があった。それを見た時には、それが打ち捨てられたような集落にふさわしくないように思えた。ここが銀の積み出し湊であったことを知れば、往時の盛況さゆえに、その神社はここに在るのは納得のいくものである。 

 温泉の入り口に内藤家・庄屋屋敷がある。 関ケ原合戦の敗戦により毛利家が30万石に減封になった時に、ここの管理を担されていた内藤家は土着して庄屋を務めた。


 

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  内藤家 庄屋屋敷



 

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  恵比寿神社



 日本は江戸時代の前期の最盛期には世界の銀の産出量の1/3を算出した。その大部分を石見銀山が占めたという。大内・尼子・毛利とこの銀山を取るのに戦い、最終的には毛利氏に銀山は属した。 毛利氏はここを守るために内藤氏に鶴丸城を築かせた。


 下図のように、鶴丸城跡は温泉津港灯台のある岬にある。櫛島にある櫛山城と鶴丸城、また入り口の対岸にある笹島城の3つでこの沖泊を守っていた。いずれも時間的な制約があり、訪ねることができなかった。

 沖泊はヨット泊地として訪ねたいところである。櫛島の東側Aに小さい防波堤がありその内側にはつけられそうである。 錨泊や槍着けならもっとできそうである。 2回目の訪問ならここへ行けば良かったと思う。 年齢的にはもう無理そうなので、 若い方のここの訪問記でも読みたいものです。



 

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  城跡と沖泊   赤丸はヨット停泊候補地 AとB






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  恵比寿神社近くの停泊候補地 B





          2022-8-21








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2022年08月20日

姫島  九州への良い中継地

   



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  姫島 赤丸は停泊地



 九州の東側や関門海峡を抜けて北側に行く機会があったが姫島には今回の隠岐行きの帰りに初めて立ち寄った。 フェリ−岸壁の横に階段だ設置されている漁協前の岸壁に下記写真のように着けた。 日本海で20-30cm位の潮汐にここのところ慣れてしまったので、瀬戸内の2-3mもある潮汐には忘れていた記憶を思い出さされた。 その岸壁が高いという感想を覗けば、小ス−パ−、銭湯、ガソリンスタンドがあり不便はないようだ。


 

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 姫島の係留地




 暗くなるまでの間、姫島を歩いてみた。 ロ−カルな偉人の像や記念碑があった。 けれどこれにはよそ者には興味が湧かない。 庄屋さんの建物があった。 明治の時に村の有力者は郵便局長になったのでしょう。 その趣のある建物を見る。 ここは杵築藩の領地であり、その保護を受けていた大帯(おおたらし)八幡社がある。 その大松が目に留まったので写真を撮った。 この神社の祭礼に船曳行事にしようされる御神舟八幡丸の収納庫が見られた。




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  古庄家  村の郵便客を営んでいた元庄屋




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  大帯(おおたらし)八幡社にある松




      2022-8-20




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2022年08月19日

萩城下町 その2  高杉晋作の志

     
 JR東萩駅にて自転車をレンタルして、萩の城下町を散策した。それを松本川の右岸地区と左岸地区に分割して掲載する。


 参照   ぶらり はぎ散歩  地図    この散歩地図を見ながらサイクルしたので、 場所の位置詳細は左記の地図をご覧ください。


 これで萩の維新関連の場所は廻ることができます。 現地で手に入れると良いと思われます。





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 @ 御船蔵

 A 旧山村家旧宅

 B 野山獄、 岩倉獄

 C 女台場

 D 繁沢家長屋門

 E 木戸孝允旧宅

 F 青木周弼旧宅地

 G 高杉晋作誕生地

 H 旧益田家物見櫓

 I 旧周布家長屋門

 J 北の総門

 K 旧厚狭毛利家 萩屋敷長屋

 L 口羽家住宅

 M 旧児玉家長屋門

 N 村田清風別宅跡

 O 久坂玄瑞誕生地

 P 旧田中別邸

 Q 井上剣花坊誕生地

 R 渡辺萬蔵旧宅

 S 山形有朋誕生地

 ㉑ 旧湯川家屋敷

 ㉒ 桂太郎旧宅

 ㉓ 井上勝旧宅

 ㉔ 前原一誠旧宅

 ㉕ 堀内鍵曲

 



