2019年07月26日

九州東岸・豊後水道・日向灘 ヨット泊地

 
  杵築

 杵築漁港は漁船の数の割には広い漁港である。中央の泊地の堤防の内側に着岸した。 始めはアンカ−を打って槍付けのつもりであったが、アンカ−が効かない、とうとう舵に引っかける始末。スペ−スがあったので最初から横付けにすれば良かった。潜ってロ−プを外した。 錨の効かない原因は底質が海藻であったようだ。 着けた防波堤の外側にもスペ−スがあるが、海を覗いてみると背の高い昆布のような海藻が水面近くに見える。干潮でも着岸が難しいと思われる。 漁船は1隻も利用していない訳だ。東風の強風が吹いたけれど港内は平穏であった。避難港には良いと思われる。

 買い物もスタンドも不自由です、橋のある道路まで20−30分歩くことになる。 杵築城まで歩いたが、帰りはタクシ−を利用した。

 

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 杵築漁港



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  赤印に着岸





   日出港


 日出港には停泊していません。杵築でアンカ−が海藻の底質で効かずに潜るハメになったので、ここを忌避して別府に入りました。どっこいその入り口付近でホンダワラがペラにからみ別府でも潜らねばならなかった。

 JRで別府から陽谷駅で降り。日出城跡に行く。城下カレイで有名な漁港が麓にある。ヨット停泊にはスペ−スの問題があるようだ。その対岸に岸壁があり、ここならヨットを着けられそうです。 

 

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 日出港  赤印は予想停泊地

 

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 日出漁港と対岸の商業岸壁




   臼杵



  臼杵港の下図赤地点に着桟したが、管理している臼杵港運で尋ねたところ、その岸壁を利用する商船があるということで対岸の青地点へシフトした。 この岸壁は商業港によくある下の部分が凹んでいて、干潮時にはヨットのハルがそこへ入ってしまうマズイ岸壁であった。 おまけにウネリも入ってくる。 徹夜でのワッチを覚悟したが、地元のヨットマンが隣の漁港板知屋を勧めてくれてそこへ移動した。 まったく静かでぐっすり眠ることができた。 買い物など不便であるがオススメです。


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 青は岸壁シフトした位置



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 青色地点へシフトした岸壁   サイドアンカ-を入れる必要あり



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 板知屋漁港に舫う



   土々呂


   蒲江


     2019-7-26



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2019年07月24日

因島散歩

  


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  因島マップ


 因島は本四連絡橋・しまなみ海道のなかにある向島と生口島につながる島です。造船業が盛んな島でもある。 以前に因島水軍城へ行きました。今回は注文したヨットの部品の受け取りに弓削海の駅より因島へ行く。

 往きは弓削より因島土生まで今治発の連絡船に乗る。土生で下船して、弓削にはホ-ムセンタ−がないので因島モ−ルまでタクシ−で行く。そこで工具等を購入した。 ここより土生発三原行の別会社の船便があり、乗船して途中の重井で下船した。 ここから因島マリ−ナへは徒歩になる。途中の民家は独特な作りで左官のワザなのか土蔵風の塗りこめの窓が珍しくこの土地だけのものなのかと思われる。



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 重井の民家その1


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 重井の民家その2

 
 丘を越えて次の入り江まで歩くのだが、途中の丘上には除虫菊畑があるようで、その入り口の看板があった。因島ではキンチョ−の島なのであろうか。 丘を下ったところにコ−プの店があり、弁当と水を購入。島の中でこの種の店をみつけるのは珍しいので、それなりの人口があるのでしょう。 ほどなく青木城跡の案内板を見つけた。 すぐ近くに因島マリ−ナがあり部品を引き取り一刻も早くそれをエンジンに取りつけて出港したいので城跡へ行くのは断念した。


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 青木城跡 海抜50.6m


 重井まで来た道を帰り、土生までの乗船時間が長いので、バス便にして土生まで帰った。 島の常だが交通の乗り換え待ち時間が長く、今度は弓削の船便を待つ間に、船具屋に立ち寄りバルブ関連の用品を買う。 その向えにホテルがあり、そこは村上水軍の長崎城跡です。 ちょうど昼時でランチをやっていて2800円也とのこと。 部品代にお金が掛かったおり、分不相応と辞退しました。


