2017年12月30日

亀山城・岩城島


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 愛媛県上島町岩城島に亀山城はあります。 明徳3年(1392年)村上修亮敬吉により築かれたといわれる。村上海賊の城というよりは砦である。本廓には現在は岩城八幡宮があり南北にある2つの廓とで構成されていた。
現在は陸側から神社に至る階段が設置されているが、昔は城の周りを登っていく登城路で本廓に達したと思われる。急な崖沿いの道で海側からの攻撃は難しい。城の鼻には船をつなぐ杭穴がのこっているという。潮が高く見えず。 また岩城古城・支城との間には船隠しがあったというが、現在は埋め立てれられて陸地になっている。岩城島と赤穂根島との狭い水路にある。近くの岸に岩城古城という支城があるというが小さいもので家も立っていて確かめることができなかった。教育委員会で聞いてみたが明確にはなりませんでした。

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杭穴・ピット


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 本廓より対岸の赤穂根島を望む


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登城路

 岩城島には航行を監視する村上海賊の城が岬の鼻や見通しのよい小山にあったようだが、表示された看板が無いのか見つけられませんでした。


    2017-12-29




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2017年12月29日

木江・きのえ


 ゆたか海の駅で冬の季節風・西風が強く出発を伸ばして、ここ大崎下島より隣の島大崎上島へ行きました。フェリ−320円で明石へ渡れます。徒歩で温泉のある中の鼻灯台隣接の清風館に向かいました。沖浦にある大崎上島海の駅も見てみようと思う。ここは料金が高いのでパスですが。まだまだ距離がありそうなのでバス100円に乗りました。入浴時間まで間があり、清風館で自転車を借りて木江を見てきました。

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大崎上島海の駅


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中の鼻灯台 清風館隣  明治20年築造


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清風館駐車場より大崎上島と大三島との海峡を眺める





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 木江は先代のヨットで40数年前に停泊したことがあります。若いころで元気もあり、ここの歴史も知りませんでしたが。夜にフェリ−が終わったころにヨットを岸壁へ着けて、始発のフェリ−が使用するまでに出発するチョイ借りでお邪魔しました。しまなみ海道が出来てフェリ−が路線廃止されたところがあり、今となってはどこなのか確認できませんでした。


 大崎上島にある木江をご存知の人はすくないでしょう。大三島にある大山祇神社の対岸にある。古くは御手洗のように潮待風待ちの港としてにぎわった。明治30年以降にできた造船所が木江に25軒もあった。最もにぎわいの有った時期は大正のころで、第1次大戦中の造船バブルでこの島の造船業はロンドンタイムスに広告を掲載するほどであった。その名残として木造3階建て大きいのは5階建てのたてものが現存する。

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往時のにぎわい


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木江の造船所


 ご多聞に洩れず潮待風待ちの港町には御手洗のように遊郭が栄えた。3階建ての建物はそれだといわれている。ここは国指定の町並み保存地区にはなっていない。空き家も目立つので行政の保存活動を惜しまないように望みます。
 大正6年の造船ブ−ムで鋼材が不足し木造船の需要が高まり、木造船技術が木造5階建てを可能にしたといえよう。 また木造船の板をつなぐ防水材料としてのマキハダの生産も日本一であった。

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木江の街並み



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往時の木造5階建て様子 造船所が船主の接待に建てたもの


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現在も残る木造5階建て



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ふれあい郷土資料館




   2017-12-29


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2017年12月28日

鼻栗瀬戸


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 瀬戸内海を東西に航行する場合に、大型商船は主に来島海峡を、数たまに三原瀬戸を通峡する。ヨットの場合は上図で赤字で表したように、4航路がある。

1.三原の瀬戸 潮の影響が少ないが距離が長くなる
2.鼻栗瀬戸  500トン位までの小型船舶
3.船折れの瀬戸 急潮であるので100トン位が航行
4.来島海峡  大型船が順中逆西により航路規則がある。

 今度の年末クル−ズで鼻栗瀬戸を往復しました。幸い最狭部で行会い船に合うこともなく、無事通峡できました。どちらも2ノット位の追い潮をねらって通航する。帰りの弓削から御手洗に向けて通峡したときは、冬の季節風の強い日で、通過すると海面が真っ白の向かい風になりました。通常なら機帆走でも2ノット程度に下がり、引き返す判断になりそうな状況でした。連れ潮で4ノット程度GPSが示していたので続行、30分くらい頑張ると少し収まり、予定より少し遅れる程度で目的地に到着できました。 真向かいの風でのヨット航行で自分にとっては貴重な体験となりました。さすが瀬戸内の潮流です。

