2020年08月13日

開龍寺・白石島




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 開龍寺は弘法大師が唐から帰国する際に白石島に立ち寄り,ここで37日間の修業をしたと伝わる。

 荒れていた寺を福山藩の水野家が保護したことから水野家の祈願所として続く。

 明治になり白石島は公有地になり売却されそうになる。開龍寺の住職が先頭になって島外の人の所有となることを回避した。島民はここを菩提寺として他寺から変更し、それに報いる。 ここは島で大事にされる寺となった。

 ヨットでこの島に停泊したので、ここへ来てみた。小さな島の割には予想外の規模がある寺である。静かで落ち着きのあるお寺であった。





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 本堂




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 大きな石の下にある奥の院 ここで弘法大師が修業したという




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 石灯籠  奥の院にある、1672年に福山藩4代藩主水野勝種により建立、水野氏により




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 仏舎利塔  1200年前の仏像があるという、歩いていると目に付く





    2020-8-13



















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2020年08月11日

鞆城

  




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  鞆の浦には鞆城ができる前には鞆の浦に隣接する島に大可島城があった。1553年頃毛利元就の命により、尼子氏の抑えとして鞆の浦を望む丘に鞆要害を築いた。1575年そこに京都を追われた足利義昭が滞在し、毛利氏の庇護のもと「鞆幕府」を開いた。 

 1600年・関ケ原の戦い後に安芸・備後を領した福島正則がここを修築した。本丸、2の丸、3の丸と1609年まで築城された。城域は北は沼名神社参道、東は福善寺南は鞆港の大規模でなものであった。3層3階の天守があったというが、家康の嫌疑がかかり廃城となった。

 福島正則1619年に広島城を幕府に無断で修理したとして改易されるが、それ以前に鞆城の件があったのだ。その資材は福山城新築にに持ち込まれたという。江戸時代を通して町奉行所が置かれた。 





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 この石垣は当時のものかは不明、ここを登ったところにある歴史民俗資料館あたりが本丸






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 3の丸石垣



     2020-8-11






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2020年08月09日

津山・城東むかし町

 
      国の街並み保存地区




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     津山城下町図  武家屋敷は灰色部分



 津山城を見た後で出雲街道沿いにある城東街並み保存地区へ向かう。10分もかからずに徒歩で訪れることができる。
街道沿いに1qに渡り古い町並みが残っている。両替商を営んだ梶山邸や蘭学の箕作阮甫の生家が見られる。
 



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 街並み その1




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 街並み その2




 箕作阮甫(1799-63)といっても、その名前を憶えている程度で幕末の人位の認識であった。 調べてみると医者の家に生まれ、藩医になる。 藩主と供に江戸へ行き蘭学を学ぶ。

 幕府に召し抱えられて藩書調所の首席教授に任じられ、ペリ−の国書を翻訳した。 医学、兵学、語学など多数の書を世に出した。 息子がいなかった関係で優秀な弟子と娘を結婚させたので後に有名な学者を輩出している。明治になる前に亡くなった。





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 箕作阮甫旧宅




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 箕作阮甫の庭





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 旧梶村氏邸  元禄の時代からの商家 庭園は国名勝地
 


   2020-8-9











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