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長崎城  海から眺める


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 長崎城

  海賊城は見張りが重要で、船舶の動静を常に監視する必要がある。従い、水道・水路の脇には城跡があることになる、今回は見ることができなかったが、荒神山城、島前城、山伏山城、天神山城など因島には多く城・砦があるようです。弓削に立ち寄った際には自転車で見て歩きたいと思っております。



    2019-7-24



 
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2019年07月21日

高梁散歩


 新幹線を岡山で途中下車してでも、寄りたいところ山田方谷と備中松山城の高梁(たかはし)へ行きました。 広島県から岡山県へヨット本拠地を移す。 さっそく、そこを訪ねた。 岡山駅から伯備線に乗り、JR高梁駅まで行く、東京から鎌倉へ行くような距離と感覚です。伯備線は1時間のうちで鈍行と特急それぞれ1本位の運行をしています。 帰りは特急を利用しました。

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 山田方谷像 至誠惻怛(しせいそくだつ)真心と慈愛の精神を説く、


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  特急やくも

  お城への乗合タクシ−出発まで少し時間があり、駅より高梁川の方向へ行く。郵便局で用を済ませて、橋のほうへ歩いた。 城下町らしく弓之町、鉄砲町の地名があった。名残を求めて探してみたが、落ち着いた街並みがあったのみ。 時間も無くなってきたので、駅に戻る。 タクシ−で城へいく途中に山田方谷の塾跡の看板を見つけた。帰りはそこで降ろしてもらい高梁のまちを散策する。

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  弓之町

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  山田方谷家塾跡  牛甍舎跡 隣家の寡婦になった娘(福西志計子)に学問を教えた


 方谷塾跡は藩主からこの地を受領したもの。隣家の主人が死亡したので、寡婦の娘とあなどられないように残った娘の教育を方谷は頼まれた。その娘は藩士の男たちに交じって方谷から教育を受け、長じて福西志計子として明治の女子教育にの草分けになる。 ここから坂道を少し下ると、平時は藩政をしたという御根小屋跡に着く。現在は県立高梁高校になっている。しかしここには福西女史が創立した女学校が転じたものである
という。

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 元御根小屋・県立高梁高等学校 福西志計子の順正高等女学校の伝統を受け継ぐ


 ほどなく武家屋敷群が見られる。旧新井家と旧植原家が見学できる。 籠入れの土間が珍しかった。山田方谷の資料も豊富である。1本下った道には商家屋敷群が通りに沿って見られる。 現在も魚屋で営業している店があった。

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 武家屋敷の町並み

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 商家の町並み

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 魚屋で営業中


 紺屋川に沿って登っていくと、河井継之助が宿した花屋跡があるが現在は郵便局で案内碑があるのみである。塵壺(平凡社刊)という河井継之助日記の本にはここの滞在の様子が書かれている。 すぐ近くの幼稚園は旧藩校有終館跡があり、今は子供たちのにぎやかな声で包まれている。ここでは方谷が40近くまで教えていたという。

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  花屋宿 案内板 河井継之助の滞在宿

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 武家宿 花屋跡 現在郵便局

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藩校 有終館跡 現在幼稚園  山田方谷が教えていた


 また、すぐ近くの角に高梁基督教会堂がある、木造による教会では日本で2番目に古い建物である。中を見せてもらうが、昨年の五島の教会群を見た身としては内部は質素な雰囲気である。五島の人々はここよりは貧しかったのであろうが、ステンドグラスや装飾には信仰の熱意が感じられた。

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 高梁基督教会堂  福西志計子が通う


 頼久寺の庭園を見て、郷土資料館に入ったが、ここは個人的に興味が薄かった。隣に山田方谷記念館があり500円の割には大いなる期待に応えてくれませんでした。 最近に出来たものらしい、方谷の資料はあちこちに散逸しているようで、他の見学場所でも見られます。集中してここへ持ってくる努力を期待いたします。

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 頼久寺 庭園 小堀遠州の作庭という


 駅に向かう途中に松連寺・薬師院があり、まるでお城の土塀のような風貌です。いざという時の防御拠点として機能したのでしょう。 ほどなく駅に到着して、特急「やくも」にて帰路につく。

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  薬師院・松連寺  応急の時には砦として使うつもりであったのか




