2024年02月27日

新 船中発策U が誕生しました。


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「 旧船中発策」を改めて「新 船中発策U」になります。 そこで更新して参ります。 作成ソフトのせいでしょうか? 4−5年経つと不具合が生じて今まで変更を重ねてご不便をおかけしています申し訳ありません。


  1. 船中発策 https://hayame2.sakura.ne.jp/ 
          2013年1月より 2016年12月まで

  2. 船中発策 まとめ
               http://www.hayame.sakura.ne.jp/index.html

  3. 新船中発策  https://hayame.net/index.html 
          2016年 12月より 2024年 2月まで

  4. 新 船中発策U  https://hayame.coolblog.jp/  
            2024年 2月より

     古いものは写真が満足なものになっていないものが多いです。 ご容赦ください。

    今後ともよろしくお願いいたします。

         2024-2-27






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2024年02月22日

全国ヨット泊地


 
 「旧ヨットマンのための海の駅と泊地」を改め 「全国ヨット泊地」にして新しい更新をいたしました。 泊地選びの参考にしていただければ幸いです。 今後は新しい巡航をするごとに更新して参ります。

  https://hayame.coolblog.jp/custom4.html

   2024-2-22

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2024年02月20日

宇野再訪

     



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  赤丸は海の駅停泊地



  高松から直島に停泊するつもりでいたが、あいにく東風が強く、おまけに停泊予約が満杯のようで取れなかった。それゆえに、直島と荒神島間の水路を通り右目で直島港を眺めながら通過して,宇野・たまの海の駅に停泊した。  ここは6年ほど前に着けたことがある。 当時は数百円以下の低額利用料であった。 今回は2000円程度かかった。 電気水道はとれない。 おまけに管理が厳しくなったようで、台風時にも緊急避難でも
難かしそうである。 近くの温泉たまの湯も高めの利用額設定になっている。



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 ポンツーンにあった注意書き



 

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 地図の海王丸の岸壁に停泊

 ここへ来る1か月ほど前に海王丸の一般公開が行われていた。倉敷でお世話になっているNさんに連れられて見に来た。公開は終わっていたようで乗船見学はできなかった。 船員志望の大学や高専が少なくなっている。 帆船は美しい、老生には高いマストに登るのは若い時でも無理ゲーである、それでも、いつまでも維持・運航してほしいものだと思う。



    2024-2-20



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2024年02月18日

高松市立ヨット競技場   高松ヨット泊地





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 赤丸は係留場所



  高松のヨット泊地を考えてみた。 高松市立ヨット競技場を利用するには事前予約が必要です。名前のとおりデインギーノレースを主体に営業されているようで、レースのある休日には特に注意がいる。 うねりが入りやすく天気にも留意をする、
 ここの管理の方は親切で休日利用にも配慮がなされた。 すぐ隣に民間の高松マリーナがある。 そこはビジター利用には熱心ではなさそうである。



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  青丸は係留候補地

 上図は高松港のヨット停泊候補地である。 実際に停泊しての赤丸報告ではないので。事前にニューペックなどで水深の調査をしておくとよいだろう。
 風向やウネリの方向により、快適な場所をさがす必要がある。 また、他の停泊地として女木島や庵治、立石、志度なども考慮する。



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 女木島 ポンツーン  観光案内所へ申し込み  2000円程度



      2024-2-18

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2024年02月16日

撫養・鳴門   ヨット泊地

   




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 赤丸は係留地、 青丸は候補地、 xは本船、 航路は青線



 小豆島の坂手から小鳴門を航行して鳴門撫養に入港した。 鳴門海峡を避けて小鳴門を走ったわけである。 予定していたx岸壁には内航船の本船が係留していてその前後の空いたスペースに着けることになった。 常時に何らかな本船がいると思いそこを空けておいたほうが良いように思われる。 赤丸の実際に着けた地点はもやいロープを取ることに工夫が入り、万全とはいかなかった。  橋を越えた岸壁を考えたほうがよいかもしれない。

 スーパーマーケットは近くにあり、買い物には便利である。 この撫養川を登るとほどなくJR鳴門駅があるようだけれど、この地の見学予定は係留地が満足のいくものでなかったので諦めて、予定を早めてケンチョピアに行くことになった。 翌日にはここを出港した。すると船尾から白煙が上がり警報音が鳴り、機関給水トラブルに巻き込まれて難儀することになるとは。


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    2024-2-16



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2024年02月13日

坂手・小豆島  ヨット泊地

    


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  赤丸は 坂手、  青丸は泊地候補、 映画村除く、


  前回は池田港のポンツーンに着けて、小豆島を堪能した。 今回は坂手に着けて24の瞳の映画村とその作者の坪井栄の生誕地を訪ねた。

 ジャンボフェリーが坂手より神戸と高松へ就航している。

 

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 赤丸 係留ポンツーン、 青丸 係留候補岸壁、 待合室で入港手続き

  



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  坂手のポンツーン  ここへ係留した



  フェリーの待合室で入港の手続きをする。 1泊2000円程度である。 水、電気、買い物、給油、お風呂は近辺にはないようである。 コンビニなど店もないようである。 停泊以外は期待できない。



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  坪井栄生誕地  役所の分所の女性にここを訪ねた、分かりにくい場所である 



          2024-2-14




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2024年02月12日

ケンチョピア・徳島

  

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 赤丸はケンチョピア、 青丸は泊地候補、 錨泊は緊急泊地



 鳴門の撫養を出て機関冷却トラブルでメインのみの帆走に落ち入る。入港前に再始動させると1000回転程度にすると継続的にエンジンは使用できるようであった。 最悪に帆走のみの徳島入港の時には、大型フェリーの乗場のある、ちょっと大きなスペースへ錨泊するつもりであった。 幸いにも2−3ノットで県庁前のケンチョピア海の駅に着岸することができた。

 ここは自主管理のポンツーンのようです、電気・水もとれます。 最後に出港する時にここは、自分で停泊料を計算して所定の場所に置いておくと云う艇長を信頼してもらえるシステムになっている。 すぐ近くのコンビニ利用が条件で泊地代が安く(1000円)なっている。 3−4日の期間の利用が想定されているようであるが、小生はお遍路寺神社めぐりで10日を超える利用をさせていただいた。 それゆえに出港前に、スマホに苦情の連絡をもらうことになってしまい、大変な迷惑をおかけすることになった。 お詫びいたします。 満足のゆく徳島を、楽しませていただきました。ありがとうございました。

 県庁前の好立地でJRの駅に行くのにも、お風呂、スーパー、コインランドリー利用にも便利であった。バスで徳島駅に行くことも出来ます。

 

    2024-2-10

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2024年02月10日

機関給水トラブル その2

    

                その1  2023-8-27

           冷却水ポンプ交換  2019-6-29



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  赤丸は緊急錨泊候補地  徳島港



  2023年春巡航で佐賀関を出てすぐに警報が鳴り,冷却水トラブル(機関給水トラブルその1)が起きた。 ケンチョピアへ着岸してからの修理で判明したのであるが、詰まったものが違うが前回と同じエンジン位置での故障であった。

