2022年08月31日

国府尾城 (こうのじょう)

   



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 島後 隠岐の島町、  国府尾城と後醍醐天皇行在所跡・隠岐国分寺



  何も予備知識がないまま、レンタサイクルで西郷湾の西郷大橋付近で,通りすがり偶然に国府尾城跡案内板を見つけた。 国府尾神社の裏山にその城は位置する。

 後知恵ですが、この城は隠岐一国を統一した隠岐清政(宗清)によって築かれた。清政は尼子氏の力を借りて統一。後に毛利氏に攻められて吉川氏の傘下となる。 江戸時代には堀尾氏の支配となるが、一国一城の令により廃城となる。



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  国府尾神社・城  登り口



 

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 国府尾城地図



  階段を何か所か登っていくと国府尾神社にいたる。 ここは2の丸か本丸かは不明である。 さらに奥の細い道を進むと井戸や堀切が見られた。



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  国府尾神社





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 井戸跡







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 堀切



          2022-8-31



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2022年08月30日

隠岐国分寺




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 島後 隠岐の島町、  国府尾城と後醍醐天皇行在所跡・隠岐国分寺


 レンタカ−を借りて島の東側を回った。 その時に隠岐国分寺に立ち寄る。

 奈良時代に日本各地建立された国分寺は現在でもその地名として残っているところが多い。本堂は明治と昭和に再建されたが、二度とも焼失して、また、建て直されている。 消失の後に発掘調査をして、旧本堂跡とされるところが見つかった。 近くに隠岐国分尼寺跡も発見されている。


 
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 隠岐国分寺  明治の廃仏毀釈で焼け、1950年再建しまた消失、 2014年本堂再建




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  後醍醐天皇行在所跡、  黒木御所も後醍醐天皇行在所と言われるが判然としない





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  山門


 国分寺の隣に牛突きの会場Oki Momo Dome がある。 ニュ−ス等でそれを知るのみで、実際には目にしたことはない。


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  Oki Momo Dome





        2022-8-30


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2022年08月29日

黒木御所と由良比女神社    西の島





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  黒木御所と由良比女神社 


 係留している中の島・菱浦から内航フェリ−・連絡船(200円)に乗り西の島・別府へ行ってきた。 そこではレンタサイクルを借りて、黒木御所と浦郷の由良比女神社を訪ねる。

  黒木御所

 

  黒木御所は連絡船やフェリ−を降りてすぐ徒歩5分位でいくことができる。 黒木御所碧風館では20分程度の解説が聞いた。 そこから少し登って行くと黒木御所に至る。

 後醍醐天皇が元弘元年(1332年)に討幕の戦いで敗れ、後鳥羽上皇の先例に習い隠岐へ配流になり、黒木御所に移された。 約1年後に脱出して「建武の中興」となる。





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  黒木御所案内板




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 黒木御所碧風館、  展示と説明がある



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  黒木御所跡



  由良比女神社



  西の島の別府から山越えの道を抜けると橋があり、その手前を降りてゆくと鶴丸ホテルへ出る。海の駅も併設されていてヨットが係留できる。



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   隠岐シ−サイド・鶴丸ホテル、   海の駅桟橋   




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  西ノ島大橋



 トンネルを抜けて西ノ島大橋(21m)を通ると浦郷地区へ出る。 ここは観光船に乗ることができる。 由良地区へ行くと由良比女神社がある。そこは平安時代には隠岐一の宮であった。 千夫里島からここに移築されたとかで、その時のイカにまつわる云われがある。 神社の下の浜にイカの大群が押し寄せるようになり「イカ寄せの浜」と名付けられた。 イカ長者が何人も生まれたという。



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  由良比女神社、 一の鳥居と本殿




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   イカ寄せの浜


        2022-8-29



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隠岐神社

   




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  菱浦と隠岐神社、   赤丸は菱浦ヨット係留地



  中の島の菱浦にヨットを係留した。 そこからフェリ−乗場にある観光案内所で自転車を借りて、隠岐神社に向かった。 フェリ−の到着時間に合わせてそこへ行くバスもある。 菱浦から諏訪湾沿いに海士町の役場を経由して隠岐神社に行くことができる。 所要時間は15−20分くらいでしょう。  

 隠岐神社は後鳥羽上皇を祀った神社である。 後鳥羽上皇が1221年(承久3年)執権北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れて隠岐に流された。NHKの大河ドラマで、もうすぐ承久の乱について放映されると思う。 御在所跡、御火葬塚、資料館を見た。




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  隠岐神社 鳥居




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  隠岐神社 拝殿



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  後鳥羽上皇 御在所跡



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 後鳥羽天皇御火葬塚、  1236年後鳥羽上皇が崩御され火葬