 コンパクトにまとまった地域で散策しやすい。さくらの春や紅葉の秋にはさぞかし良いのではと思われます。下記地図・写真参照。


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  高梁散歩図  青線を歩行

     2019-7-21
































 








 



 
















     


 
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2019年07月19日

備中松山城 


 天守の残る唯一の山城、日本の現存10天守の一つである備中松山城に行く。JR高梁駅にある観光案内所で情報を得て、乗り合いタクシ−の手配をしてもらいました。 麓からも行けるでしょうが、健脚に自信のある方のみです。 時期によりますが、ふいご峠(8合目)までのバスもあります。 そこでタクシ−を下りて天守に向かう。 登りは思ったよりキツク休み休みで時間がかかった。2時間ぐらいの見学時間だったが、登り降りの帰りの時間も含むことから思いを残す状況になった。待ち合わせ時間が迫り急ぎ降りることになる。 じっくり見たいのなら車が便利ですが、利用できる時期があるようなので下調べが必要です。

 雲海に浮かぶ城でも有名ですが、城を望む隣の山から見ることになり、時期と行程は観光案内所で尋ねてください。また、案内所のある駅と一体にになった図書館は、洒落た建物で同じ設計者なのか宮崎県延岡駅でも似たものがあった。

 この城は鎌倉時代からの歴史があり、北から、「大松山」「天神の丸」「小松山」「前山」の四つの峰からなり、南から見た山容が、草の上に伏 した老牛の姿に似ているとして、「老牛伏草山」とか「臥牛山」などと呼ばれており、備中松山城はその 頂を中心に全域に及んでいます。

 現在、一般に「備中松山城」と呼ばれるのは、この内の小松山の山頂(標高約430M)を中心に築かれた近世城郭を指しており、天守の現存する山城としては随一の高さを誇ります。城内には天守、二 重櫓、土塀の一部が現存している。

 江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓の城下町に「御根小屋」と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群を構え、そこで藩の政務を行った。現在、御根小屋の跡地は岡山県立高梁高等学校となっている。

 この藩には山田方谷が有名です。彼の行った藩政改革は幕末までのモデルと言われている。司馬遼太郎「峠」の河井継之助は方谷から学ぶためにこの地を訪ね花屋に泊まった。 方谷は後に明治政府が行った殖産興業と軍制改革を先立って行う。 藩主は譜代の老中筆頭を勤めた板倉勝静であった。最後の将軍と共に大阪城より江戸へ船で逃げ帰ったほどである。 しかし、方谷は体面を保つ形で恭順をして、備中松山城を無血開城した。 また、函館にいた藩主を撤収させて謹慎させる。藩の存続を許された。



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 天主



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 本丸入り口



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 天守から見た本丸





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 重要文化財 2重櫓



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 復古図





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 新しい守将 本丸にいる 先の豪雨でここへ迷い込んだという



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 2の丸





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 野面積 城内で一番古い






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 御膳棚跡



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 4の平櫓跡





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 厩門跡





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 黒門跡



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 3の平櫓跡



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 足軽箱番所跡



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 重要文化財 3の平櫓土塀



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 NHK 真田丸で使用された風情



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 上太鼓丸





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 御根小屋復元図





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 御茶屋橋と高梁高校



   2019-7-19




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2019年07月17日

西国海道 草津まち散歩


 草津城を見て川沿いを南に下ると、西国街道沿いの町並み保存地区に至る。 草津湊は埋め立てられたせいか、痕跡は見られなかった。草津は古くは軍津(いくさつ)呼ばれていたようで、水軍の地として栄えた。

 明治天皇が休憩したという小泉酒造の小泉家、幸福稲荷、大釣井、西楽寺、福溝稲荷、西氏功徳碑などを見て回ることができます。



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 西国街道  草津まち地図  赤マ−クは写真あり

 

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 西氏功徳碑 広島藩の支藩三次藩の飛び地であったので西氏は三次藩医の家系であった。



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小泉家と記念碑 明治天皇と皇后が小泉家で休憩された記念碑