 キングストン・冷却水取入れバルブからビニールパイプが来てエンジン側の冷却水ポンプと続がっている。 このポンプの繋ぎをはずす。 するとビニールパイプからわずかに海水が漏れ出る。 まだ水面下の海水と続がっているので当然であるが。キングストンバルブを締めることもなく上に持ち上げる程度でパイプからの海水は止まった。 そこには20cm程度のニラのような細長い海草が詰まっていた。 パイプを口をつけて噴き出してみる。ゴボゴボと排出音がしたので、そこから艇外への詰まりはないようであった。 パイプを繋いでエンジンを始動して回転数を上げしばらく運転して様子を見る。 警報音が鳴らないので直ったようだ。 ポンツーンンから艇外への排出水の出具合をチェックした。これも問題ないようである。

 原因は小鳴門の水路でホンダワラを吸い込んだようだ。 海水ストレーナーをエンジン前に設置していればトラブルは起きなかったかもしれません。 瀬戸内ではゴミを吸うトラブルには気をつけるようにアドバイスを受けていたが、そのトラブルは購入後の7年目にして初めて経験させられました。 高松港で同型ヨットが陸置きされていたので吸水口を確かめるとメッシュが施されておりゴミ対策はなされていた。 年式の違いかその艇のハルには取り付け用のクボミがありメッシュが付けられるようになっていた。

 航海中のつまりによる吸水トラブルは大変なので、我がヨットにはシンクの吸水からビニルパイプを機関冷却水ポンプへ繋ぐホーッスを用意はしていたが今回は事前のトライアルもしていなかったので役に立ちませんでした。 事前の訓練は大事とは分かっているつもりだけれど出来ていません。 

 今回は警報が鳴り、機関を止め、ジブを出そうとするがジブが出ない。 メインもやっとのことで上げてセ−リングするが2−3ノット。数日前に予備の2馬力船外機をブランケットから外れて海水に漬けてしまったのでこれも始動できず。 トラブルは悪い方に傾くのが常のようです。 何重にもトラブルが重なって最悪の事態を迎えることになるのでしょう。 幸い陸からのアビームの風でリーショアの心配もなく徳島港の入り口まで走れた。 そこで最小回転の機関始動ができたので、ケンチョピアの着岸まで事なきを得た。 人生の最悪の事態を免れる残り少ない運を使ってしまった思いである。



       2024-2-10



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2024年02月08日

貞光「うだつ」の街並み     旧永井家庄屋屋敷

    

  剣山へは昨年に行くことは断念した。近春には挑戦したいものだ。 JR貞光駅は特急も停車し、ここからコミュニテイバスが朝昼に剣山へ行くことが出来る。季節により時間が変わるかもしれないので下調べが必要である。


 穴吹を過ぎると列車の本数が少なく、2時間ほど時間が出来たので「うだつ」の街並みを見に行く。JR貞光駅より徒歩圏である。 街並み保存地区の制度があるが、ここは指定されていないけれど、今まで見たそれと同程度の趣がある。 途中に旧永井家庄屋屋敷が見られる。

 「うだつが上がらない」という言葉は老生の人生そのものであるけれど、その語源となった「うだつ」の防火壁がそれも2層のものがここで見られる。




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  貞光 「うだつ」の街並み図


 葉たばこや繭で栄えた商家が競って「うだつ」の防火側壁をあげたようです。 


 

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  長浦呉服店前   このはなさくやびめ像


 




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  うだつのある民家  赤矢印は「うだつ」



 



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  赤矢印は「うだつ」  これは「2層うだつ」





    旧永井家庄屋屋敷


 1791年(寛政3年)に建築[1]。敷地は約550坪あり、旧貞光町の二層うだつの町並みから50mほど西に入った住宅地の中にある。
 無料で駐車場もあるので、近くに行った場合は見ておくべきでしょう。




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  玄関





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  母屋

 

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  内部



      2024-2-7



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2024年02月06日

屋島城

  屋島城



  屋島寺の帰途に屋島城へ立ち寄る。 城門の跡が残っていた。 ここは備讃瀬戸の南・四国側にある。 また、北側の本土側には鬼の城がある。この2つで白村江の敗戦後に西から攻め寄せる唐・新羅軍を押さえるつもりであったのであろう。



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  屋島図



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  案内板



  屋島城詳細へ  高松市公式ホームページ

  https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/smph/kurashi/kosodate/bunka/bunkazai/chosa/yashimajo/index.html



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  縄張り図





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  城門





       2024-2-5

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2024年02月04日

お遍路9  #74甲山寺、#73出釈迦寺 #72曼荼羅寺、#71弥谷寺






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  善通寺 地図2



  善通寺より甲山寺、曼荼羅寺、出釈迦寺までは徒歩圏である。弥谷寺には山道になるのでタクシーに乗るかはお好みになる。





    #74甲山寺



  空海が満濃池の改修にあたったとき、岩窟に毘沙門天を祀り、工事の成功を祈りました。改修後は、朝廷から賜った功労金で堂塔を建立し、自作の薬師如来像を本尊として創建したと伝えられています。





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  山門 





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  本堂



 大師堂の左手にある奥行12mほどの岩窟。大師が彫ったといわれる毘沙門天像が祀られています



 







    #73出釈迦寺



  弘法大師ご自作の釈迦牟尼仏如来をご本尊とし衆生済度の根本道場として開創されました。 空海が7歳の時に仏門に入り多くの人を救いたいと願い身を投じた場所が奥の院と云いそこにあるが、残念ながら訪ねておりません。






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  山門





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  本堂








    #72曼荼羅寺



  創建は四国霊場で最も古い推古四年(596)讃岐の領主・佐伯家の氏寺として創建され、初め「世坂寺(よさかでら)」と称していました。唐から帰った弘法大師空海は、父の菩提寺として善通寺を建立。続いて母・ 玉依御前(たまよりごぜん)の菩提寺としてこの寺を建立したと伝えられています。






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  山門





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  本堂





 




    #71弥谷寺 ・いやだに



  540段という階段があり、しんどいです。その最高値に本堂がある。

  ヨットでお遍路する場合には多度津海の駅からが便利であるが、他に仁尾マリーナや詫間に停泊する手もありだろう。


 
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  山門   






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  本堂







 途中に天霧城への案内板があった。今回はアキラメておこう。




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  天霧城跡の案内板


 讃岐香川氏累代の有事の際の詰城で、平時の居館は多度津町の本台山城東麓にあったとされる。香川氏は三好氏、長曾我部氏、秀吉と従い・戦いをして秀吉の四国征伐に伴い取り潰し廃城となった。




       2024-2-4





 続きは2024年春クルーズ・四国一周(予定)になります。









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2024年02月02日

 お遍路8   #78郷照寺、#77道隆寺,#76金倉寺、#75善通寺


 

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 善通寺周辺地図


  ここのお遍路は平坦な地でありJR駅より徒歩圏で都合が良い。 またヨットでも多度津海の駅<が良い停泊地で便利である。 こう石垣で有名な丸亀城へ向かうのも一興であろう。  いよいよ空海の本尊である善通寺に向かうことになる。





