2022年05月09日

徳川美術館

 

 50年以上の前に美術部に在籍していた。今は絵の世界で活躍している友人二人と学校をサボって徳川美術館へ行ってきた。現在は関東に住んでいるけれど、20年過ごした名古屋は地元でもある。 当時に徳川美術館は、絵画に興味のある人々でもまだ馴染みのない存在でした。 その時は「源氏物語絵巻」が特別展示されていた。 今回訪れてもその展示は常設のものでは無いようだ。

 今回は歌川広重の特別展示である。 個人の版画をまとめて見る初めての経験であった。 広重の「東海道53次」が展示されている。 その風景画に使われていた「ブル−」が印象的でした。 版画なので当たり前なのでしょうが、和紙の手触りの上に落ち着いた青のグラデ−ションが好かったと思える。 小生には 北斎の版画の方が上のもののように感じた、機会を作って実物が見てみたいとも思う。

 常設展示には刀剣や武具、蒔絵の調度品が見られる。付属の庭園も散策できるようであるが今回は逃した。 この周辺はお城に近く、徳川尾張藩の藩邸や武家屋敷が建っていたところであろう、敷地も広い格式が高そうなお屋敷が見受けられる。 小生が暮らした庶民的な土地とは違うようだ。 何十年ぶりの生まれ故郷の懐かしくもある訪問であった。


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 玄関


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 入り口風景


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 美術館中庭その1


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  中庭その2


  広重の展示版画


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  箱根湖水図


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 庄野 白雨


     2022-5-9



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2022年05月06日

熊野古道 伊勢路 波田須の道


 熊野市新鹿に住んでいる友人を訪ねました。その彼は定年を迎えて、雪の積もる新潟より田舎暮らしを求めて棚田に新居を構えて生活をしている。 イノシシ、シカ、サルの野生動物に悩まされながらも楽しんで暮らしています。

 ここら辺にある世界遺産の熊野古道伊勢路を歩いて来ました。熊野古道は高野山に続く道だと思っていましたが、それは他にもあり、お伊勢さんにお参りをした人が熊野大社を訪ねるための参詣道が古くから整備されていたようだ。 この紀伊の地は紀勢線が開通したのが昭和39年でそれまでは交通の不便な地で岬岬にある集落は孤立していて連絡船により往来していたた土地であった。


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 上図の熊野古道を歩く、二木島峠・峰紙坂峠登り口(出発)より波田津の密登り口南側(帰着)まで


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 案内図


 新鹿(あたしか)から歩き始めた。 さすがに世界遺産に登録されてから大きな整備が行われたであろう。案内板や表示が整備されていて道に迷うことも少なく歩くことができる。 といっても狭い坂道を上ることになり、行き交う人も見当たらないさみしい道ではある。 小生が行っているヨットでの城探訪のようにヤブをかき分けて道を探すようなことはありません。 道は石畳のような整備がされています。 熊野古道の伊勢路の中で鎌倉時代に築かれた重厚な石畳の道もこの経路にはあります。 波田須神社の地点(波田須のみち南側)で今回の帰着とした。そこは国道311号に出ることになるのですが、ここには徐福茶屋があり、その崖下への道を下ると徐福の神社がある。 徐福は不老不死の薬を求めて秦の時代に中国を出たのだが、ここ波田須には徐福が訪れた記憶が伝わっており、徐福の神社の発掘の折には秦の古銭が見つかっておりその伝説の信憑性が高いものになっている。


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 新鹿にある二木島峠へ向かう古道が左手へ。 ここから波田須の道へ出発


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 311号のトンネルを抜けずに左側の石段が古道になる


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 鎌倉時代の造営道

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  徐福茶屋  手前は国道311号


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 茶屋の下に見える徐福神社



  東紀州観光手帳   波田須の密
https://kumanokodo-iseji.jp/spot/8424/ 


       2022-5-6



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