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小泉家 酒造



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 福溝稲荷と地蔵



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 大釣井 塩分少なく共同井戸



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 西楽寺



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 幸福稲荷大明神


2019-7-17




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2019年07月15日

草津城・安芸

 
 スマホのグ−グルマップを利用していると、城跡がよくのっています。それで草津城へ行ってみました。 瀬戸内海沿岸の地形は海岸近くまで200-300mの山がせり出していて、平地の部分は限られている。 そこで近代化が進むと、その土地は鉄道や道路用地が土地を寸断されてしまう。 この草津城も山陽線、広島電鉄、道路で分断された。すぐ高層のマンションも隣接している。

 草津城は麓にある草津湊(現在は埋め立て)を水軍の拠点として重きをなしていた。 城主は厳島神社、安芸武田、大内・陶、毛利と変遷した。毛利氏になって、水軍の将である児玉氏が治めた。大阪の本願寺に米を届けたのもこの児玉氏である。明治の児玉源太郎は子孫にあたる。 関ケ原以降は福島正則が受領して、ここに大門を作り、城を廃した。



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 草津城跡、 道路が迫る



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 山頂本丸跡にある城跡石碑と案内板



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 草津城登山口


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隣接するマンション



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南海側から草津城を望む

  2019-7-15





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2019年07月13日

西郷陣屋  宮崎延岡北川


 土々呂・延岡市に整備天候待ちで4日ほど滞在した。延岡城、高千穂峡、西郷陣屋などを訪ねることができた。

  延岡の北に西郷隆盛宿陣跡資料館があります。延岡の観光案内所にそれをを尋ねると、電車やバスで行くには不便なところであった。それでタクシ−で訪れることになる。 帰りのために、タクシ−を30分待ってもらい、取り急ぎ資料館を見ました。

 大河ドラマ「西郷どん」で妻イトがここを訪ねる場面がある。それはドラマを盛るためのフィクションであるという。 ここで西郷は軍の解散をして、少数の従う人間と伴に鹿児島をめざした。 大将服をこの近くで焼いたというが、その地には碑がある、今回はそこを訪ねていない。

 資料館は2つの建物に渡って展示されている。最後の軍議の場面を人形を使って再現している。無料の割には充実している展示である。

 西郷を見る人の器量次第で、彼のことが大きくも小さくも見えるというが。 今だに、小生は彼のことが分からない、納得がいかない。 大人情の人であるが、目的を遂げるためには大非情の人でもあった。 小人には考えが及ばずと言ったところでしょう。




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 資料館


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 軍議の場面


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 陸軍大将服


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 展示物


    2019-7-13


  西郷隆盛  磯田道史による


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2019年07月11日

ホンダワラのプロペラへの絡み

   
 温暖化の影響か?、今年のホンダワラの繁殖が異常に多く、他のヨットマンも同じ考えのようだ。 瀬戸内海では、まだそうでもなかった。別府に入るころより、プロペラに絡み始めて、1日おきの頻度で潜りそれを取り除く事態に陥る。

 今年のクル−ズプランでは、昨年は九州一周を西回りで計画し、台風の影響で長崎で断念したところから、東回りをすることにした。 別府から佐賀関を回って豊後水道を日向灘へむかった。 もし、昨年と同じ航路を取ったとしても、玄界灘でスクリュ−大量に絡みつき、洋上で潜って取り除いたというヨットマンの体験を聞かされたので、同様に難儀したであろう。

 シングルハンドであると、なかなか前方をワッチするのは完璧にはいかず、舷側にそれが流れていくのを見てハットすることも多い。また、それを取り除くにも、洋上で潜ることはシングルハンドでは、はなはな危険な行為である。体をロ−プで縛って流されないようにヤルとしても、波で船体に頭部をブツけたり、潜って浮き上がった時には船体から離れていることがある。 ヨットの事故で意外と多いのは、泳ぎと飛び込みに自信があるの人なのでしょう、かっこよくヨットから飛び込んで泳ごうとして、船上に上がることができずに遭難することです。 というのは、舷側がクル−ザ−では予想以上に高く、デインギ−と違いハシゴなしでは上がれませんから。 小生は港に着岸して潜ることにしています。若い頃にはオホ−ツクの海でロ−プがからみ、震えながら潜った経験がありますが、それ一度キリです。