    #78郷照寺


 JR宇多津駅より徒歩圏です。

 神亀2年、行基菩薩によって開創された。本尊の阿弥陀如来は行基の作といわれる。また、「厄除けうたづ大師」と呼ばれている。




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  庭園




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  本堂




    #77道隆寺


 JR多度津駅より徒歩10分位である。多度津海の駅よりは徒歩20分位で行けると思う。

 712年の創建ころのこの付近一帯は広大な桑園で、絹の生産地であったようである。 眼なおし薬師さまとしても親しまれており、眼病にご利益があると言い伝えられています。






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  多宝塔




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  本堂







    #76金倉寺

 JR金蔵寺駅より徒歩4−5分である。 

 弘法大師の甥で天台寺門宗の開祖円珍・「智証大師」が誕生した地。  明治31年から約3年、この寺で乃木希典が暮らした。

 



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  山門  この前においしい評判の讃岐うどん店がある





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  本堂









    #75善通寺


 JR善通寺駅より徒歩20分位。その駅よりタクシーにて善通寺に立ち寄り、功山寺、曼荼羅寺、出釈迦寺、弥谷寺、多度津駅へと乗車した。

 総本山善通寺は、弘法大師空海が御誕生された地であり、総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内は、「伽藍」と称される東院、「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれています。 金毘羅さんを訪ねた5年ほど前にここに来たので、今回はご朱印をもらうだけのおざなりになってしまった。 それでも5重の塔と言い大きな境内は荘厳である。



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  五重の塔




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  東院 金堂・本堂




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  西院 大師堂




      2024-2-2


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2024年01月31日

突然に消えた 見られない!    HP 船中発策 消失と回復

 

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 船中発策HPのトップページ      https://hayame.net/index.html



 OCN光の通信速度が遅く、閲覧しても大分遅かったり表示されなかったりした現象が続いていたので、10日程前にソフトバンク光に回線を変更しました。 すると、最初は良かったけれど、10年ほど書き溜めてきたHPが閲覧できなくて真っ白になる現象が起きた。

 それで、カミさんの甥っ子がHP制作会社を立ち上げたプロであったので、解決方法とその原因を聞いてみましたが、確証を得られませんでした。

 HP作製ソフトにはホ−ムペ−ジビルダーを使っています、小生は作製の基本や理屈を知っているのわけではありません。 何とかそれを使えているレベルの自分です。  OCN光の速度はダイレクト接続で下り80mb、登り8mb程度の光回線とは思えないほどの低速度でした。 現在は土曜日10時ごろで100mb・100mbです。時間が違うと200mb・200mb程度でています。 10G契約なので速くはないけれど、ペ−ジが途切れることもなく閲覧できます。

 原因をレンタルサ−バ−会社に問い合わせたところ「ホームページが表示できない事象につきまして、「index.html」のファイルにコンテンツが記述されていないため、発生しているかとお見受けいたします。」との解答です。

  サーバーの中のファイルがどうして消えたのか?  OCN光の遅すぎるアップロード速度により、なかなかアップは完了せずに途中で止めてしまうことが多かったので、それが原因なのでしょうか?  作製ソフトでは原稿を上げる時には、「サイトの公開ボタン」をクリックするだけの知識です。小生は本来のファイル転送ツ−ルの使い方は知りません。

 手に負えないと分かっていたので近所のパソコン教室に出向いて修理を依頼したが無理なようであった。 PCデポ店では機械の持ち込みしなければならないので後にした。 出張パソコン修理のサイトは多くあるけれど、果たしてできるのでしょうか?

 最後は電話すれば良いと腹をくくって、修理依頼の電話をすることもなく、あれこれ自分でいじっているうちに奇跡的に回復しました。  その作業とは、、、、、 レンタルサーバーにあるファイルマネ−ジャ-を使ってフォルダーを覗いても、サーバーの知識が皆無だから何とも分からない、バックアップのフォルダーがあるようなので、試しにそこへファイルを流す処理をしてみた、、、 そのことが正しい処理であったか、正しい操作をしたのかは不明ですが、、、回復したのです。 このことは皆様には役に立ちそうもない報告ですね。

 作成ソフトの中には原稿が残っていたので、最悪のケースを免れたのかもしれません。 最近は他のことでも奇跡的に命拾いしたり、最悪のケースを免れてきたので、そろそろ限られた手持ちの運が尽きるのではないかと心配です。



 今年からの新しいHPを立ち上げなければと思っています。



         2024-1-31

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2024年01月29日

お遍路7 #79天皇寺、#80白峰寺、 #81國分寺、 #82根香寺。#83一宮寺

      

   #79天皇寺、#80白峰寺、 #81國分寺、 #82根香寺。#83一宮寺




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  高松周辺図



   JR高松駅近くの市立ヨットハーバーへ引田港よりヨットで来て停泊をした。 これからはここを拠点としてお遍路をすることになる。 

 JRで八十場に行き79番天皇寺へ、さらにJRで国分へ行き81番国分寺。ここから山になるのでタクシーにて81番白峰寺と82番根香寺へ、山を下って琴電高松駅まで車で楽をした。琴電で一宮へ行き83番一宮寺を参詣した。

 JR八十場駅にて若いドイツ女性のお遍路さんを見かけた。国分寺から一宮寺まで同行することになった。 ここ10年くらい休暇を取って日本へ来ているのだそうだ。日本びいきのようで小生と同じようにご朱印を集めている。



   #79天皇寺


 ここは坂出のハーバーに半年ほど係留していた時に自転車で訪れたことがある。御朱印のことも知らなくて参詣したのみであった。

 天皇寺とは珍しい名称である。ここは保元の乱により讃岐配流された崇徳上皇を祀っていた白峰宮に隣接し、白峰宮が崇徳天皇社であったときその別当寺であった。




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  山門は無く鳥居





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  本堂







   #80白峰寺



 縁起によれば,当山は弘法・智証大師によって開基されたと伝えられています。崇徳上皇が崩御された後に西行がその御陵をもうでるなど,この地は綾北の郷土史を考える上で重要な場所です。

 すぐ隣に崇徳天皇白峰陵がある。 長寛二年(1164年),46歳で崩御された崇徳上皇は,遺骸を八十場の泉に浸さた後,都からの検視を経て白峯に送られ荼毘に付され,その場に葬られ,その地を御陵とした。


    坂出散歩 その1     http://endyachts.sblo.jp/article/175146880.html


 



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  山門 




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  本堂





    #81國分寺



 行基が開基し、十一面千手観世音菩薩を安置しました。のちの弘仁年間(810〜824年)に弘法大師が仏像を補修し、霊場に定めました。

 「幻の大日如来像」再現を目指している。



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  山門と駐車場




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 本堂





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  護摩堂 


 



    #82根香寺 ・ねごろじ


  巡行中の弘法大師が、この地を訪れて五色台の中の主峰、青峰に花蔵院と建立しました。また、智証大師が霊木で千手観音像を刻んで千手院を創建し、この二院を総称して根香寺と号したと伝えられています。



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 牛鬼の像

  人間を食べる恐ろしい怪獣、牛鬼。 弓名人山田蔵人高清に頼み退治してもらう


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  本堂


 



    #83一宮寺



  琴電一宮駅より徒歩10分。 大宝年間(701-703)に法相宗の祖、義淵僧正が開いたと伝えられています。大同年間(806-810)には弘法大師さまが四国八十八ヶ所建立の際、一宮寺に訪れて聖観音菩薩を彫刻して設置しました。



