2022年01月12日

ヨット天測 KH法



  GPSがある今では、六分儀はタンスの奥(キャビンロッカ−)深くの取り出しにくいところにあるのでしょう。 それがヨットに必要だった過去においても、天測法自体がヨットでは決まったやり方は無かったように思えます。

 小生が外航船の航海士であった時には、40年近く前になるのですが、天測は実際に使われており、本船はそれにより運航しておりました。

 ヨットで大西洋を横断したことがあるのですが、その時はGPSではなくサテライトナビゲ−タの時代であり、それにより衛星の電波を捉えて緯度経度が分かり、測位時の船舶位置を決めていました。毎日の正午位置を太陽観測により求めて、サテライトで求めた船位のチェックをしていた。当時はサテライトの受信は衛星が上空の良い位置に来た時にのみ船位が求められて、今のGPSのようにいつでも可能な状況ではなかった。

 その後ヨットの天測法をまとめてKH法を作る。 その時は既に過去の遺物になった時代であったので、それが役立ったとの報告を一度も受けたことが無く、当人もヨットで外洋に出ることも無いので使用しておりません。
 
  天測は外洋航行のひとつの暇つぶしですが、ここに再掲してみました。

    ヨット天測 KH法

http://hayame2.sakura.ne.jp/details1055.html#top%20top
上記サイトはワードとエクセルが使えるとおもいます


     2022-1-12

posted by 終活・克ヨット at 20:28| Comment(3) | 日記

2022年01月11日

イビザとマジョルカ



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 PING 906



  スペインにいた友人の佐野と共同でマジョルカ島のパルマのマリ−ナにあったオランダ人家族が乗っていた52fのステイ−ルケッチ「PING906」を購入した。

 二人で1か月余り英国とスペインにある中古ヨットを探した。 今から振り返っても楽しく懐かしい旅でもあったと思える。 ロンドンではレコ−ドで聞いていた古楽の合奏団やヘンデルのメサイヤの演奏会をを聞くことが出来た。

 2夫妻が乗るということで大き目のヨットを選んだが、スエ−デンヨット42やホルベルグラシ−42などを買うチャンスがあった。そちらの選択のほうが良かったかもしれない。

 マジョルカ島のアレナルヨットハ−バ−に係留することになる。 船乗りをしていたので7−8か月の乗船で2か月余りの休暇のときにスペインへ行き、ヨットを楽しむことになった。 要するにこの時期は年中海の生活をしていた。

 海賊の城のある島カブレラやマジョルカ島の南岸、イビザ島を楽しむ。 長いものはイタリアのサルデイニア北岸まで足を延ばした。


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  パルマからササ−リまで


 今思えば40歳代のことになり、30年以上の前のことである。当時にはブログも無い時であり記帳して残してもいなかった。 老人の記憶によるものですので、多少のことは許されたい。

 共同オ−ナ−の佐野が一部を残してくれています。 詳しくはこちらもご覧ください。


   地中海クル−ズ  佐野による
 http://hayame2.sakura.ne.jp/details1044.html#%E5%9C%B0%E4%B8%AD%E6%B5%B7%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA

    2022-1-11


   我がヨット巡航
  http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank055.html

posted by 終活・克ヨット at 06:27| Comment(0) | 日記

2022年01月10日

ヨットによる大圏航路


    taikenkouro map.jpg


 太平洋をヨットで横断したことはないので、体験的なことは書けませんが、本船では経験していますので参考までに書いてみます。

 ヨットでは、この大圏航路を利用するのは、太平洋と大西洋で東へ向かう航路をとるときでしょう。西航する場合はトレ−ドウインドの利用になるので、そちらが優先されて使うことは少ないです。

 本船でも自然条件に左右されることがあります。 それは、太平洋で冬のベーリング海の荒天を避けるために、アリュ−シャン列島の北を航海するかしないかで、純然たる大圏航路をとらないことがあります。実際の航路は30年前でも気象会社から航路の指示・オーシャンル−トがあって、船長判断ですが、それを航海していました。
 ヨットで冬にこの航路をとることは無謀で航海する人はいないでしょう。それより夏のこの地での霧の影響でしょう。GPSが発達した今では大分に航海が容易になったと思いますが、レ−ダ−がほしいところです。

 計算により航路を求められますが、北太平洋大圏航法図により例えば軽度10度ごとの地点をチャ−トから求めてそこを変針位置として求め利用している海図に移し替えて記入して変針針路を求めて航海していきます。