 大分佐伯・大入島から宮崎細島を目指して航行中、豊後大島と鶴御崎の間の元ノ間海峡通過までは順調でした。前日に海の駅桟橋で潜って取り除いていたので、ペラの絡みは無しで出港した。速度が4ノット3ノットに下がっていき、深島をなかなか交わせない。日向市沖のやっと枇榔島近くまでやっと来たら、エンジン音が変わり止まりそうになる。 4-5mの大きなウネリの中でした。 また、藻が絡んだなと考えました、入港して潜らねばなるまいと。 エンジンが止まるとなると、メインセ−ルを揚げていないので、ジブだけではセ−リングが満足でない。おまけに二馬力の船外機は取り付けておらず、それにそれの始動が気ままです。大きな揺れのなかで船尾に船外機を取り付けるのは難しい。 毎日のように海藻取で潜るため、船尾ハシゴを使うことを想定して、船外機を取り付けてなかったのです。どちらかしか使えない装備です。  メ−ンセ−ルは下記写真のようにガンジガラメに縛ってあり、すぐには揚げられない。夕方になり日も暮れそうです。 絶対絶命ではなくても大いにコマッタなと思っていたところ、そこへ「どうかしましたか?」と漁船が近寄ってきて声をかけてくれました。 九死に一生を得る、絶体絶命の危機に「救世主」が間髪を入れずに現れるとは、まさにこのことです。日頃の行いが悪いにもかかわらずに。 地元の元ヨットマンが漁船の廻航業務をしていて、ジブ縁が赤い色の知り合いのヨットだと思い寄ってきたものでした、すぐに異変に気が付いてお声がけしてくれて、助かった次第です。

 今回は事故にならずに済みましたが、起きる時には二三重にミスが重なるのでしょう。 と云うより、今まで、おざなりにしてきたもの、怠けてやっていないもの、不完全や欠けた知識によるもの、こういったものがヨットでは何かのときにキッチリと詰めてくるように思います、思い知らされます。 なにせ、自然相手ですから。

 写真のように延岡・トトロまでえい航してもらい無事着岸しました。土々呂のヨットマンの人々がその後数日にわたって門川にある温泉の送迎をわざわざしていただきました。ありがとうございます。

 土々呂漁港で翌日に潜り、午前中いっぱいかかって写真のように大量のホンダワラを取り除きました。 潜ったらスクリュウ−の形をとどめないほどまん丸く絡みついていた。 エンジンは12時間ほど回した関係で燃料消費が多くなり、タンクの底の燃料を使った関係で燃料供給が悪くなったのが原因と思われます。えい航中にはニュ−トラルにしていてエンジンは止まらずに回ってました。 ヤンマ−1GMがが新造時の規格で前オ−ナ−が2GMに換装しています。燃料タンクは1GM仕様で30リットルであるので、連続12時間は燃費を考えるとを廻しすぎであった。手持ちの燃料用予備ポリタンクが8リットル容量なので、5時間程度のエンジンを使用して、このポリタンクで補給すれば丁度よいと思われる。以後航海途中でも、5時間で補給することに決めた。

 他のベテランヨットマンに対策を聞きました。いずれも航海中に作業可能なもの。

1. 一番よさそうなものは写真のようにペラの上に穴を空けて、デッキから取り除く方法、ハルの形状により出来ないものもありそう。工事代金が50−60万円ほどかかるといいます。

2. 潜望鏡のような底を覗ける器具を作成して、船尾からそれで覗いて長い鎌を利用して取り除く。 これもスタ−ンの形状ヤヨットの大きさにもよる。

3. 船側からハシゴを固定して、そこに腰かけて水中のスクリュウ−を見ながら、長い鎌で取り除く。

 ご老体にムチ打って潜ることは、季節に限りもあるし、できることではない。 クル−ジングの大きな問題となっています。いろいろ自分のヨットにふさわしい方法を見つけることが必要です。

 釣り客を乗せて営業している釣船の船長さんに尋ねたところ、馬力が大きく、スクリュ−も大きい自分の船では問題になっていないとのことでした。海藻などブチ切っているのでしょう。 30年近くの間隔があるけれど、今までの2隻はロングキ−ルの船体であったのか、ロ−プの絡みいがいで潜る経験は無かった。ハルの形状も関係していそうです。

   