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  薬師如来祠

 子の祠に悪人が頭を突っ込むと抜けなくなるとの言い伝えがある




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  本堂



       2024-1-29




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2024年01月27日

 応神・仁徳天皇の里を訪ねる


     応神町、仁徳橋 、 藍の館


 徳島ケンチョピアに滞在した時にはこれらを訪ねるのに、JR吉成駅で下車してタクシーを呼ぶが来てもらえなかった。 ここへの訪問を諦めていたが、徳島を出港して香川県の引田に停泊して、再度挑戦した。 今度は勝瑞駅で降りてタクシーを呼び迎車してもらえた。ここのほうが町が大きい故なのでしょうか。

 初めに飛行場近くの川内町にある住吉神社へ行く、どうも元社である気配が感じられず。納得が行かないまま応神町へ向かう。仁徳橋、藍の館を訪ねて、帰り道に本来の住吉神社を訪ねることができた。




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  応神・藍住町 地図



    応神町  

 応神天皇ゆかりの地と云えども何も残っていない。 残った地名は応神産業団地としての狭い地域のみである。 もちろん案内板。石碑の類は無い。 15代応神天皇はヤマトヤケルの孫で仲哀天皇と神功皇后の子供であると云われる。





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  応神町の風景


 

     仁徳橋



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  仁徳橋


 正法寺川に架かるどうこう云うことない橋です。 15代応神天皇の子が16代仁徳天皇であることから、また、応神天皇は八幡神と云われて、それを祀る住吉神社の元社が近くにあるということ。 そのような屁理屈があるけれど、阿波から奈良へ遷都しているのならばこの地に関連のものがあることは不思議でもない。 しかし何も案内するものは無いけれど。




     藍の館   

 

 藍住町は名前の通り藍の産地である。 大河ドラマで日本の近代を創設した渋沢栄一の生家が藍商人・農家であった。深谷まで見に行った覚えがあります。 それと比べてここ奥村家は敷地がもっと広大である。 渋沢が1万両の商いというから、その数倍の商いをしていたのかと想像される。

 館内で藍染めの講習会をやっています。 奥村家の母屋へは入り口が閉まっており、その日は見学ができませんでした。

 

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  展示品



 

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  奥村家への入り口



     2024-1-27


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2024年01月25日

お遍路6   #84屋島寺, #85八栗寺、

     

 



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  屋島地図



  #84屋島寺



 JRと琴電屋島からコミュニテイバスが運行されている。 時間が合わなくて利用できなかった。JR引田駅より特急でJR屋島駅に向かい、そこからタクシーで84番八島寺に行く。 まっことに古いお話であるが、60年も前の高校の修学旅行で屋島に来たはずであるが、何も覚えていないのです。 残念。 駐車場で下車して奥の方に八島寺はある。 帰りは屋島城を見てお遍路道を徒歩で下山した。



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  山門


 屋島寺は754年(天平勝宝6年)に、鑑真和上が奈良へ向かう途中に屋島に登り、普賢堂を建て普賢菩薩像を安置したのが始まりと伝わっている。




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  本堂  1618年建立、国の重要文化財

 



   #85八栗寺



 ケーブルカー乗場まではタクシーで行く。 帰りも琴電八栗駅まで呼ぶことになった。

 空海(弘法大師)が、唐へ渡る前に五剣山に登り、8つの焼き栗を埋めたところそのすべてが成長したことから「八栗寺」と命名されたという。



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  ケーブルカー





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  多宝塔





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 本堂



   2024-1-22



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2024年01月20日

引田再訪

       


  2019年に引田を訪れたことがあり、今度は徳島からの帰りに再訪しました。東風が強く5日ほど滞在して、ここから香川県のお遍路寺を巡ってきました。


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 引田周辺図、  温泉、スーパー、DIYコメリ、コインランドリー、駅



 前回停泊した漁協前のT字桟橋には常時係留漁船がいて手狭になっていたので、コーナーを曲がった空位置に停泊しました。 ここは漁協で経由・ガソリンが補給できます。 スーパー、コインランドリー、DIYコメリは泊地より徒歩7−8分です。 温泉は15分位かかります。

 朝ドラのヒロインであるブギの女王・笠置シズ子さんはこの町の生まれです。

 


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  青矢印は前回の停泊地



  馬宿地区には聖徳太子の生誕地といわれ、また。藤原不比等に関する神社・住吉神社(山王宮)がある。




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  山王宮



      2024-1-20


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2024年01月18日

「いずも」の神社を訪ねる

 
    大御和神社 豊国神社 八鉾神社、賀志波比売神社、生夷神社 津ヶ峰神社



 阿波では山側を「そら」、海側を「いずも」と読んでいた。 島根を植民地として「出雲」と名付けたということは、さておき、その「いずも」の海側の神社(現在よりも海が陸に寄っていた)を訪ねた。 それらは JR牟岐線寄りの地域である。

 大国主神(オオクニヌシノカミ)=大己貴命=大国主命(八千矛神・ヤチホコ)を祭神とする、また事代主命=エビスさんや天照大御神・アマテラス=卑弥呼の生誕地と称する神社が、この「出雲」の地にはある。



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「いずも」 徳島・小松島・阿南の周辺図



    大御和神社


 大御和神社で”国璽(こくじ)の印と国庫の鍵を守護した”と伝わっていて、古代はこのあたりが阿波国の中心地でした。

 御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)で、大国主神(オオクニヌシノカミ)と同神とされます。

 境内の8割余りを民間に売却する計画を進めている。老朽化した社殿を建て替えるのが目的で、県内の神社が敷地を売って資金を捻出するのは異例。「神社を存続させるためにはやむを得ない」と理解を求める河野誉嗣たかつぐ宮司に対し、計画を事後に知らされた氏子は反対している。




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  鳥居 




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  拝殿






   豊国神社 ・御縣神社・宮方神社


 1614年(慶長19年)に創建。別当として豊林寺も造営された。豊臣秀吉の死後、蜂須賀家政と蜂須賀至鎮が豊臣秀頼より拝領した『木造 豊太閤像』(非公開)を神体としている。

 蜂須賀家三代が取り壊して現社地へ遷座、ひっそりと祀られました。 現在は堀越寺に併設されている。

 境内には式内社の御縣神社が鎮座、宮方神社とも呼ばれる。祭神は大己貴命または事代主命。





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  鳥居



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  拝殿





   八鉾神社 ・也保古 やほこ


 大国主命(八千矛神・ヤチホコ) 生誕地、 出雲大社の元宮とも云われる。





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   鳥居




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  宝物殿







   賀志波比売神社 ・かしわひめ

 

  賀志波比売は幼少期の名である。ここは賀志波比売命が最初に祀られた地であり、その後、賀志波比売命は人々の希望により津乃峰山山頂に遷座したが、元の鎮座地にも祠が残されたものと伝え、当社が「津峯神社の本宮」であるとしている。


 それにしてもアマテラスの地であるにもかかわらず、住宅街の奥まった見つけにくいところに鎮座する。津が峰神社に移ったからであろうか?それともユダヤの地から船に乗って個々の近くに移って来たからであろうか?