  街並み保存地区 浜崎



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  浜崎保存地区 @ A





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 @ 御船蔵  藩主の御座船や軍船を格納した船倉、現在は埋め立てがあり川岸と離れている。4つの船倉   があったという。




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 A  旧山村家旧宅   江戸時代後期の大型の町屋である。



 

 200石取りの岩倉が西隣の野山200石取へ酒に酔い切り込み殺傷事件を起こして、両家が取り潰しになりそれぞれ監獄となった。



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 B 野山獄  士分のあるものの監獄となる。 吉田松陰がここに投ぜられた





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 B 岩倉獄  庶民が入獄し待遇も悪かった、松陰と渡米に失敗して捕えられた金子重輔はここで獄死した




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 C 女台場  海防のための土塁築造に武士の妻や奥女中が参加したので女台場とよばれる




  重要伝統的建造物保存地区  堀内地区  侍屋敷地区

 三の丸のほぼ全域で藩の上級武士が住んだ。 明治になり多くの人が東京に住んだという。 今でも地元の人は堀内の住所だと上流の人だと思われるという。 L M I H J M 


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  堀内地区 三の丸




  同  武家屋敷区

 北の総門から堀之内を出て、菊屋横丁、伊勢屋横丁、江戸屋横丁に囲まれた地域. 200石程度の中級武士の居住区

  G F E 

 

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  武家屋敷地区



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 D 繁沢家長屋門  1094石取りの藩の要職




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  E 木戸孝允旧宅  



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 F 青木周弼旧宅地  蘭学医、シ−ボルトに師事、高杉晋作が痘瘡にを治療


 

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 G  高杉晋作誕生地
 
   高杉晋作の功山寺挙兵




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 H 旧益田家物見櫓  須佐に領地を持つ永代家老、禁門の変で切腹

 


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  I 旧周布家長屋門  永代家老益田家の庶流、1530石取り





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 J 北の総門  3の丸(堀内)に入るための門、他に中の総門と平安古の総門とで城下町を分けた



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 K 旧厚狭毛利家 萩屋敷長屋  萩城の南すぐちかくにある、厚狭毛利家の武家屋敷、8371石を領す、





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  L 口羽家住宅  江戸藩邸の門を移築した、永代家老に次ぐ家柄





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  M 旧児玉家長屋門  2243石取り、




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 N 村田清風別宅跡  藩政改革を行い、その財力が維新への原動力となった





 

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 O 久坂玄瑞誕生地  松陰に学び絶賛されたが禁門の変で死す




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  P 旧田中別邸  26代総理の田中義一の別邸  





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 Q 井上剣花坊誕生地  明治3年に生まれ川柳で活躍



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  R 渡辺萬蔵(わたなべこうぞう)旧宅  天野清三郎ともいい、松陰に学び、尊王攘夷の運動に加わる、米英に留学して造船を学ぶ、 

 http://hayame.sblo.jp/article/168843234.html



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  S 山形有朋誕生地



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   ㉑  旧湯川家屋敷   藍場川が邸内に流れている、城下に行く水を管理していたという




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  ㉒ 桂太郎旧宅  桂太郎が少年時代にここで過ごした、建物は明治42年に移築されたもの




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  ㉓ 井上勝旧宅   長州ファイブとして英国に渡り、鉄道の父として活躍



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  ㉔ 前原一誠旧宅  前原の表札があったが、見学できないようです。静かな佇まい




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  ㉕  堀内鍵曲 (かいまがり)  侵入した敵を迷わせるもの



   萩城下町 その1



   2022-8-19

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2022年08月18日

萩城下町 その1 松陰の町と夢

      