 ここの帰りに村上家と因屋城を訪ねた



  村上家と因屋城 中の島

 

 後鳥羽上皇をお世話した村上家である。 資料館で案内の方に村上海賊とは関係があるのかどうかと尋ねた。 その関係した資料は見つからないと答えられた。 しかし村上海賊に関係した子孫の方はこの島にいるということです。 江戸時代であるか明治なのか定かではないが、全国長者番着けにこの村上家は載っている。かなりの有力者であったのでしょう。  というより、敷地から因屋城に行ける。 敷地の中に祖先が作った城跡の遺跡を持つ。 有力豪族であったのだろう。





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 村上家・資料館



 戦国期には毛利に味方し1566年尼子についた丹後・但馬の海賊衆が攻めよせてきたが撃退した。




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  因屋城の案内板





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  本丸跡、(標高20m)  朝霞神社の祠


    2022-8-28

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2022年08月26日

仙崎

  

 角島から仙崎に行く。青海島と大島の水道を抜けて仙崎湾に入り仙崎漁港へヨットを着けた。 大きな漁港なのでどこに着ければと迷うところだ。

 仙崎人口島の一角(下図の赤丸)に着けた。 土曜日で漁協が休みなので近くの漁師さんに了解を得た。この位置は先に遊漁船が定留しているが空いているようだ。 他の係留候補を青丸で3か所示した。1はタグボ−トの後ろ、2は水産高校の漁業練習船の後ろ、3はセンザキッチンのある岸壁である。 x印は地形的にはよさそうな入り江であるが、ボ−トが利用していて余地はない、錨泊なら可能でしょう。

 観光施設のセンザキッチンでは海の駅が付属していて、1隻くらいのバ−スがありそうです。 また仙崎では買い物や給油は可能です。ここにはコインシャワ−や観光案内所があります。

 

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 仙崎   赤丸は停泊地  青丸3か所は係留候補



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 仙崎   ヨット係留場所



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 1の泊地候補



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 3の泊地候補

 

  ここ仙崎では「金子みすゞ記念館」と「源範頼のお墓」を訪ねた。



   金子みすず

 テレビの連続ドラマで彼女を放映していた。 10年も前になろうか。  記念館ではそのドラマで使った仙崎の本屋のセットを使って内部を再現している。 

 

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 元にあった地に再現された金子文英堂書店、 この奥に本館がある



  彼女のやさしい人格の詩が大好きです。



 『私と小鳥と鈴と』

 「みんなちがって、みんないい」

 私が両手をひろげても、
 お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥は私のように、
 地面(じべた)を速くは走れない。

 私がからだをゆすっても、
 きれいな音は出ないけど、
 あの鳴る鈴は私のように、
 たくさんな唄は知らないよ。

 鈴と、小鳥と、それから私、
 みんなちがって、みんないい



 ヨットを係留した仙崎人口島の一角に弁天島がある。そこを「みすず」さんが詠んだ。

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  弁天島



  金子みすず通りを奥の方に歩いてゆくと彼女のお墓がある遍照寺がる。



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 金子みすず  お墓  遍照寺


      2022-8-27



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鷺浦

    





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   鷺浦と十六島



 鷺浦は泊地の面積の小さい漁港ですが、奥まった湾で諸風を防ぐ良港です。 しかし、その港の入り口まで航行したが、防波堤の先端で合図をされて入港拒否にあいました。 予定していた防波堤の端の係留地は空いていて留められる状況であった。 納得のいかない気分で、取り急ぎ次の係留地を決める。 十六島へ行くことになった。



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  青丸は停泊予定地



     2022-8-26

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2022年08月25日

南風泊 (はえどまり)

 


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 南風泊     赤丸は停泊地



  新門司マリ−ナにて日本海北上への好天気を5日も待つた。 このマリ−ナでは運が無く、訪れるたびに多くの待機の日を過ごすことになる。 Windyを眺めつつ機会を待つ。 それまでの北西系統の向かい風がやっと収まった。 翌日からは待望の南東系の風が吹くことになる。

 出港当日は、まだ期待の風は吹いてはいなかったが風力2-3の向かい風の状況であった。 関門の潮を待って転流から追潮で通狭、船も少なく無事通過した。 六連島を通過したころから船足が3ノット程度に減速した。 潮が変わって向かいになったか、親潮の影響でも受けているのかと思っていた。