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  天照大御神生誕地の石碑




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  拝殿





    生夷神社・いくい


  社名の「生夷」は「えびすが生まれた場所」という意味があり、事代主命はこの地で生まれたとする説がある。

 式内 事代主神社は、全国で阿波の二社のみ。

   事代主神社   (徳島県阿波市市場町伊月)


 

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  鳥居



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  拝殿


 

      津ヶ峰神社



 参道入り口からは全長3.7kmの有料道路(軽自動車、普通車:往復600円)「津峯スカイライン」を走ります。



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 リフト500円で神社へ



 祭り神は賀志波比売大神(かしはひめのおおかみ)大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)である。賀志波比売命を主祭神とし、相殿に大山祇命を祀る。

 津乃峰山の麓の阿南市見能林町柏野22にも、賀志波比売命を祀る賀志波比売神社がある。現在は見能方八幡神社の境外社とされている。社伝では、賀志波比売命が最初に祀られた地であり、その後、賀志波比売命は人々の希望により津乃峰山山頂に遷座したが、元の鎮座地にも祠が残されたものと伝えられる。



  
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  拝殿



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  神社から見る絶景

 
     2024-1-18







       
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2024年01月16日

徳島城

          



  いつものヨット巡航のメインテーマのひとつは城廻りであるが、今回はお遍路寺と阿波の神社を行きたいので、それにその数も多すぎるので、お城めぐりを封印することになる。 しかし、停泊地のケンチョピアとJR徳島駅との徒歩の往来で、その途中にちょうど徳島城が在りお城を見学することが出来た。

  徳島駅の線路を挟んで向こう側の公園に徳島市城はある。線路を跨ぐ陸橋を渡ると、もう城内である。



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  徳島城 周辺図  赤丸は泊地のケンチョピア


 1585年、豊臣秀吉の四国攻めにより、戦功があった蜂須賀正勝(小六)に阿波が与えられることになる。 しかし、60歳を過ぎた高齢で、既に隠居の身であったことから、その子の家政が、阿波1国、18万6000石を領する。 

 徳島城は天正14年(1586年)築城で平山城(標高61m)である。築城者は初代家政である。本丸、東二の丸(天守跡)西二の丸、石垣、堀、表御殿庭園等がある。吉野川から分流する、助任川・福島川・新町川・寺島川(現 JR徳島駅と牟岐線)を外堀とし、さらに内側に堀川・瓢箪堀(現 東出来島町東部)があった。

 蜂須賀家は後に淡路も所領とし25万7千石となった。 外様ながら、改易されることもなく、そのまま明治まで所領を維持した。 香川県の山林は開放されることなく現在も国有林であるが、徳島の山林は利用が解放され、藍やその他の特産品の開発を含めて蜂須賀家は善政を牽いたという。



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  城跡図





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  徳島駅より陸橋を渡る






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  数寄屋橋門




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  下乗橋





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  復元された鷲の門、曲輪「三木郭」(みきくるわ)に築かれ城門






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  城山の貝塚





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  城山の海蝕崖



       2024-1-16
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2024年01月14日

眉山(いのやま)周辺の神社

宅宮神社えのみや、経塚大権現、蔵元八坂神社、 熔造皇(ようぞうのすらめ)神社, 八人塚古墳、経塚大権現、佐野神社、勝占神社、五王神社、



 宅宮神社を訪ねた時に、溶造皇神社と経塚大権現へたどり着けず、宮司さんにそれらのことを聞きました。ご親切にも調べてくれて自宅まで写真などを届けてくれました。 近春の徳島再訪に是非ともそれらを訪ねたいと思っております。



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  宅宮神社、周辺地図





   宅宮神社・えのみや 
 

御祭神を大苫辺尊、大歳神、稚武彦命とする。主祭神の大苫辺尊は、意富斗能地神(おおとまひめじ)で、神代七代の第五代の神様として、大地が完全に凝固した時を神格化されたとする説があり。「意富(オホ)」は「大(オオ)」を、「門麻(トマ)」は「泊(トマリ)」、つまり港を意味するという。そのため、現在の上八万町にあたる「八萬津」を祀る神であり、昔は「大きな港」があったことを示すともされる。
また「出雲踊」の歌詞に「伊豆毛の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます、こくちは壱字とおたしなむ」とあり、これは邪馬台国の女王卑弥呼の宗女「壱与」を示すという説もある。
 
 神代文字の版木がある。


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  山門





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  拝殿





  経塚大権現



 天若日子の神陵である。 「天若日子」は葦原中国平定の際に「天穂日命」の次に遣わされ、天孫族から大国主神に寝返ったとみなされたことから何らかの形で処刑(神話では弓矢で射殺)されています。

 下写真のように途中で草で道が鮮明で亡くなったので断念しました。 その下の写真は宅宮神社の宮司さんが送ってくれました。


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  送付されたもの1





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  送付されたもの2





    蔵元八坂神社



  京都の八坂神社のように、祇園まつりがおこなわれるという。



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  拝殿



  下の熔造皇 (ようぞうのすらめ) 神社はここに移設されていたが、現在は元の場所に返されている。



 

  熔造皇(ようぞうのすらめ)神社



 ここもグーグルマップで近くまでタクシーで行ったが。探せなかった。 宅宮の宮司さんが写真を送って頂いた。

 卑弥呼・大日孁神命(おおひるめ)により近代化された米作に加え、素戔嗚尊(すさのお)によって初めて鉄の生産が伝えられた。スサノウの命を祀る。


 五角形の祭壇が在ると云う。八倉姫比賈神社と似ているのであろうか? ユダヤの影響とも云われるが残念ながら見ていない。今春再訪の時には訪ねたいものだ。

  

  https://www.youtube.com/watch?v=zsKxnETQFqs     4分   「神社ねこ」さんによる



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 送付されたもの3

 

 

   佐野神社


 神武天皇のゆかりの神社。神武天皇の東征の起点であるといわれている。

  


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  鳥居



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  拝殿





  勝占・かつら神社


 古代この神社の付近一帯は海であり、出雲系海人の豪族が支配していました。その大祖神である大己貴命を、海に突き出た中山の東端で展望の良いこの地に祀ったということです。元暦元年(1184年)3月10日に源義経が屋島へ向かう途中に参拝したと伝わる。



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  鳥居


 



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  拝殿





   五王神社


 例祭は昔から神輿などを出さずに地芝居や人形浄瑠璃などを奉納している。阿波人形浄瑠璃を演じる犬飼農村舞台があり、国の重要有形民俗文化財に指定されてす。 主祭神は水波能売神・埴山比神・豊受姫神・久々能智神・草野比神。創建年代は不明。



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  拝殿



   八人塚古墳  


  この日はツイていないのか居場所不明が続きます。 ゴルフクラブの中にあるようなので、危険も伴うし入り口も判明しないので諦めた次第です。

 スサノヲの墓?とか言います。 古墳時代初期の積石塚古墳としては日本最大級の規模。 先に見た萩原2号墳と同じようなものでしょうか?




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  ゴルコ−スへ行くスロ−プから見た古墳?