  JR東萩駅にて自転車をレンタルして、萩の城下町を散策した。それを松本川の右岸地区と左岸地区に分割して掲載する。



    参照  ぶらり はぎ散歩 地図   この散歩地図を見ながらサイクルしたので、 場所の位置詳細は左記の地図をご覧ください。

     これで萩の維新関連の場所は廻ることができます。 現地で手に入れると良いと思われます。  



   松本川の右岸地区 松陰神社など



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  松本川右岸地図  松陰神社など



  以下を自転車で見てきました。


 @ 松陰神社、松下村塾、吉田松陰旧宅

 A 松浦松洞誕生地

 B 品川弥二郎誕生地

 C 吉田稔麿誕生地

 D 伊藤博文別邸

 E 玉木文之進旧宅

 F 東光寺

 G 山田顕義誕生地

 H 楫取素彦旧宅

 I 郡司鋳造所跡

 J 萩反射炉

 K 恵美須ケ鼻造船所跡

 L 吉田松陰誕生地

 

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 @ 松陰神社、 ここに塾や旧宅がある

  幕末志士伝

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  @ 松下村塾 半世紀前に訪ねたがこの場所にあったのであろうか?

留魂録

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  @ 吉田松陰幽囚の旧宅



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  A 松浦松洞誕生地、  松下村塾生、 松陰の絵を残す、 尊王攘夷志士の弾圧に抗議して切腹した

  



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  B 品川弥二郎誕生地、 見逃して通り過ぎる、  松下村塾生、高杉晋作、木戸孝允、山田顕義らと維新に貢献、明治になり欧米に6年間留学



 

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 C 吉田稔麿誕生地 池田屋事件で討ち死に、 松門4天王




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  D 伊藤博文別邸  



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 E 玉木文之進(たまきぶんのしん)旧宅、  松下村塾創立者、松陰の叔父、松陰と乃木希典を厳しく教育、前原一誠の乱で責任を取り自害。



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  F 東光寺  毛利家の菩提寺





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  G 山田顕義誕生地、 松下村塾生、大村益次郎から学ぶ、禁門の変で敗北、高杉晋作の功山寺挙兵に参加、戊辰戦争、西南戦争に活躍、司法大臣に就任し法典整備に尽くす、伯爵、 日大の学祖、



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  H 楫取素彦旧宅



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  I 郡司鋳造所跡、 幕末には大型大砲の鋳造


 

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  J 萩反射炉, 試験炉であった模様、




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  K 恵美須ケ鼻造船所跡、 1853年の大型船建造の解禁により、1856年に伊豆戸田村の棟梁が萩に派遣されここに造船所を建設、丙辰丸、庚申丸、


 


 
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  造船所見取り図


  




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  K 吉田松陰誕生の地









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  萩焼の登り窯があちこちで見られる




     2022-8-18





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2022年08月15日

浜田城、 家康の願い虚しく

   


 浜田城は吉田重治が大坂の陣の功により伊勢松坂より石見浜田5万4千石へ転封されてこれをを築城した。 現在の浜田の町は浜田川を越えた地域に大きく発展している。 当時は北前舩の寄港地松原湾・外ノ浦を北の備えとし、西と南は浜田川に囲まれ、東に内堀と外堀を設け侍屋敷と城下町を置いた堅固な城であった。 古田家は1648年に改易になりその後は譜代の大名が幕末まで続いた。 長州藩の抑えとして福山城とともに役割を担った。

 第2次長州戦争の戦いで大村益次郎に攻められ、城を自ら焼いた。




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  浜田城と北前船の寄港地外ノ浦・とのうら 



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 浜田城の資料館の奥には本丸へ行く登城口がある。 登っていくと護国神社がある。 司馬遼太郎が書いた碑文があるけれど、後で分かったことでそれを見ず。 門があるがこの城とは関係のない県庁から移築されたもの。 本丸跡にたどりるける。 3重櫓の天守があったという。 少し下って2の門跡にでる。 井戸跡と中の門跡をみると山を下った感じだ。 大手門跡は見なかった。