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鼻栗瀬戸

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手前の大三島にある 潮待に使えそうなポンツ−ン

 いつも潮流推算を使用して潮流時をサイトで調べますが、ここ鼻栗瀬戸は、それでははっきりしないので
MIRCマリン情報の潮流予測を見ました。

 4つの瀬戸を航行しましたが、ここはオススメです。

   2017-12-28











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2017年12月27日

弓削海の駅 

 
  冬の季節風と繁忙期対策

 ヨットマンの聖地と言われて愛されている泊地です。瀬戸内の中央に位置していることから絶好の中継地となっています。 古くは町立で商船学校を設立し、今では国立の弓削商船高専学校になりました。伝統的に船に理解がある行政が海の駅を支援しています。今年には海の駅の建物を新築しました。トイレ・シャワ−・ランドリ−を設備しています。

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新築された事務所


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満杯になったポンツ−ン

6隻の停泊スペ−スがありますが、大型艇が2隻分を占めることがあり、折角訪れても満杯でポ−ンツ−ンに着岸できないこともある。
 実際冬の12月に訪ねたときは1隻分しかなく、わがヨットでフルでした。夕方に空きが無いとなると困った事態です。 そこで周辺の泊地を調べてみました。

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1.岩城島海の駅  2隻ほどのスペ−スだが空いていることが多い
         冬の西風強い時は弓削よりこちらが良い
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2.佐島港 ポンツ−ン  1隻ぐらいなら置けそう
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3.生名島東岸 物揚場  4−5隻のスペ−スあり
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4. 生名島スポレク公園 ポンツ−ン  1隻分あり うねりがはいりそうです
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5. 弓削島東岸 日比漁港  温泉スパに行くと眼下にみえる。
              3隻ほどヨットが停泊、 この東海岸には漁網が全域に
              渡って設置されているので、そこまでの航行に十分に注意
              西風強い時には良い泊地
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 弓削の海の駅の冬の天候は季節風が強く西風系が吹く。ポンツ−ンにつけていてもうねりもあり、気持ちよいものではありません。ぐる−と見渡すと小山が周囲を囲んで防ぎそうなものですが、海の駅には防波堤が無い構造ですのでそうさせるのでしょう。
 万一の場合は錨泊スペ−スもあるようですのでアンカ−を打って、エンジンスタンバイでしのぐ手もあるかもしれません。 小生の場合風速6-7m(予報だから実際はもっと強い))の状況で風下側の着岸でしたので、ありたけのロ−プをつないでしのぎました。冬には西風の強い日が多いのでここは適しているとは思えませんが。

 夏の混雑時だったら上記のすべての泊地は調子が良いといえます。冬には岩城島がオススメです。

  2017-12-27
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2017年12月26日

島1周サイクリング

  先輩Tさんさがし

 海の駅でレンタサイクルをして瀬戸内の島をまわることががあります。

 今までに
1. 本島・香川県坂出市
2. 女木島・香川県高松市
3. 弓削島・愛媛上島町
4. 生名島と佐島・愛媛県上島町
5. 岩城島・愛媛県上島町
6. 大崎下島・広島県呉

  以上を 自転車で走らせました。

 他のヨットマンの感想では「何もない」という結論でありましたが、そうかもしれません。 桜や紅葉の時期には美しい眺めが見られるでしょう。 歴的なことに興味があると城跡の案内板が見つけられることもあります。まあ、ヨットマンは航海中には足が萎えるので、サイクリングはヘルシ−な運動といったところです。島一周といっても平坦な道より小山越えの道が多いので、できれば電動サイクルを借りるのがベタ−な選択です。

 今度、ゆたか海の駅で自転車をレンタルして、昔フェリ−に乗っていた時の先輩Tさんが隣の豊島にいることを思い出して、探してみようと走らせた。

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ゆたか海の駅


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久比港


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久比港沖にある三角島、 こんな小さな島にも古墳があるという



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豊浜大橋を渡ると豊島へ

 豊島の島民10人ほど尋ねましたが、名字だけの情報ではさがすことができませんでした。 船会社を辞めてから四〇年も交流が無かったのでは当たり前です。住所も知らないのですから。思い付きでは神さんの思し召しも無かった。 先輩は突然小生が現れても迷惑だったかもしれませんね。

 船乗りをしていると、陸・オカに上がっているときは年に1−2か月です。休暇中にヨットに乗っていたときもあり、ほとんど陸の上にいない時代もありました。 友人に対してもそうですが、ついつい疎遠になり交流が疎かになります。本人はそれでもいつまでも昔のままの気分でいます。70になって大事だと気が付いても遅い。