         2024-1-14



 

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2024年01月12日

お遍路5 #86志度寺 #87長尾寺 #88大窪寺

 

     
  

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  香川県88ヶ所地図 



 徳島ケンチョピアより鳴門海峡を通峡してヨットにて引田に入港しました。 徳島で19ヶ所をお遍路して、今度は香川県を廻ります。


   #86志度寺



 JR志度駅かあるいは琴電志度駅から近く徒歩で行ける。 また、ヨットでも近くの志度港に停泊して行くことが容易です。 藤原不比等の海士伝説ゆかりの寺という。 山一つ越えれば藤原氏の阿波の発生地があり、ここに藤原氏由縁の寺があるのには納得です。 お遍路の寺でも5重塔があるのは大きな勢いのあった寺であろう。

 


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  仁王門   大きな草鞋



 


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  本堂 




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  五重の塔







   #87長尾寺


  志度寺からタクシーを使ってしまったが琴電長尾駅からも近いようである。歩き遍路も可能である。

 長尾寺は739年(天平11年)年行基が本尊の聖観音菩薩を刻んで安置した。源義経の側室の静御前が出家得度したお寺と言われる。

 


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  大師堂




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  本堂






   #88大窪寺  


 八十八ヶ所結願(けちがん)の霊場「大窪寺」。徳島からヨットを引き返したので逆回りになち最後の大窪寺へお参りすることになりました。後で気が付くことになりましたが、杖が多く立てかけてあるところがあり、ここで巡礼に使用した金剛杖を返還するための物のようです。

 古くから女性の参拝を許していたので、「女人高野」と言われている。



 


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  山門



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  本堂

 

        2024-1-11




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2024年01月10日

邪馬台国は阿波にあったのか? 阿波・邪馬台国と日神子・卑弥呼

  
                           香川宣子さんによる



  



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  ひみこ地図


 黄泉の国を脱出したイザナギは、橘湾の海岸で同胞の卑弥呼(ヘフシバ・ヒゼキア后妃・日神子)、スサナウエ(スサノヲ)、ツアクヤン(後のシャル・ヤシュブ・月読命(つくよのみこと)たちと遭遇した。

 彼らはイザナギにアークの隠し場所にするところを尋ね、ここにスサノウを残して剣山に向かうことになる。 鮎喰川をさかのぼって船盡神社・ふなはて・歯ノ辻神社あたりで陸路に変えて剣山の鍾乳洞に聖櫃を隠した。下山して卑弥呼は高根山にある悲願寺一帯を拠点とした。

 卑弥呼・日神子は予言者イザヤ時代に実在したヒゼキア王朝の后妃ヘフシバのことです。大日簍命・おおひるめ(死後の名)、大宣都比賈・おおげつひめ、八倉比賈・やくらひめ、と呼ばれたりお稲荷さんになったり、伊勢神宮の豊受大神・とようけおおかみ で祀られた。

 卑弥呼はスサノウと結婚し多くの子を産みます。  スサノウの浮気が重なり卑弥呼は天岩戸に立てこもる。スサノウはこの騒ぎに2度と卑弥呼の元に帰ってこなかった。 スサノオは神山町須賀山に櫛名田比賈・くしなだひめ と新しい生活を始め、大国主命をもうけます。

 大国主伊命も絶倫で多くの子をもうけます。 その中にニニギ命と事代主命・エビスさんがいる。 やがて、大国主命軍(海人族)と卑弥呼軍(高天原軍)との大戦争に発展する。卑弥呼は敗れて気延山の一角で死に高根山にあった墓を聖徳太子が気延山山頂に移す。

 

 


    天石門別八倉比賈神社 ・あめのいわとわけやくらひめ


  卑弥呼の死後名の大日靈女命(おおひるめのみこと) - 天照大神を祭神とする。  残念ながら奥の院にあるユダヤを思わせる5角形の台座(磐座を見逃してしまう。今春予定の再訪時には見てきます。




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  気延山 周辺地図





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  「天石門別」「八倉比賣神社 」の記がある鳥居





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 拝殿




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 この柏手紋様はイスラエルの神から指示されたメノーラ(燭台)象った神紋といわれている





   船盡神社・ふなはて・歯ノ辻神社 

 

 歯ノ辻神社のバス停のすぐ近くにあり。 鮎喰川のすぐ近くなのでここまで船で登ってきたのに納得する。

 



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  鳥居





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 拝殿

 



 


   船盡比賣神社



 船盡神社・歯ノ辻神社の対岸にある。 小さな祠が見えるのみなので、ここかなと思う程である。 テレビ?で見たようなきがするが、ここに神代文字の幟があるというのは本当でしょうか。



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  むくのきの標識と左の三柱鳥居


 3柱鳥居の原型かともいわれる。 ユダヤに関する物とも云われる。

 


  天岩戸別神社



  天照大御神が石屋戸隠れをした時、八百萬神が集い神楽などで大神を誘い出し、この時手力男命が大神の手を取りて引き出した。

  その手力男命をお祀りしています。



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    天岩戸立岩神社



 立岩神社の御神体の巨岩は古事記や日本書紀に登場する天岩戸とする説がある。 鳥居をくぐり200mほど進むと神社の御神体である天の立岩があり、神社の後ろにある大きな岩が二つに割れている様子は岩の扉のように見える。



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  拝殿




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  ご神体、天の立岩  岩の扉のようです





       2024-1-9





 
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2024年01月07日

新宮神社、白人神社、神明神社、三木家、東宮御所神社

 

 下記地図にあるようなJR穴吹駅より穴吹川に沿って新宮神社、白人神社、磐境神明神社、三木家、東宮御所神社を訪ねた。 それをするのに年金暮らしには身に過ぎた支出であり、人生最大のタクシー料金2万6千円の支払いになった。  昨年は入院を余儀なくされたこともあり、今回の徳島県訪問総額では15万以上にもなり、先行き不安の焦りが生じた老生にとって焼けっパッチ消費になった。

 穴吹川は四国一の透明度を誇る清流で四万十川を凌ぐものだそうです。川沿いの山間地も狭く人家はほとんど見られなかった。わずかに山の中腹の小さい平坦地に家が建っているのが散見された。古代にはそれゆえに何をして暮らしていたのかと思わされた。

 ユダヤの民でないかと云われる忌部族は天皇家の祭祀を司る民である。 悲眼寺に卑弥呼・天照大御神がいたということから,祭祀にしようする大麻や麻を栽培してこのような山地で暮らしていたのであろう。



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  三木家周辺地図



 

    新宮神社



 新宮神社の元社といわれる。訪ねてみればただの村社としか思えないたたずまいである。 すぐ近くに白人神社や磐境神明神社があるので、それとの関連地域ということで重視されているのではないでしょうか?