 

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 浜田城資料館、  御便殿(ごべんでん)、大正天皇の宿泊にたたられた  




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 護国神社



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  本丸 説明板



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  2の門跡  2の丸にはこの門と焔硝蔵があった




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  井戸跡




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  中の門跡  東正面の重要な門




 松原湾は天守より眺めることができて、その地形を見ると外ノ浦は北前舩の風待ちの湊であり、城も近く交易と防御を兼ねた重要な地点であると分かる。




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  浜田城から見た 松原湾・外ノ浦




    2022-8-15




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2022年08月14日

浜田 恩人に出会う!

 



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  浜田 大きな港湾スペ−スがある



 江崎を出て次は浜田だ。 浜田の港はとてつもなく大きい。 どこへ着けるか迷う程である。 浜田マリン大橋(高さ 18m)を抜けて神社前の予定係留地をめざした。 行ってみると、そこは漁船がゆったりと岸壁に着けているので、窮屈な操船を迫られる覚悟をした。 その時にその漁船から手招きで横抱きしろと合図を受けた。 ありがたいお招きなのでさっそく横付けさせてもらう。 その人と一緒に夕方一杯やることになり名刺交換をすると、廻航業務をしているのヨット乗りの方であった。 小生は余ほど恩知らずのようで、2019年春巡航のの折、ホンダワラがペラに絡み、アップアップしていたところを彼が見つけて延岡・土々呂までえい航していただいた秋実さんであった。私はすっかりそのお顔を忘れていた。 彼は鹿児島から鳥取まで漁船を廻航している途中に浜田で風待ちをされているところであった。 翌日天候が回復して朝出発して、その日のうちに仕事を終えられたと私に連絡があった。



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 秋実さんにえい航された





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  赤丸は停泊地  マリン大橋は白い鉄塔のように遠い沖から見つけられる、顕著な構造物である。








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 2回目はスペ−スが空いていた, 今度は外ノ浦に着けたいものだ


  小生は翌日には浜田を見学するために留まった。 浜田城を見てきた。


         2022-8-14


   

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2022年08月13日

十六島・うっぷるい

     




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 鷺浦と十六島 



 十六島はアイヌ語みたいに「うっぷるい」と呼びます。 想定航路より奥まっているので入港を予定していなかった。 鷺浦へ行くつもりであったが、入港直前になって防波堤の先で手をエックスにしてストップの気配である。 工事しているので入港できないとのことであった。 漁港の奥の岸壁には工事船がいた。 しかし防波堤の先に着桟するもりであったので、そこは空いていてつけられる。納得がいかないまま、次の泊地をさがす。日御碕近くの漁港にするか、十六島にするのか迷う。どちらも下調べがしていなかったのでこのように急な判断を求められると困る。

 十六島は大きな漁港故にどこか着けるところがあろうと、そこへ向かう。 下図の写真の位置に着けた。 大きな港だが、買い物も給油も不便であった。 隠岐からの帰りにも寄ったので2度になるが、自動販売機で缶コ−ヒ−を飲んだのみである。



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 最初の着岸地

 帰りの十六島はあいにく台風が接近していた。 七類ではここで凌ぐには不安であったので十六島へ向かう。 台風対策としてサイドアンカ−を打ち、岸壁の突端からももやいをとりエックスのよなもやいで台風をしのぐ用意をした。 幸いにも四国へ上陸したので左半円の位置になったので、雨も風も大したことはなかった。


 

 入港進路は2回目は1回目の航路を行こうとしていたら、警戒船が寄ってきて下図の2回目の航路を指示された。 ロ−プが張り巡らされていて危険だとのことであった。

 奥に漁港船溜まりがあるが少し浅いようである。 漁協事務所から離れた岸壁で漁船が近くにいないようなら着岸できるようである。2回目は漁協で許可をもらった。




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 赤丸は係留地  青線は2回の入出港航路



    2022-8-13


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2022年08月12日

西郷・隠岐騒動

  