   計算による例 

 野島崎34.54N,139.55Eからサンフランシスコ港外37.48N,122.40W
 経度差10度で変針点とする。 大圏距離は4468マイル、頂点緯度48.10N,168.43W

                    変針路(四捨五入) 
出発地  34.54N,139.55E       N55E
変針点1  35.41N,141.17E      N58E 
   2  40.34N,151.17E      N65E 
   3  44.03N,161.17E      N72E
   4  46.24N,171.17E      N79E
   5. 47.44N,178.43W      N86E
   6. 48.10N,168.43W      S86E  頂点
   7  47.44N,158.43W      S79E
   8  46.24N,148,43W      S72E
   9  44.03N,138.43W      S65E
   10  40.34N,128.43W     S60E
到着地   37.48N,122.40W  


   kaikenkourozu 77.jpg

  ヨットは風によりジグザグにしか進めないので、変針点はあくまで目標です。 西航するときのように
緯度線に沿って進む航路もありです。 ウインドマップ等により大圏航路を頭に描きながらの航路になります。 ヨットでは。

   2016-6-3

  追補     
  
 大洋横断するヨットには、今ではWiFi環境がほしいところです。 衛星電話によるしか無いのでしょうか。 辛抱さんのように陸から気象のサポ−トが受けられれば解決するかもしれません。 それもかなわぬヨットマンも多いでしょう。 日本にいる時のようにWindyが利用できれば良いのですが。 貿易風の利用できない太平洋・大西洋の東航進路の場合には、大圏航路を最短距離と意識して、衛星電話の短時間利用でWindyを使いその時の針路を決めるのが、デスクの上でのプランですが良いようです。

     2022-1-10

 
posted by 終活・克ヨット at 10:23| Comment(1) | 日記

2022年01月07日

芸予諸島の村上水軍城


 瀬戸内にある村上水軍やその城の位置ををまとめてみました。


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  青字は訪れた芸予諸島の海賊城、  赤丸数字は城位置


 @ 備後茶臼山城
 A 岡島城
 B 余崎城
 C 馬神城
 D 青木城
 E 青陰城
 F 長崎城
 G 俵崎城
 H 茶臼山城・生口島
 I 甘崎城
 J 能島城
 K 来島城
 L 鹿島城
 M 美可崎城
 N 千守城
 O 亀山城
 P 岩城新城

     2022-1-7


posted by 終活・克ヨット at 15:10| Comment(0) | 日記

2022年01月06日

手術後6年を経過して

  

  2021年 12/3-28まで入院をする。 6年ほど前に脱臼骨折の手術をした肩の「術後感染慢性骨髄炎」との診断を受けて手術をすることになる。 先の手術で肩に2本のピン・ボルトが埋め込まれていた。 今度のレントゲン検査で2本のピンを繋いでいたワイヤ−が切れていたのが映っていました。 それが原因で菌を呼び込み体内で悪さをしたのでしょう。 外傷による菌の侵入ではありません。

 2021年の秋巡航の時には肩に水が貯る症状があり、そのリンパ液が染み出てシャツを汚していました、痛くもなく腕も90度くらいは持ち上がるし、これはリハビリ終了後と同じ可動だったので、気にかけずに小生は満足の行ったクル−ズを楽しんでいました。 帰宅してクリニックへ行ったらすぐ病院行きで、手術をすることになる。 病院では「ピンを抜くようにといわれませんでした?」と問われても施術をした医師はそれを言わずに最近退職していた、リハビリをした地元のクリニックも1年余りのリハビリ期間にそれを云われなかった。 今となればピンを抜く処置は医療の常識であったようだ。

 手術では肩を10cm位切り開いて、ピンを抜きよく中を洗浄しその穴に抗生薬を入れて、また、腐った部分を切除した。 切り開いて現状を見てみないと症状の進み具合を判断できない、最悪には人工関節の手段を取ることもあり得ると病院の医師から聞かされる。 幸いにも洗浄だけで済んだようだ。 再発しやすいので今後は注意が必要とのことである。 寸止めで助かったようだ。 この後、形成外科で穴の開いた部分の治療がある。

  ここやブログで「爺爺のリハビリ治療 卒業」を書いていますが、卒業とはいかなくて再入学となりました。 今度の手術は切ったり貼ったりしたところが少なかったのでしょう。 術後1週間ほどの間に2回の院内リハビリで元に戻れそうな気がしています。 やっぱり再発が怖いなあ。

 問題点は中核医療の病院と地元のクリニックとの連携・連絡がうまくいかないとこのような事態が起きるのではと思われる。 米国の友人は日本にもヤブがいるのだなと...言っていましたが。