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   白人神社・しらひと  

 

  24代仁賢天皇の時代にこの地に白髪の老翁が天下り、この地を「宮内」と改めるよう発言したのが起源とされる。 狛犬ではなくうさぎが置かれている。



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 本殿



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  灯籠の上にウサギがのっている



 

    磐境神明神社・いわさかしんめい



  白人神社の横の駐車場の奥に鳥居と階段があり、奥宮といわれる磐境神明神社がある。 1740年代に発見された。竹内文書で5社3門の史跡とある。 古代ユダヤの神殿に似たつくりであると云われている。




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  ここの階段を登っていく




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 5社3門の石造りの祭壇





 

    三木家


 すれ違う車に充分に注意を払う細い山道を登りながらたどり着く。 まあ、限界集落という言葉があるけれど、当てはまりそうな山間の土地である。 ここに天皇の代替わりの大嘗祭に必須の麻の麁服(あらたえ)を制作・献上する忌部氏の三木家が存在する。

 訪ねた時には人影が見当たらずに母屋を見学することも無く立ち去った。




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  三木家  300円で中を見学できる

 

 栽培された麻は別の場所で麁服を製作されるようだ。

 



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  麻栽培畑  



 忌部の三木氏は忌部御所神社を奉斎した。

 



 


  東宮御所神社 と春宮神社



 近くを訪れた美智子様がここのことをお尋ねになったというが、舗装されていない山道を登りつめたところにあり、秘境中の秘境と呼ぶようなところである。 ぽつんと一軒家という番組のようなところである。

 



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  この案内板の赤矢印方面に行く




  祭神は、天照大神、国常立命・くにとこたちのみこと です


 



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  東宮御所神社





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  本殿






    春宮神社


  東宮御所神社とほぼ同じ位置と思える場所にある。 祭神は、土御門天皇,後嵯峨天皇です、


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  春宮神社の鳥居と下奥に見える本宮



    2024-1-7



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2024年01月05日

倭建命・やまとたけるのみこと・日本武尊

  

  老生の小学校の時代に夏休みの蝉取りなどの遊び場として、生まれ故郷の名古屋市熱田区にある断夫山古墳へよく行ったものだ。 それはヤマトタケルの妻の古墳という。 また、すぐ近くにヤマトタケルの古墳・白鳥古墳もある。 しかし、断夫山は6世紀ごろの築造というから時代が違い、今ではどちらも尾張の有力豪族の古墳と云われている。

  倭建命「やまとたけるのみこと」は阿南市橘町で12代景行天皇の子として生まれた。 成長して吉野川上流の脇町に住んでいた熊曽建「くまそたける」を殺害し国府町観音寺に住んだ。その後にも兄を殺害し、その猛々しさゆえに景行天皇はヤマトタケルを東方遠征に命じる。その勝利祈願に東道神社に向かう。丸木舟の軍団を従えて吉野川を東へと下っていったが、ヤマトタケルは生きて帰ることはなかった。 その子である14代仲哀天皇は「父の魂は白鳥になった」と言うて白鳥陵・白鳥神社を作った。 その神社は讃岐の白鳥町にも分祀されてある。



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 倭建命ゆかりの地図


 
  東道神社


 川島城近くの川島神社横にひっそりっとたたずむ。 東征だから東道なのであろうか。



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  東道神社  



 

   白鳥神社

 、東国を征定の帰途に毒に触れて亡なった日本武尊が白鳥となって天昇し、この地に舞い降りたとされている。仲哀天皇が建てたとされる。

 讃岐白鳥神社の元社である。

 

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  白鳥神社



     2024-1-5

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2024年01月03日

阿波にある元宮と元寺

      


 675年の「吉野宮での会盟」四国を隠蔽する策略があったというが、その盟約とは天武天皇と皇后の持統天皇がその子の草壁皇子を次期天皇にする盟約で知られている。壬申の乱の頃に阿波を隠蔽する何かの必要があったのであろう。 吉野宮は下図9の倭大國魂神社あたりの地区にあったというので、また、持統天皇は下図の神山町広野にゆかりの人であるゆえに、まったくその隠蔽も間違いでは無いでしょう。 奈良にある吉野宮の前に阿波にその元の宮があったのかもしれない。

 伊勢神宮や他有名大社の阿波にある元宮を下記に上げます。

 

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 阿波の元宮・元寺図



   阿波の元宮・元寺

 1. 八倉比賈神社・国府町矢野      伊勢神宮・三重県 

 

 2  鴨神社・三好郡東みよし市      下加茂神社と上加茂神社・京都府



 3. 松尾神社・名西郡神山町      松尾神社・京都府

 酒造の神様を祀っている。 「天岩戸神楽」が新年に奉納される。

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 松尾神社



 

 4. 稲荷神社・阿波市市場町     伏見稲荷大社・京都府

 稲荷神社なので赤い鳥居。養蚕業が盛んな地ゆえに、蚕の神として信仰をあつめる。ゆえに



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 5. 住吉神社・藍住町住吉       住吉大社・京都府、博多、下関

  航海の安全を祈願する。 義経が屋島の戦いにむけて祈願した伝承がある。



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 6. 諏訪神社・多祁御奈刀弥(たけみなとみ)・名西郡石井町      諏訪大社・長野県



 事代主命と(多祁御奈刀弥神社の祭神)建御名方命は兄弟神である。



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 7. 熊野大明神・板野郡熊野庄      熊野神宮・奈良県

 8. 樫原神社・阿波市土成町      樫原神宮・奈良県

 9. 倭大國魂神社・美馬市美馬町    大和神社・奈良県、大国魂神社・東京

 10. 法谷寺・徳島市南庄町       法隆寺・奈良県  



   2024-1-3





 
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2024年01月02日

2024年 新春

  

能登半島地震の被災者の皆様へ 心からお見舞い申しあげます。





  明けましておめでとうございます。

  本年も宜しくお願い致します。

   
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  昨年はクル−ジング中に入院することになり、大変でしたが。 最悪の場合になることは避けられた。
 秋には恒例の巡航にも行くことができました。 それらは、皆様方に大変にお世話になった結果だと感謝しております。 ありがとうございました。



 昨春にせっかくコロナが明けたと思いきや、中東で戦争が始まりました。ウクライナと中東への戦力投入で、力を削がれた形となった東アジアに、新しき紛争が懸念されます。 先行き暗い予想ばかりですが、乗り切りたいものです。





 そんな訳で、お屠蘇気分ゆえに許されるのかと「深刻なお話」、「とんでも話し」等をお送りいたします。



   伊藤貫×水島総「アメリカの偽善主義外交の破綻が露呈した2023年!!

  https://www.youtube.com/watch?v=LOSWGf3my9w    90分



   2024年度予算 難しい財政状況

  https://www.youtube.com/watch?v=c2cQum73xKM



   門田隆将】中国から日本を守るのは「高市早苗総理」しかいない

  https://www.youtube.com/watch?v=FxfNolltxUY     27分


 林千勝が説く! 日本再生の道しるべ

  https://www.youtube.com/watch?v=VJ7hY_iZMnk    20分


   東京ホンマもん教室】新春スペシャル 藤井聡×泉房穂 藤井聡×高市早苗

  https://www.youtube.com/watch?v=5KDCYXfUDl8




   最後に願いを込めて

  ロ短調ミサ曲– Dona nobis pacem  我に平和を与え給え (Bach Collegium Japan)

  https://www.youtube.com/watch?v=ffrsc3wdBt4    3分  いいね



    2024-1-1

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2023年12月31日

直島とヨット泊地

   



 直島は近くの倉敷を母港にしている割には訪れたことが無かった。 それは瀬戸内芸術祭の時はもちろん、ヨットの停泊地を探すのに苦労させられると感じていたからだ。

 案の定11月にもかかわらず、バースの予約を入れると空が無かった。 それで宇野海の駅に停泊した。 そこからフェリーにて直島へ行くことになった。 コロナ明けで観光客は多く、外人客が半分ほどいた。 瀬戸内の孤島でも外国から来るのかと思わされ、広報に成功したのでしょう。