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 隠岐諸島



 ヨットの航海において、隠岐諸島へは何か行く目的がないと、本土側を航行してそこをスル−されてしまう。 小生も何度かチャンスがあったが行けずしまいであった。

 今回の春巡航は、母港岡山に向かう新幹線の中で、九州へクル−ズする予定を急に変更して、何も下準備のないまま隠岐へ行くことを決めた。 その理由は九州一周をするプランのなか、その航程が長いのでレグを春と秋に分けることになる。春レグの終わりに天草のマリ−ナに、秋まで短期係留になることに不安を感じたからである。 そのことは、マリ−ナ係留中に台風シ−ズンにぶつかり、天草に本人が滞在しないで台風に対処するのは難しいかなと不安に思ったのが大きな変更の理由となった。

 それゆえ隠岐に行くことにした。また、ここでもよく維新のことを取り上げている。その中に長州などで結成された諸隊をアップしている。

  神機隊と芸州の諸隊

 諸隊について調べていると隠岐正義党のことを知り、ここでそれを取り上げた。 現地の隠岐を訪ねれば、もう少し何かわかるのではないかと考えてヨットで訪ねることにする。他にも海士町での先進的な漁業の取り組み、島留学と島移住の話とか興味をもった。



 本土の七類で隠岐に渡る風待ちをした。日和を見て隠岐へ航海する。 

  さて、西郷に着いた。観光案内所で隠岐騒動のことを尋ねる。 隠岐正義党に関しての資料は持っていないようだ。 観光案内所でもそのことに詳しくない。 自分で探すしかなく、レンタサイクルで市内を廻った。 現在のドラッグストアの近くに隠岐騒動勃発碑の石碑を見つけた。ここは松江藩の陣屋跡でここに島民が囲んで明け渡しを求めた。

 日露戦争でのロシア人墓地をさがしているなかで、運動公園に報国記念碑があるのを見つける。 それは隠岐騒動で14名の同志や日清戦争までの戦死者祀っている。 この地は幕末の頃の練兵所があったところだ、騒動の時に島民3000人が集合した地である。 小生が騒動に関して見ることができたのは、この2つのみであった。



  自宅に帰って調べてみると、「隠岐騒動の史跡を訪ねて」というパンフレットを見つけた。これこそ現地で欲しかったものだ。 西郷で風待ちで8日余りも滞在したので、このパンフレットに載っている各地とその付近には行っている。 惜しいことをしたものだ。

 仙崎では「金子みすず」、隠岐は「ジオパ−ク」1本に染まっていて他のテ−マには目もくれない一辺倒の状況だ。観光政策も幅広さをもっと持ってほしいものだ。 ジオパ−クと言っても、ぶらタモリではあるまいし、地学好きの人がここへ集まるわけではないと思う。 観光案内所は知識が浅いことが多いようなので、やはり歴史的なことについては教育委員会で尋ねてみるべきだったと後になって思う次第である。

 隠岐クル−ズは少しの不満を残すことになった。急遽航海計画を変更した調査が不十分な計画にもその責任がある。 ホンダワラの絡みに苦しんでも、目的港以外の避難港が考えられていないので、難儀な航海をするハメになったも自分のせいである。。

 

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 隠岐騒動 西郷         自宅に帰って見つけた資料



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 隠岐騒動記念碑、  松江藩の陣屋があった



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 記念碑説明板



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 報国記念碑  同志14人が祀られている



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  日露戦争 ロシア軍人戦没者墓地



 

     2022-8-12









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2022年08月11日

伯方島の城  ヨット泊地

   
   金ヶ崎城、木浦城、伯方本城  



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 伯方島にある城跡、伯方本城、木ノ浦城、金ヶ崎城   青丸はヨット泊地 