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豊浜大橋より斎島を望む

 気分を変えて大崎下島を一周することにしました。

 豊島から豊浜大橋を渡り、大崎下島南岸を走る。 平坦な道で通りすぎる車は少ないが、たまの軽4輪の荷台には、みかんを積んでいた。 みかん畑が海岸まで続く斜面を利用して延々とある。 しかし人家はほとんどない。島の北側と東側の御手洗や大長に住んでいる。それには風や天候の問題が関係しているのであろうか。山が海岸に迫って、単にスペ−スが少ないだけなのかかもしれません。

 外人の若い女性サイクリストが”コンチチワ”と行違った。その一瞬の間では、もちろん写真を撮る時間は無い。 他には、50台の夫婦のサイクリストとすれ違ったのみである。 呉と橋でつながているので、ヨットよりはサイクリストのツ−リングに人気があるようだ。橋から1−2時間で御手洗に着く。広島に帰ってから知ったのだが、マリ−ナ近くの大手ス−パ−で「大長みかん」の箱が通路に山積になって売られていた。ブランドみかんであるらしい。


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大崎下島南岸 ミカン畑が続く


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御手洗高灯篭

   2017-12-26




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2017年12月25日

中村春吉 世界一周自転車無銭旅行


 御手洗の町を見ている際に中村春吉のことを知ることになりました。

 チベット旅行記の川口慧海や石光真貴清の自伝は感動して読みました。彼は自伝でも残してくれたら良かったのに。まだまだ知らない偉人がいるものです。

 明治4年御手洗に生まれる。明治26年にハワイに移住し30年帰国。英語塾を開くが閉鎖した。明治35年31歳で自転車により世界1周無銭旅行にでる。横浜−シンガポ−ル−ビルマ−インド−イタリア−仏−英−米を旅して翌年帰国する。そのご霊動法という精神的医術の普及に努める。昭和3年に御手洗に帰る。昭和20年74歳永眠。


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中村春吉の碑


   2017-12-24

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2017年12月24日

御手洗(みたらい)


 ヨットにとっても天然の良港である御手洗にいきました。

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江戸時代の高灯篭

 帆船の時代に来島海峡や鼻栗瀬戸などの潮待、諸風を防ぐ地理的条件を備えたところから天然の良港として栄えた。
 地名の由来は神功皇后が、三韓侵攻の時、この地で手を洗った伝説や菅原道真が太宰府に左遷されたときに手を洗ったという伝承から名がついたといわれています。
文政二年・一八一九年には中国第一の港と自負するほど発展した。

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菅公手洗いの井戸

 帆船から蒸気船の時代になり繁栄していた御手洗は衰えて江戸時代の街並みが残った。

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町並み保存地区

船乗りが集まれば芸州藩お墨付きの施設も繁栄する。4軒の茶屋があり、「おちょろ船」といって沖待ちしている船に出向いて営業することもあった。

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若胡子屋 広島藩から免許をもらったお茶屋 100人の遊女がいたという


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一夜の契りでも遊女にお歯黒をつけさせて女房気取りで結ぶのは男の甲斐性であった。これには莫大なお金がかかりました。
 ある日花魁がお歯黒をつけにくくて癇癪をおこして、そばにいた禿(カムロ)の口に投げつけて殺してしまいました。その亡霊が毎夜現をれて花魁を苦しめた。花魁は四国の遍路をしてつぐなったという。

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お歯黒事件の壁 お歯黒の手形がにじんでうかびあがるという

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船宿 大洲藩


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乙女座 これは昭和初期の劇場の復元

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満舟寺の石垣 戦国時代の石垣で海賊の施設跡ではないかと言われている
加藤清正の四国攻めの前線基地ともいわれる




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船宿 薩摩藩

 1863年に芸州藩は薩摩と密貿易をしていてその拠点港となる。幕末には七卿落ちで滞在した家が残っています。 吉田松陰が長崎にいくときに立ち寄り、薩長芸の討幕同盟がむすばれると大阪での討幕行動の密約といわれる「御手洗条約」がここで交わされる。 

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七卿落遺跡


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金子邸  ここで密約したという


   2017-12-24

 ゆたか海の駅





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2017年12月23日

ゆたか海の駅


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  穏やかな安芸灘はセ−リングを愉しむのには最適です。ここには航行を邪魔する養殖いかだや航行船も少なく、存分に楽しめます。

 安浦海の駅が廃止になった今ではここはオススメの泊地になります。 ただし35F以下で喫水の深くないヨットの利用になります。
 スペ−スは2席ほどで限りがあり、今回利用したバ−スの他は水深が50-60cmほど浅いので注意が必要です。事前に予約したほうがよいでしょう。 無料で給電も無料です。潮の影響も少なく、諸風を防ぎ冬のに風の季節風の待機には都合が良い。おまけにスタッフも親切です。