  島内バスで島を廻った。 平坦地が多いようなのでレンタサイクルも良いようです。 目玉と思われる地中美術館は予約が取れず見られなかった。 他のものはこじんまりしている。 その展示作品の質は、個人的感想ですが、感動を得るものが少なかったように思う。





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 誰もが知っている水玉模様



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 野外展示物



  直島は天領であったので、他所と比べると税も安く規制も緩やかだったようで、小島でも文楽が許されていてその伝統が残った。当時はその公演の際には、他島から船で押し寄せる状況であったという。

 

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  幕府直轄領であった





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  直島女文楽



     2023-12-31

 

 

 

   直島ヨット泊地



  宮ノ浦港と本村港のヨット泊地がある。 訪ねた時には西風が強い時であったので、共に注意が必要です。  穏やかな時が良いように思われる。宇野からのフェリーの便も多いので、宇野停泊も考慮するべきであろう。


  直島 宮ノ浦港

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 青丸は候補地





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 赤矢印は候補岸壁側





  直島本村港

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  青丸は候補地





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  赤矢印は候補岸壁側



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2023年12月30日

阿波にある古代天皇の出身地


       香川宣子さんによる


 阿波には、天皇や主たる部族王の父母兄弟、祖父母に至までの出身地が残っているという。最近の市町村合併で名前が変わってきているが。




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   古代天皇ゆかりの地




番号 天皇・命 阿波の所在
1 初代 神武天皇 徳島市 渋野町 佐野
2 大国主命 佐那河内村 狭布能・さふの 城
3 手力男命・たじからおの 佐那河内村 不能山 字大入小屋・うしこや
4 事代主命・ことしろぬしの 勝浦郡 上勝町 生比奈沼ゑ・いくひなぬえ
5 5代 考昭天皇 佐那河内村 中峰、御間都比古神社(みまつひこじんじゃ) 祠
6 8代 山下䕃比賈・かげひめ 考元天皇 后 鳴門市 瀬戸町 堂浦山下䕃浦
7 武内宿禰  山下䕃比賈の子 徳島市 応神町 久岐・名方郡川内吉川村
8 12代 景行天皇 徳島市 矢野 神領 気延山 麓海城
9 倭建命・やまとたける 景行天皇の妾の子
10 14代 神功皇后  仲哀天皇の皇后 徳島市 川内町 住吉村 字神蔵、 現・住吉大明神社
11 15代 応神天皇 板野郡 応神町
12 16代 仁徳天皇 板野郡 応神町
13 19代 允恭天皇・いんぎょう 鳴門市 大麻町
14 21代 雄略天皇 大毛島の竜宮伝説
15 23代 顕宗天皇・けんぞう 鳴門市 大毛島
16 24代 仁賢天皇・にんけん 鳴門市 大毛島
17 31代 聖徳太子  用明天皇の子 徳島市 南蔵元町  (常厳寺) 祠
18 41代 持統天皇・高天原広野比賈 名西郡・みょうざい 神山町 広野


   



      2023-12-30

 

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2023年12月29日

お遍路4   #18恩山寺、#19立江寺、#20鶴林寺

 
  

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 小松島―阿南 周辺図



 #17井戸寺より17q程度あるので徒歩のお遍路は大変です。 小生はJR牟岐線で中田駅下車して豊国神社に立ち寄り恩山寺まで歩きました。



   #18恩山寺


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  山門と遍路道



 仁王門・山門の前の道はお遍路道になっており、横の近代的な道に沿って本堂まで雰囲気のある古道が続いていた。



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  恩山寺

 

   #19立江寺



  恩山寺より立江寺mでのお遍路道は醍醐味がある。義経がこの近くの海岸に上陸して屋島に向かった道はお遍路道とは別に義経ロードとして整備されている。 ここで平家に備えて弓の弦を張った場所とか解いた場所の表示板などが見られた。



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  お遍路道





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  入り口





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  本殿





 #20鶴林寺
 

 23ある阿波の霊場のうちで、一に焼山(12番焼山寺)、二にお鶴(20番鶴林寺)、三に太龍(21番太龍寺)といわれる難所の一つだそうです。

 それゆえに、いささか頑張りの無い老生は立江寺にタクシーを呼びここに向かった。 阿波の今年のお遍路はここで打ち止めとした。 来年にまた来るつもり。 ヨットで帰路につく。香川の引田と高松にに立ち寄り、そこから88番大窪寺より逆回りすることになる。




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  山門と六角地蔵堂





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  三重塔



   2023-12-28

 

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2023年12月26日

聖徳太子生誕地・馬宿と法谷寺

       



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 引田 馬宿周辺図  一山越えれば吉野川北部の古代に栄えた地に続がる


  学校で習った聖徳太子が最近はそうに呼ばなくて厩戸皇子と云う。 歴史は絶え間なく変化してくるもののようです。  新説であろうけれども、聖徳太子の生誕地ということで、今度のクル−ジングで香川県引田を再訪しました。 さっそく、その生誕地という馬宿川周辺を見に行きました。 最新すぎるのか、とんでもすぎるのか分かりませんが、当然の如く、そのことを表示する案内板はありませんでした。

 引田の地は朝ドラで急に少しは知られる地になりました。 笠置シズ子の生誕地です。それよりも聖徳太子のそれなら、いっそう観光客を呼び込めるでしょう。 そこは江戸時代では、瀬戸内航路の風待ちの港として栄ましたので、古代もそのようであったでしょう。

  


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  馬宿川





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 河口にある山王宮神社と小船溜まり


  

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  馬宿風景




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  眉山・以乃山 周辺図


  徳島の眉山には、聖徳太子の廟跡もあります。 蘇我氏に聖徳太子の一族は抹消されたので、飛鳥に行き活躍し、阿波に帰って亡くなったのでしょう。また、聖徳太子は上宮太子とも呼ばれていました。上宮は、聖徳太子の居所を表しています。鮎喰川を挟んで対岸の気延庄に、聖徳太子の上宮があったという。聖徳太子は眉山の西端に遍照寺・法谷寺(元法隆寺)を建立した。  聖徳太子廟は常厳寺(現在は廃寺となり民家)の横から登ったところにある。

  
     常厳寺



  聖徳太子廟は常厳寺(現在は廃寺となり民家)の横から登ったところにある。 


  

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  このお墓横の山道を登ると廟がある 


      法谷寺



 徳島大学の蔵元キャンパスに近いところにある。 平日であったが参詣者があり、信仰を集めているお寺さんとお見受けした。



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  縁起



 縁起に推古天皇が法隆寺より前にここを建立した。「秦河勝」に命じ「以乃山(眉山)馬峰に醫王善逝薬師如来を作らしめ」とある。法隆寺の元寺と云われる由縁である。大御和神社 あたりに聖徳太子のお屋敷の門があったと云います(法谷寺の縁起に聖徳太子当山の対岸気延庄、上宮にて詔り)。




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 本堂




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 十六紋の菊




   2023-12-26




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