 中核病院はすぐに地元へ返したがる傾向があるようだ。ここ病院の整形外科も紹介がないと診療が受けられない、このような別の問題もあるのですが。



      2022-1-6

posted by 終活・克ヨット at 14:04| Comment(0) | 日記

2022年01月05日

馬神城

    


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 馬神城、青木城,重井港



  生口島にある茶臼山城からの弓削への帰りはタクシ−で金山まで行き、そこからフェリ−で因島赤崎まで行った。ここでバスに乗れば土生まで行き連絡船で弓削に帰ることができるが、時間があるのでバスにて逆方向の重井まで行き馬神城を訪れることにした。 そこはかって青木城を探索したことがあるが、その時は支城にあたる馬神城を知らなかった。

 ここは永禄十年(1567年)青木城を築城した因島村上水軍新蔵人吉充の命により築かれ、側用人頭で第五(付)家老・末長有馬介景光(矢治馬介景親)が城将となった。そこには用人四家、小柱二家、使番五家及び大目付二家と十八(横目付)連中を率いて居城したと伝えられる。

 上の衛星写真で青木城と馬神城の位置関係や馬神島であったことが良くわかる。


 


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  馬神城


 

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 道降寺、  除虫菊ロ−ド脇に建つ




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  登り口と案内表示




 

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 門があったと思われる




 

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 本郭にある祠など

 



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  重井港方向を望む、 土生−重井−三原を結ぶ連絡船もある



 ここへ行くには除虫菊畑の入り口から車で行く方法と海岸沿いを歩き道隆寺へ行く階段を上がると先の道に着くものがある。 まもなく、登り口の案内板を目にする。



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  除虫菊畑の入り口



            2022-1-5





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2022年01月04日

俵崎城と茶臼山城・生口島

    




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 訪れた海賊城



 生口島は個人的には思いで深い町である。  初めての船員として乗船する時に、品川からブル−トレインに乗り尾道で下車。 当時は島々への連絡船のにぎわいのあるなか、瀬戸田造船へ行くためにそれを利用した。 ほどなく本船に乗船して北海道へ向かった。人生の初航海であった。



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 瀬戸田 連絡船降り場、 海の駅でもあるようだ




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 古い街並み風のモダンな建物




 瀬戸田と言えば耕三寺が有名である。そこは好みでは無いのでスル−する。 駐車場の隣に俵崎神社があり、そこが俵崎城跡である。





     俵崎城

 



 


 現在は海から離れた土地にあるが、海賊城にふさわしく岬の先の海城である。 瀬戸田は尾道に次ぐ湊町であった。この城主と考えられている生口氏は織田信長と毛利の戦い、第1次木津川口海戦で毛利方の武将です。


 

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 俵崎城登り口





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 1郭にある俵崎神社 




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  1郭にある高い部分  登れなかった



 

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 2郭を見る







  茶臼山城 生口島



 俵崎城は茶臼山城の支城ではないかと云われている。 観光案内所で尋ねて、そこへタクシ−で向かう。この城を訪れる人が少ないのか余り情報をもらえなかった。

 タクシ-を下りてからは舗装された山道を登っていく。ため池のあるところに手作りの案内板がありため池横を登ることになる。途中で行政の案内板があった。かっては整備されていたのであろう。 タクシ−でため池あたりまで行けるので、乗れれば楽です。


 

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 タクシ−下車 左へ向かう




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  ため池横にある手作りの案内プレ−ト  




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 案内板 



 水タンクのようなもので行き止まりとなり、さらに頂上を目指して道の無いところを登って行くと、、それらしくの一番高い場所についた。標識も無いところであった。これより下り路を探したが見当たらない。 より低い位置で通れそうなところを下っていく。往路に出会うとともっていたが1時間ほどしても無い。 焦りを生じた。 途中で土塁に囲まれた郭のようなところへも到達したが、それに続く道も無い。山で迷ったようだ。


 



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  水タンク

 


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  最も高い場所





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 土塁のある名も知らない郭






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 農場、・「ごちそうの森」の奥にたどりついたようだ。





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 ため池のむこうが「ごちそうの森」



 広島観光連盟のペ−ジより

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  守護神     広島観光ナビより転載

 「標高187メートル、中世の模範的な山城と言われています。周辺には寺跡、居館跡、石風呂跡が残っていたと伝えられています。頂上の一の郭には城の守護神がまつられ、二の郭には井戸跡があり一の郭の南側に三の郭の遺構が残っています。この城はお茶を碾く臼によく似ているところから茶臼山城と呼ばれたと言われる。」

 以上のような山頂の守護神なども見つけられなかった。 案内表示が朽ちていたのかもしれないがたどり着けずに、暴走老人のヨット乗りが山で遭難騒ぎを起こす寸前であった。 今後も注意しなければと......