 徒歩10分ぐらいで歴史的町並み保存地区の御手洗の見学もおすすめです。 時間があれば320円のフェリ−で大崎上島へ渡りバス100円で温泉につかりに行くこともできます。
 海の駅とびしま館では昼食・宿泊とシャワ−が利用できる。

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左のボ−トは常時占有しているようで、ヨットと隣のバ−ス2隻が利用できます。


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中の島を挟んで2つの橋はヨットで通航できます。


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干潮時には旧港設備が見え、そこは浅いので避けて航行する。

    2017-12-23

 ご注意
とびしま館が閉まっているとの情報アリ 2018年3月
 詳細は不明です。





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2017年12月22日

安浦海の駅は廃止

 呉 安浦再訪

 2017年12月2日に安浦へ再度訪れました。予約をしなかったので知りませんでしたが、ホテルの倒産で経営者が代わり、今は海の駅は廃止され運営していない。 フロントへ手続に行って驚きました。 入浴サ−ビスはやっています。 着岸の時にすでにモ−タ−ボ−トが係留していました。 オフロを済ませてヨットに戻るとボートは出ていませんでした。桟橋を利用しての入浴はできるのでしょう。

 どうりで桟橋から先への立ち入り禁止の看板が立てられていました。子供の遊園地やキャンプのスペ−が有るのですが、ペンペン草が生えておりさびれた雰囲気でした。

 国民の保険や年金の積立金を流用して広大な土地に建てられた施設でしたが、時代に合わない施設や経営で無駄にしてしまいました。お役人さん責任がありますよ。 山頂の宿泊施設のみ債権者・購入者は利用しています。

 ここの海の駅は無料でありがたかったです。まあ海の駅は採算的にはうまみのある施設ではありません。オ−ナ−がボ−トを所有して海に理解のあるなどのボランテイア精神のある民間か、あるいは海に理解のある地方自治体でしか成り立たないのでしょう。どちらも上手くやっている駅はあります。

 桟橋は電灯の無い暗闇でしたが翌日まで利用させていただきました。冬の季節風西風が強い時には避けるためには利用したい桟橋です。利用を黙認していただけるとありがたい施設です。

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 桟橋より

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元キャンプ地 ジェットコ−スタ-も見える

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 桟橋の横にある 案内板のない彫像 どなたでどこを眺めているのでしょうか?
 シーザ−(カエサル)のようにも見うけられます。


    2017-12-22


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2017年12月21日

江田島 旧海軍兵学校を訪ねて

 
 江田島には「のうみ海の駅」があります。ヨットの停泊地として海の駅をよく利用しています。 しかしこの駅は近くに暗礁があり、乗揚げ事故が多発しています。それに対しての事故艇から「標識も無く分かりにくい」と苦情をサイトで目にします。 このような理由から、自分のヨットでそこへ訪ねることを断念して、呉からフェリ−に乗りバスに乗って、陸から海軍兵学校跡を行くことになりました。

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 呉の乗船タ−ミナル

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 呉−小用 フェリ−

 軍の施設などで見学時間は1日に3-4回ほどに限られており、その時間に合わせて、門で受付をし、ツア−で案内者と見学することになります。 小生が言った時には、見学までに時間があり受け付けてもらえない時であった。前の人が食堂で食事をするという理由で入場許可を受けたのをマネして入ることができた。食堂で今はやりの海軍カレ-を食しました。そこは社内食堂みたいなもので隊員も他のテ−ブルで食べています。 味は普通で値段が少し安いといったところです。

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 食堂のある赤い建物の前に集結して見学に出ます
 
 2時間をかけて徒歩でグル−プを組み、ボランテイアガイドさんのユ−モラスな説明で見て回りました。

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 卒業式でいっせいに帽子を振り投げる講堂です

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 旧海軍兵学校生徒館・現自衛隊幹部学校庁舎

 海上自衛隊の第1述科学校もここにあります。機関及び潜水を除く砲術、水雷、航海、通信など比喩ような専門知識及び技能を教育する、

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 第1術科学校学生館

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 教育参考館 水曜日は休みで展示品はみられなかった


また、校内には様々な兵器が校内展示されている。

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戦艦陸奥40cm主砲

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特殊潜航艇 開戦時に9軍神が乗り参戦

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特殊潜航艇海竜 本土決戦用に製造され使われなかった

 ガイドさんの説明によると200人が海軍兵学校に入学し東大はすべり止めで受験したという日本でトップの秀才が参集したという。それでも敗戦して学校は閉鎖となった。結果的には、秀才の選別方法に誤りがあったのか、それとも学校教育の内容に誤りがあったのかいずれかでしょう。 秋山真之はトップ卒業であったとか、日露戦争までは確かに日本の国運を支配し成功した学校であったのは事実とはいうものの。

 201712-20











 
 



 
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