  ヨットを停泊させている弓削海の駅より連絡船で伯方島を訪れた。 伯方本城,木ノ浦城、金ヶ崎城をめざす。


  伯方本城


 この城は村上師清により築かれた。2代義顕は能島・来島・因島の3家に分立させて、嫡流が能島村上でここを本拠とした。金ヶ崎城、木ノ浦城、能島城はこの城の詰め城である。

  芸予諸島の村上水軍城  

  今治市の伯方支所近くで訪ねたが木ノ浦城は知られているが、満足な回答を得られなかった。この支所の北側あたりにあったと思われるが石碑や案内板は見当たらなかった。 後で調べると近くの禅興寺に案内板があった。


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  今治市伯方支所

 

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 禅興寺にある 案内板


 


   木ノ浦城


 海から模擬天守はよく見える。 そこへ行くのは少し長い坂道を登っていかなければならない。 天守は現在閉館中の歴史館である。 隣接して岩がヶ峰古墳跡がある。



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  木ノ浦城  模擬天守




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  岩ヶ峰古墳




    金ヶ崎城、


 上図にあるように湾先の岬の先端に金ヶ崎城は築かれた。 


 手前の3差路の真ん中を登るようにして歩いていく。最初は間違えて右を下ったけれど間違いであった。


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  真ん中を行く



 みかん畑の先にお堂があり城跡の石碑があった。 ここが本丸になるのであろうか。 そこへ行くまでに石垣が少し残っていたり掘割みたいなものがあるようですが、開墾されているので正確かどうかは分からない。 


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  金ヶ崎城、 石碑



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  金ヶ崎城

 





  伯方島 木浦のヨット泊地



  伯方島油槽所の前は工事をしているが、ポンツ−ンが作られていて、ヨットが利用できそうである。 まだ、漁船は着けられていない。

 連絡船の利用していないポンツ−ンの両側も一時的にはヨットがつけられそうである。



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  連絡船ポンツ−ン



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  石油施設前の新港工事中の岸壁・ポンツ−ン







      2022-8-11




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2022年08月10日

下松散歩


 

  末武城

  

  下松からタクシ−で護国神社に向かう、末武城が近くにあるのだが、近くの人に聞いても判明しない。 護国神社に登るが結局みつけることは出来なかった。 下調べが大事であった。



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  護国神社入り口



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  護国神社





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  維新13人墓 馬関戦争、禁門の変、戊辰戦争のこの村の戦死者13名を祀る



  登城成功例は下記に詳しくあります   城郭放浪記をご覧ください

  https://www.hb.pei.jp/shiro/suo/suetake-jyo/



  失意?のうちに歩いて花岡八幡宮をめざす。





  花岡八幡宮



 奈良時代からある古い神社である。 重要文化財の多宝塔を見ました。



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  花岡八幡宮 入り口



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  花岡八幡宮



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  多宝塔 重要文化財



  下松古地図散歩

 タクシ−にて下松へ帰り。 市内を散策する。 観光案内所でもらった「下松で古地図さんぽ」商業と塩田で栄えた下松を歩こう編により、歩いてみた。 下松はコンパクトに近代的な産業と昔が混在した町である。 下記地図と写真のところを散策した(1時間ほど)。 お寺の説明はここでは省略する。 パンフレットを現地でもらって読んでほしい。 1度くるっと廻った程度で述べるには厚かましい気持ちがしますので。


 


  下松古地図散歩  古地図にある場所を主に廻った

 
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  周慶寺





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  妙見宮鷲頭寺(じゅとうじ)





 

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  普門寺





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 淨西寺

 

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  庵跡  現在は老人集会所

 

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 弁財天社 古地図にはない



 

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  埴常社・はにとこしゃ  



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  磯部・矢嶋邸跡  会社敷地内で見学できない 案内板の裏側




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 日立製作所  新幹線を製作している



 

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  大地の森





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  妙法寺





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 正立寺



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  西教寺





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 東光寺 観音堂





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  泉所寺 跡  





     2022-8-10







posted by 終活・克ヨット at 07:41| Comment(0) | 日記