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 えい航される


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 絡みついたホンダワラ 少し乾いてカサが減る


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 少量のホンダワラの時 この程度は問題なし


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  コックピットに空けたペラ穴



    2019-7-11




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2019年07月07日

野崎家旧宅・児島


 岡山県倉敷市児島にある野崎家旧宅・旧野崎家住宅を見てきました。 児島市がいつのまにか合併して倉敷市になっている。 児島は瀬戸大橋の本土側ですが、架橋熱のほとぼりも覚めたので、今では児島ボ−ト位しか認知されていませんのでしょうか? ここをさほど期待していなかったのですが、500円の入場料以上のものがあります。近くに行った方は是非ご覧になるのをオススメいたします。

 児島半島(かっては名のとうり島であった)の南側を中心とした広大な塩田開発を野崎武佐衛門が行い塩田王となり大きな資産を築いた。瀬戸内の塩田はどこもそうだが、おもかげはない。ここ跡地を埋め立てて広大な敷地が生じたせいか、今は広々としたJR児島駅になったり、ス−パ−マ−ケットが量販店やたらと多く、さぞかし激戦区になっていることでしょう。

 明治になり納税額の多さによ貴族院の議員に選ばれている。 その彼が3000坪に及ぶ敷地に長屋門や蔵、枯山水庭園、茶室、42mの奥行のある居宅などがみられます。 台所も、浴室、便所なども当時のままに残っております。 また調度品や豪華な漆器など貴重なものも見られます。


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  野崎武佐衛門 1789-1864



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  国指定重要文化財 



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  豪華な調度品



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 庭  珍しい石がある 


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 茶室 


  2019-7-7



 
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2019年07月05日

スタンチュ−ブ交換


 2019年春のクル−ズを終え、新ホ−ムポ−トへ入った後で、ビルジの点検をしてみるとバケツ2杯で多い。 前日の弓削で冷却水ポンプを交換したばかりです。 そこからの水漏れはなし。 スタンチュ−ブからの水漏れであった。 新しい係留地・岡山に来たばかりなので、修理するところののアテはない。 近くにマリ−ナがあったので、そこで聞いてみると、ここでは修理作業はしていないとのこと。 そのマリ−ナで紹介されたヤンマ−の代理店に行く、状況を見てもらえることになった。 しかし、様子を見た後で、スタンチュ−ブの修理はできないと断られる。どうも、その業者はヨットは得意でないらしい。

 地元のヨットマンの紹介で神戸の業者に修理をしてもらうことになる。 ヤマハ31フェスタのスタンチュ−ブの資料を前のオ−ナ−からは受け取っていない。製品名も分からず。 その部品はヤマハには無いようなので、新しい他社の製品を取付ることになった。 シャフト径とスタンチュ−ブ径が部品注文には必要でした、25mmと2インチと判明して、注文することになる。あいにく土日で今回も冷却水ポンプ交換の時と同じく日数を要した。

 作業はヨットの常で狭いところに頭を突っ込んでの作業。 ハンマ−を振るのにもスペ−スが狭く大変のようだった。小生は見ているだけでしたが。とても根気のいる作業です。それでも、朝から始めて4時ごろには修理を終えて、マリ−ナから係留地に戻ることができました。 費用は部品6万,作業代10万を要し年金ヨットマンには大きな負担であった。



 作業手順

1. 旧シャフトシ−ルを取り外す

2. プロベラシャフトとエンジンとの接合をはずす

3. 旧をシャフトから抜き, 新をスタンチュ−ブに取りつける。

4. 新をシャフトへ通して、シャフトをエンジンに接合する。

 旧シャフトシ−ルを外すことと、プロペラシャフトをエンジンから抜くことが大変だったようです。シャフトを抜いて30cmほどのスキ間がないと離脱取付ができない。 プロペラと舵は同一直線状に普通はあるので、その距離が短い時は、今回の工事はどうするのだろう。舵も抜かねばならないのであろうか?



 

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 交換前に使用していたもの 取り外す   製品名不明

 


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 スタンチュ−ブ 2インチ(約51.5mm)、  シャフト25mm



 

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 新シャフトシ−ルを取り付けて、これよりシャフトをエンジンに取りつける





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  新しいPSSシャフトシ−ル( 02-25M-200)


 

 製品説明サイト

 http://www.samtech-japan.com/product/item03.html



   2019-7-5



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