       2022-1-4



posted by 終活・克ヨット at 13:17| Comment(0) | 日記

2022年01月03日

余崎城と岡島城


  余崎城



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 向島, 余崎城、 岡島城



 午前中に備後茶臼山城を訪ねて、午後は因島でレンタサイクルを借りて向島にある余崎城と岡島城へ向かう。 今日の3つの城はすべて村会海賊関係の城である。 因島でもらった海賊関係のパンフレットに載っていたものである。

 尾道から自転車込みで90円という安いフェリ−にて迎島に行く。 余崎城は向島の南岸にある城である。 そこへ行くには自転車で一山超えなければならなかった。 海賊にふさわしい立地で余崎城は海に突き出た岬にある。

 当時の栄えた湊町・尾道を押さえるには最適な場所と思われる。地元に人に尋ねながらお城の登り口へ来た。 しかし登って行くと何かの郭があったと思われる民家のある平地に着いた。 本丸へと続くはしごがあったけれど、不安定な構造で民家の敷地でもあり登ることを断念した。

  登り口の近くには船隠しのある小弯がある。



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 余崎城



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 登り口



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  行き止まりの民家



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 本丸へと続はしご?



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 船隠し


 後で知ったのですが、もう一つの経路があり、それは岬の反対側を通るル−トのようで残念だがその時には気が付くことができなかった。 城跡の整備はされていないもよう。




   岡島城




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 岡島城


 余崎城の帰り・岡島城への往路は1時間余りも峠の頂上まで自転車を押し登りで辛い作業であったが、そこからは向島のフェリ−乗場まで一気に下った。 この近くの造船所の敷地内に岡島城はある。 造船所の守衛さんに尋ねたがご存知なかった。城のふもとの民家の女性に聞いてみると、かってそこには邸宅風の建物があり現在は住んでいないということでした。 登り口を探したが通行禁止の模様。 またしても断念した。

 休止していたフェリ−乗場があり、そこを降りると尾道水道がわの城斜面が見える。

そこには城へ上がる道や船を繋ぐ雁木があったかもしれない。



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 造船所の敷地にある



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 登城口とおもわれる?



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 休止していた尾道―向島のフェリ−


 今日の3城訪問はいずれも満足するものではなかった。 因島の観光案内のパンフレットに載っていたものだが、単なる城の位置を示すものだけであったのでしょうか。 観光施設としての整備はされていない。


    2022-1-3


posted by 終活・克ヨット at 04:29| Comment(0) | 日記

2022年01月02日

備後茶臼山城



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 青線、 乗船した連絡船航路




弓削海の駅にヨットを置き備後茶臼山城を訪ねた。 実は尾道にも海の駅がありそこにヨットで停泊したことがあります。 尾道水道は狭く潮流が強い時がある。 それゆえ、そこを出港しようとしたところ、もやいを離すとすぐに自船が隣の船に寄せられていき、シングルハンドで対処するには辛い思いをした経験が有り、一人の時は尾道を避けている。



 面倒なことだが、百島にある村上海賊の備後茶臼山城へ行くのに、弓削から連絡船で因島の土生へ、そこで尾道行きのバスに乗り、尾道から百島へ再び連絡船に乗った。



 その城跡の近くの脇の道に来ているのは確かと思われたが、地元の2人に尋ねたが市への確かな道は分からなかった。 尾道市は瀬戸内では有名な観光地なので近くの島の城跡には興味も予算付けも無く。 遺跡整備に熱心ではないようだ、遊歩道の整備も案内板も無かった。 この城訪問は断念した。





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 尾道よりの連絡船




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 百島案内板





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 備後茶臼山城





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 行き止まりの廃車。 ここより道があれば城跡にいけるのだが





    2022-1-2



posted by 終活・克ヨット at 06:47| Comment(0) | 日記

2022年01月01日

我がヨット巡航


  2022年 元旦

   あけましておめでとうございます。

     本年もよろしくお願いいたします。

  http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank055.html


 我がヨット人生はY15に始まり半世紀余りを過ぎました。 かすれ行く記憶をたどって巡航の記録をここに取り上げてみました。

 ヨット泊地は最近のものは、できるだけ詳しく取り上げたつもりです。個別のペ−ジをごらんください。参考になれば幸いです。


                        2022-1-1


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