 今日の予定は室津である。 北西の風が吹いているので室津ではウネリが入り、 停泊に不安を覚えたので、蓋井島へ行こうと考えを変えた。 午後を過ぎて向かい風が強まって白波が立つようになった。
 蓋井島に1マイル程にやっと接近したが、船速は1−2ノットである。 いつまでたっても島にたどりつけない。 いよいよ諦めて反転する、追い風にして南風泊(はへどまり)漁港に向かうことにした。

 今回は下調べが不十分であったのでそれに変わる漁港を知らない。 古い話になる、南風泊は30の時に、はや45年も前になるのであるが、その記憶にすがって訪ねることにした。 追手3ノット強で夕方までにはそこに着くことができた。

 しかし、昔の面影があるはずもない。 ニュ−スを見て憶えておられる方もいると思いますが、ここは漁協でのトラフグのセリで有名です。 袋に手を突っ込んで見えないように指値を知らせてセリを競う画面がフグのシ−ズンの見せ場である。南風泊は日本のフグの集散地である。 フグの加工工場が漁港近くに多くあるようでその匂いが立ち込めている。

 シ−ズンで無かったのでしょう。 近代的に改修された岸壁は大きく空があった。 給油にスタンドまで空タンクを抱えて20分ほど歩いて行ったのですが、帰りは親切にも店員さんが来るまでヨットまで送っていただきました。 買い物と銭湯は不明です。



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  関門海峡から蓋井島





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  六連島    ここに停泊できるという



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 南風泊の港入り口







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 南風泊  停泊地



   2022-8-25

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2022年08月24日

角島

 



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 角島漁港    赤丸は停泊地



 角島は今回の隠岐巡行で2度お世話になった。 最初は南風泊からホンダワラのペラの絡みの減速で悩まされながらも午後に入港した。給油を終えると夕方になった。 それからソフトスキンを着て潜ったのだけれど、ホンダワラをプロペラより取り除く作業が終わった時には寒さを感じて震えがきた。 15回近くも潜った中で今回は一番キツイ思い出になる。

 角島は本土と橋(18m)で続がっている。 橋を航行したことがないけれどNew Peck スマ−トで見てみると浅いところに注意が必要です。 沖は吹かれていても港近くに来ると収まるので、良い避難港になると思われる。 関門を抜けて潮が良ければ一気に角島へ来ることができる。2度目の寄港の時にはここを出て、新門司マリ−ナまで行くことが出来た。

 角島漁協では給油ができる。最近は給油できる組合は少なくなった。 購買所があるけれど、付近に商店が無い割には品数が少ない。 パンと牛乳を買ったのみ。 弁当もなし。 ここへ来るまでに買い物をしてくる必要があるようだ。



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  角島   夕暮れの係留地


 

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  ホンダワラの他に青いビニ−ルシ−トがペラに絡んでいた


        2022-8-24





 
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2022年08月22日

七類

 





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  七類港、 沖から入り口を探すのに苦労した、フェリ−が出入りすれば容易に見つかるが。





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  フェリ−乗場、   タ−ミナルに入浴施設有り



 七類港は隠岐諸島へ行くのに拠点として利用した。 港湾局の事務所があり、そこに連絡する。 皆が云っているのですが、その係員の人は大変親切な人であると。 飲み水補給可能。 200円で入浴施設あり。 買い物と給油は不便である。

 町内バスが有り、乗り継いで堺港までいける。また、フェリ−の入港に合わせて松江や境港へ行く連絡バスがある。

 港が大きいのですがウネリが入る。3−4隻の遊漁船の停泊場所の後ろの限られたスペ−スに着けることになる。遊漁船の出入での引波の影響を受ける。 ここでの台風避難を考え港内の漁港のスペ−スを探したが適当なところが無かった。



 

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 係留地、  遊漁船の後方になる



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  七類港ヨット停泊、   赤丸は停泊地 xは余地なし 紫丸は台風向け



  

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 ここの台風避難場所は特別に許可がいるように思えます



 幸い台風は左半円になり大したことはなかった。 小生は七類港をあきらめて十六島で対策を取ることに決めてここを出港した。



    2022-8-23


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江崎

   



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 江崎   赤丸は停泊地

  江崎へは隠岐行き帰りに2度立ち寄る。 諸風を防ぐ良い港である。 ウネリが入り込むこともない。 港のスペ−スも広く空を見つけやすいと思う。 おまけに近くに温泉がある。 買い物は少し不便であるが、30分歩くことを覚悟すればできる。 燃料は量にもよるが持って来てくれるガソリンスタンドがある。



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  漁船の前に着けた。 作業船は2度ともあの位置で作業をしていた



  買い出しに行く途中で橋を渡るとき変わった建物を目にした。 西光寺六角堂という。 身を投げた娘の供養のために作られたという。



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  西光寺六角堂



       2022-8-22



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